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僕の原体験⑤ ~大学受験~

全敗の実績を引っ提げて予備校へ

1つ前の記事にも書いたように、僕の大学受験初年度は7連敗という輝かしい戦歴で幕を閉じた。まぁ全然勉強してこなかった身としては当然の結果なのだけど、心の片隅では、まだ地元の神童と呼ばれていた自分に期待していた部分もあったので落胆は意外とあった。何よりもそんなに好きじゃない勉強をまた1年やらないといけないと思うと、憂鬱な気分になったことを今でも覚えている。

さて、大学に入れなかった者たちが1年間通い勉強に励み、再度受験の門を叩くための学校、予備校選びが始まった。当時、大阪ではこんな感じで言われていた。

面白くなくて第一志望に合格するのが駿台。
面白くて第一志望に合格しないのが河合塾。
面白くなくて第一志望にも合格しないのがECC予備校と大阪予備校。

こんな感じだった。

兄は家から近いというだけの理由で駿台予備校へ通っていた。ここで始めて僕は兄とは違う道を選択することになる。なんだか王道が好きでないない自分はECC予備校に興味を持ち始め、入学前に特待生試験があり、試験の成績が良かったら学費が安くなるという噂を聞きつけ、試験を受けることにした。

結果はなんと一番上の特待生の切符を手に入れ、なんと年間の学費が1/5くらいになるということで、ECC予備校梅田校へ入学することを決意するのであった。

初志貫徹のために選んだのは神大・市大クラス

入学前の面談で、志望校欄に「神戸大学」と書いていた僕に対して、予備校のチューターはこう言った。

君の実力であれば一つ上の京大・阪大クラスに入ったらどうだ?予備校の進学実績というものは嘘ではないけれども、大抵は上のクラスで志望校に行けなかった人が合格しているもの。だから神大に行きたいのであれば京大・阪大クラスが良いぞ。

こんな感じのことを言われた。

しかし京大は賢すぎてたぶん無理、阪大もなんかダサそう…というよくわからない理由で僕は神大・市大クラスでの入学を決めた。

優勝を目指さないとベスト8には入れない。ベスト8を目指しているチームは絶対に優勝なんて出来ない。こういう意見もあるだろう。

でも上記のようなことを言われたら天邪鬼な僕は、「神大クラスで神大に合格して、予備校の歴史に名を刻んでやろう。」こう思うのであった。

友達を作らず勉強に打ち込む作戦は見事に失敗

4月の入学前。どうやったら勉強だけに打ち込むことが出来るかを考えた結果、何故か「友達を作らないようにしよう」という訳のわからない作戦に出ることにする。

そして思いついたのは『話かけにくい人だと思われるようにしよう作戦。』

作戦内容は、金髪坊主にして始業式に挑むことだった。冒頭の写真がその名残を残している子どもの日に兄弟3人で撮った記念写真。

果たしてこの友達作らない作戦はどうなったのかというと、逆に金髪坊主が目立ってしまい話かけられまくり、入学してすぐの週末にはクラスの10数名を束ねてカラオケからの飲み会の幹事をしてしまうという、どうしようもない幕開けで予備校ライフがスタートすることになった。笑

勉強よりも大切な友達が増えた貴重な1年間

水曜日と日曜日が休みだった予備校。夏と冬は休みがあって集中講義。そんな中でも、クラスが一緒だった友達とは特に一緒に遊んだ。

吉田くん(僕の親友)は高校から一緒だったけど、特に予備校の友達で今も連絡を取っているのは2人。

1人はゆうう君。ひがしづつみゆうう。名前をローマ字でかくと「ひがしづつみ」はえらいことになる。「HIGASHIDUTSUMI」。14字で構成されるなかなかの大作である。

彼は大阪で一番賢い高校とされている大阪星光学院の最下位というレッテルを引っ提げて予備校に入学してきた。笑

そして面白いのは、彼はほとんど授業に出ない。自学自習のみでなんと慶応に合格してしまうのだから、やはり自頭が良いのだろう。

そんなゆうう君とは常にお酒を一緒に飲み、大学に入学してからは大阪に彼が戻ってきている期間は、ずっと合コンを一緒に繰り返していた。笑

そしてもう1人。アメヤン。大阪公立トップに君臨し続ける北野高校出身。アメヤンは僕と同じで皆をまとめるタイプで。最初のほうは全然仲良くなかったけど(笑)、逆に卒業してからのほうが仲良くなってるかも。

