冗談関係的なやつ
毎日書くって言ったやつ出てこい
うおい、うおい、うおい!
開始3日目にして投稿を落とす始末だぜ!!
ウケるね。
本当。やる気あんのか?と聞かれれば
あるんですよ。あるんです。
昨日は夕方から横浜に足を運び、
父と父の弟(つまりは、おじさん)が組むバンドのLIVEに参戦。
それで帰りも遅くなり、投稿ができなかったわけです。
世にも不思議な、私のおじさん
私のおじさんは、本当に変な……というのか、謎というのか、不思議というのか。今のところ、彼を表現するのに一番近い言葉はブルースかな、と思っています。
私が小さな頃、おじさんは床屋さんでした。その傍ら、歌を歌っていました。歌うだけではなくて、ギターも弾くしハーモニカも吹くし、タンバリンも叩くし、ドラムみたいなのも叩いていました。
家族でおじさんのLIVEを観に行くことが、何度もありました。私は音楽のことはよくわからないけれど、音のなかにいるおじさんは、まさに水を得た魚。おそらく、彼にとって音のない世界は息をするに値していなくて、メロディーとリズムに身を委ねてこそ「生きている」のだと、感じているはず。
って、ちゃんと話したことはないんですけどね。
そう、ちゃんと話したことはないんだけど、何かの折に会話をすると、毎回必ず驚かされる。私が奄美大島が好きだという話の流れで「与論島でホットドック売ってたんだよ」と言い始めるし、台湾に行ってきたとお土産を渡すと「昔、マカオに住んでたことがあってさ」と返ってくる。
ほかにもWranglerのスタッフだったことがあったり、横須賀ベースで働いていたことがあったり、アメリカで長いこと旅をしていた時期があったり。数年前には、知らない間に住んでいたマンションを売り払い、三浦に移住していました。
この間は「沖縄に行って大学にでも入ろうかと思っている」と呟き、昨日のLIVE終わりに声をかけると「俺、年末年始はタイだから。これ、お年玉」と言って1万円を同行していた息子に渡してきた。タイに行くのか。フットワークよ。
アメリカが好きで、雑貨屋を始めたことがあったのだけど、店につけた名前は「la la フランス屋」。うおい、うおい、うおい。
還暦を迎え、実家を継ぐかたちで続けてきた床屋を卒業(!)し、駅前にRock居酒屋をオープン。夏のお祭りでは、元床屋前のスペースで「GINZA ロック N ブルースフェスタ」と手書きの垂れ幕を飾り大熱唱。
ともかく、書ききれんのです。謎なんです。不思議なんです。
いろんなエピソードを合わせると、彼の年齢では経験しきれないような気がして、人生何度目の魂なのかってところに、話が飛んでしまいます。※おじさんはスピにも精通しているので、このあたりいつか膝を交えて語り合いたいとずっと思っています。
いいんだよ。自由だよ。
おじさんは、何をしている人なの?と時々、聞かれるのですが、私も知りたいです。というか、たぶん、彼を知る人は、みんな知りたいところだと思う。だって本当に何をしているのかわからないから。
ただ、確かなことは、彼は生きているってこと。自分を全うして音楽をしているってこと。自分を全うするって、自由だよね。そう、自由なんです。だから彼は、自由に生きている人。うん。これが唯一の答え、なのかもしれません。
でも、自由って時に苦しくて、だから歌う彼はほんの少しだけ苦しそうにも見える。ああ、だから、ブルースなんだな。
実は、この秋、祖母が他界をしました。
父の母、おじさんの母です。
そして、もう少し前には、叔父も他界しています。
父とおじさんの、兄です。
母(そして兄弟)を亡くすって、私自身はまだ経験をしていませんが、人生にとってものすごく大きな変化だと思っています。だから、かもしれないけれど、昨日の彼のパフォーマンスは、これまでと何かがちょっと違うように見えたんですよね。
あれ、なんか今日、すごいな……と思ったら、祖母の死が関係しているんじゃないかと思えて仕方がありませんでした。
音のなかでギターをかき鳴らし、絞り出すような哀愁的な声で歌い上げ、両手のマラカスをフリフリしては、ドラムスティックに持ち替えて一心不乱に叩き鳴らす。ハーモニカで奏でる音には、何かを訴えかけているような、苦しみにも似た快楽のような、そのような雰囲気がありました。
死んだ母。生きている自分。
どちらも、自由。
私たち、冗談関係
私は昔、自分のFacebookにこのような投稿をしていました。
自由だね、と言われることの多い人生を送っていますが、まさに、そう言われるのは彼のエネルギーに引っ張られているような気がしてなりません。この世にともに生きているうちに、もう少し話たい。そんなふうに思っています。
って!!!!!
投稿し終わったら0時回ったぞ!チックショーーーー!!!