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mt ex at KIITO―日曜日のおしゃべり23週目

mt博行ってきました。

mt ex at KIITO

mt博っていうのは、カモ井さんのマスキングテープとかそれに類するものばっかり集めて、展示販売しているイベントです。

デザイン・クリエイティブセンター神戸っていうところでやっていたんですけど、ここに来るのは、人生で二度目でした。

前もどこか行ったとき、人生で二度目とか言ってましたね。

行って、ほぼ到着するまで、前にも来たことがある場所だっていうことを、分かってませんでした。

到着間近になって、「あれ? ここ、来たことある気がする」って思って、中に入ったら、「やっぱり来てる!」ってなりました。

前に来たのは、どうもお茶のイベントをやっていたときだったみたいです。記憶がそうとうあやふやなんですけど。

前回の美術展は絵画だったけど、今回のはデザインですね。デザインは美術と無関係ではないですね。作品か商品かの違いはあるけれど。

美術もデザインも、好きといえば好きなんですよね。

下手の横好きというか、好きなのに自分自身はぜんぜんセンスがないっていうのがなんなんだろう、と思うけれど。

高校進学のとき、デザイン系の専門学校も考えたんです。

そのくらいには、子供のときから美術とかデザイン的なものに興味はあったんですけど、そっちに進まなくて正解だったのかもしれない。才能は、あんまりあったと思えないから。

でも最近では、才能とかセンスとかあってもなくてもどうでもよくて、「なんか好きだなぁ」と思うことに身を任せていて、それでいいんじゃないのかなぁと、思えてきました。

才能とかセンスがあるかどうか気にするのって、それをしてその結果なにか得よう――お金儲けしたい、人から褒められたい――みたいなことを思うから気になるのであって、それをしてたら自分の気分があがるから、っていうだけで、ぜんぜんいいことのような気がする。

いまふっとそんな気がしただけですけど。べつに「これがぼくの考えです」っていうわけでも、なんでもなくて(この区別って重要だと思ってるんですけど、この話を掘り下げると超絶に観念的な話になりそうです)。

さっき「作品か商品か」って書いたとき、最近買った本のことを思い出してました。というか、その本を読んだがために、さっき「作品か商品か」って書いたのかもしれない。

その本は、森村泰昌さんの『生き延びるために芸術は必要か』です。光文社新書。

その本の中に「『作品』と『商品』はなにがちがうのか」っていう節があったのでした。それが記憶にあったがために、うえの文章を書いているとき、「作品か商品か」というフレーズを書いてしまった、っていう感触が、ちょっとあります。

話をしているときでも、文章を書いているときでも、こんな具合に、ちょっと前に経験したことの影響が、話や文章に入ってきてしまうって、よくあると思うんですよね。

そしてそれって、意識できるときもあれば、意識してないけれどじつは最近の経験の影響を受けている、っていうこともあると思うし。

もっと言うと、いまの「気分の」影響を受けて、言うことも書くことも変わってしまう、ということすら、あると思うんですよね。

ああ、ずるずると観念的な話になっていきそうなので、今日はこの辺で閉じておきます。

この二、三週は、できるだけ実在的な話を書こうって、頑張ってます。今後も、頑張ります。

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