見出し画像

2月22日 The Pork-Barrel State ばらまき国家

お早うございます。今朝も #ドラッカー #365の金言  より人生とマネジメントを深めて参りましょう。

本日 #2月22日  のテーマは、ちょっと笑っちゃいますね。

#The_Pork -Barrel_State  直訳すると、「ブタ箱国家」なんでしょうか 笑

日本語訳では、 #ばらまき国家 となってます。

そして、本日の金言は

#政府が市民社会の主となりその形態を定めはじめた


 第一次世界戦までは、いかなる政府も、国民所得の五、六パーセントしか国民から取上げられなかった。歳入に限界があるかぎり、民主主義国家であろうと、帝政ロシアのような絶対君主であろうと、政府は極度の制約のもとに活動せざるをえなかった。その制約ゆえに、政府は自ら経済的な機関とも社会的な機関ともなりえなかった。
 しかし第一次世界大戦後、そしてさらに第二次世界大戦後、予算編成は事実上あらゆることにイエスをいうプロセスを意味するようになった。歳入に限界はないとする新しい状況のもとにおいて、政府が市民社会の主となり、その形態を定めはじめた。財布の力によって思い描くままに社会を形づくろうとするようになった。しかも最悪の状況として、国がばらまき国家となった。
 ばらまき国家は自由社会の基盤を侵食する。国民の代表たる者が、票を買うために特定の利益集団を豊かにし、国民を丸裸にする。これは市民のコンセプトの否定である。事実、急速にそのように理解されるようになっている。(『ポスト資本主義社会』)

ACTION POINT 

#あなたの住んでいる市の財政均衡を要求する住民投票案を起草してください

#そのために市の歳入と歳出を調べてみてください

本日のテキストは、1993年発刊の「ポスト資本主義社会」の第6章 国民国家から巨大国家へ>租税国家、冷戦国家、例外としての日本、近代国家は機能したか「ばら撒き国家」(216〜231ページ)

なんてこった!

すでに我々は、特定の利益集団を豊かにし、丸裸にされている。なぜなら・・・

このニュースにあるように、令和3年度の国民負担率が48%になっている、というのだ。コロナに限らず、政府の施策はニュースでは、コストがどれだけかかる、という情報無しに「こうする」みたいな報道ばかり

。費用対効果について言及されるニュースでは無いのです。で、実施してから、「費用はいくらになります。増税します」となる。

今年度については、100稼いでも、ほぼ半分国に取られるということだ。なんてこった!富裕層でも無いのに、手取りは残らない。ざけんな!と叫びたくなる。

こんなに金かかるんなら、ワクチン要らなかったよ、あの道路工事は要らなかったよ、MMTで国債増発したら、税要らないんじゃね?という人たちも実は増えている。労働の意味、徴税に意味あるのか?という人も増えているんだ。

だって、こう負担が増えると、いくらなんでも国民も税負担が景気に大いに意味を持つのに、経済学者も官僚たちも無視あるいは軽視している。ドラッカーはこう記している。

 経済の分野において、我々は「巨大国家」、特に英語圏の「巨大国家」がその基礎としてきた「租税国家」の理論(=所得を再分配し、税と補助金によって社会を変革できるという教義はすでに完全に誤りであることが実証されている)を廃棄しなければならない。(中略)「ばらまき国家」という、まさに国家にとって最も危険な退行性の病気だった。(中略)立法制度におけるイノベーションが必要とされているのかもしれない。(中略)再建においては、廃棄が真っ先に来なければならない。(同書、274〜276ページ)

要するに、第3者機関によって評価された費用対効果のない「ばらまき」予算は廃止して、政府も選択と集中すべき、という意見です。

しかし、感染症、そして、戦争危機を迎えつつある中、国民はより多くの「福祉国家=大きな政府」を求めています。大きな支出ありき、で国家運営しようとすれば、当然、大きな収入=国民負担の増大、となるわけです。

誰もが、「少ない支出で、大きな福祉」を望んでいるわけですが、エネルギー、食糧、軍事を輸入に頼らざるを得ない中で、米中激突、ロシアウクライナ激突という状況で、いずれも値上がり率が半端ではありません。

電気、ガス、燃料が数倍にも跳ね上がる中、国民負担増大が欠かせないとしても、そのバランスは正しいのかどうかの判断に正当性があるのでしょうか。

この辺り、調べてみたいと思います。

今日を変えていきましょう。愛を込めて。


いいなと思ったら応援しよう!

ごんごんごんちゃん
サポートもお願いします。取材費やテストマーケなどに活用させていただき、より良い内容にしていきます。ご協力感謝!