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人格と行動パタンの逆推定

自分を第三者目線で公平に観るには?
仮に、
・Noteを含めものを書くと少なからず人柄が投影される
・SNSに入る広告は人物像クラスタにターゲティングされている
ならば、
・消費行動を通した行動パタンを推定できるのでは?
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Noteにものを書いてどんな広告が表示されるか?
自分のNoteのトップページはどんなもの?
“おすすめ記事“を含め本人に最適化された構成となっている
かもしれないもちろん
・消費行動に連動しない部分は参考にならない
・元手/パパがお金持ってた持ってなかったって部分もある
・個人的には一番気になる創る/作る意思の強さがトップページに投影されるか?
・(金銭的報酬/対価)と(自分で稼ぐか自分で何かを創る/作ろうって意思)
は、必ずしも連動しない
・金額以外に興味の希薄な人も多い
・創っている内容に集中するため、他を全て外注するケースもあるため投影しきれない
・無理っぽい
・まぁ。。。ここまで書いたしいいや
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基本は他者との比較
・他者のトップページ構成と比較
・考え方、試行手順・経路の観測に近い
・だから参考になる部分も含まれていそうだ
・十分に広く普及したSNSなら一定の精度が確保できそうだ
・(フナしか居ない生け簀で鯨カモろうって女はない)
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どんな人生を送りたいか?
・他人の行動を真似る/同じ経路を使うことが良い場合
・選タクシー/選択肢から自分で選んで実際に行動
・先のことはわからない
・環境が変われば同じ選択肢を取っても結果は別物になる
・コロナ禍で仕事に関する価値観が入れ替わった
・価値観が入れ替わる要素はいくらでもある
・選択肢は自分で選べる状況だし選ぶべき
・ただしそれが先人の結果を全く見ない理由にはならない
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人は鏡、自分に似た人だと安心する
とはいえ、ぬるい同類の吹き溜まりに留まることからくる安心より
そこに居続けたくない気分と好奇心任せに動いた方が良さげ
外部からの刺激なんていくらでもある
YouTuberの世界旅行や作ったやったを真似てたら
自分のnoteのトップページに表示される構成は変わってそう
自分ならそうするし、自分の子にもそれを勧める
立ち止まって自分を観ること、難しければ
書き起こして、公平に評価して、自分を確認する必要はある
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