今は自分でブランディングの会社を立ち上げ、奮闘中。アメヤンも今まで自分の周りにはいなかったタイプ。

(アメヤンの会社のサイト。僕のインタビューも掲載されてます。)

こんな感じで勉強ばかりだったけど、こんな一生の友達も出来たんだから予備校生活も悪くなかったなーと今は思う。

夏以降は今までで一番勉強をした

そんな友達とも遊びつつ、当初の目的である神大合格を達成するべく、僕は毎日結構な時間を勉強に費やした。夏には模試の判定もBくらいは出るようになり、いよいよ現実味を帯びてきた。

夏以降のクラス編成時には、先述した京大・阪大クラスへのクラス替えを再び打診された(予備校としては実績を作るために成績の良い子は上のクラスにあげたいもの)が、「神大以外に興味はないです!」ときっぱり断って、残り半年の受験勉強にとにかく精を出した。

僕が目指していたのは神戸大学の発達科学部。発達科学部とはあまり聞かない名前の学部だけれど、前身は教育学部。そう。僕は教員免許を取れて、そしてアニキに勝てるということで、その学部を目指していた。

冬には神大の発達科学部の一つ上のランクで似たような阪大の人間科学部の判定もBとかが出て、順調に僕の学力は向上していた。

そして迎えたセンター試験

年が明け、迎えた最初の難関、センター試験。もう皆様ご存知だと思うのだが、国公立大学を志す者は皆、このセンター試験を受験しなければならず、そしてこの点数と大学独自の試験の点数で合否が決まる。いわばセンター試験をミスしてしまうと、希望の大学を受けれなくなってしまう。

結果は、今までの努力を神様は見てくれていたのか、今まで受けてきた模試などの点数の中でも過去最高得点を記録し、なんと阪大の人間科学部までもB判定が出るくらいの点数を取れてしまった。

しかしそこは初志貫徹の精神を発揮し、当初の予定通り、僕は神戸大学の発達科学部を受験することになった。

残り1ヶ月、最後の追い込みをかけて必死に勉強した。もうこれ以上勉強することはないだろうというくらいに勉強した。最後の最後まで僕を奮い立たせてくれたのは「アニキに勝ちたい(合格しても余裕で負けてるけど)」、その強い心があったからだろうなと思う。

勝負の前期入試

迎えた受験当日。

国語、数学、英語の3教科を受験した。数学の問題で少しミスをしてしまい、自己採点の限りでは微妙なところだなーと心配していたが、無事に合格切符を勝ち取ることが出来て、僕の受験生活は幕を下ろした。

ちなみに僕のいた神大・市大クラスは生徒が56名いたのだけれども、神大に合格をしたのは僕ともう一人だけだった。

予備校の合格速報一覧の写真撮影には、ボンバーヘッドに髪の毛をした満面の笑みのボクが写っていた。

金髪坊主で始まり、ボンバーヘッドで終わった予備校生活。

ちなみに神大以外にも関西大学、関西学院大学、立命館大学、さらには龍谷大学も受験して、全て合格。まさかの無傷の8連勝で僕の受験戦争は終わったのである。

最後に

予備校生活で学んだこと。

「努力は裏切らない」

これに尽きるかなと思う。
でも正確に言うならば、間違った努力でもダメで。

「正しい方法での努力は裏切らない」かもしれない。

そして幼稚園から始まったアニキとの闘いもここでポツダム宣言。なんかようやく自分の人生を切り拓いていけるんだという不安と覚悟があったように思う。

大人になれば所属するカテゴリーがどんどん減っていく。そう考えると生きてきた軌跡の中で、予備校という一つのカテゴリーに所属をすることによって出会えた友がいてるというだけでも、浪人した意味はあったなーと思う。

価値のある遠回りはいくらしてもよい。

今もまだ遠回りをしている人生かもしれない。
でも39年の中での浪人の1年は無駄じゃなかった。

いつまで遠回りをしてるんだ俺。笑
でも進むべき道は見えてきたんだよな、コロナのおかげで。
そのあたりはまたもう少し後で。

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