ブレーキ
僕は、免許を持っている。
教習所に通い始めたときのことを今でも覚えている。
車を運転するのは、かっこいいと思っていた。CMでも爽快に走る姿が見える。
エンジンの音、アクセルの使い方、ハンドルの使い方、それを教えてくれるのが、教習所だと思っていた。しかし、期待はずれだった。一番の時間を割いて教わったのは、ブレーキの使い方。地味だ。
しかし、免許をとってから思うのは、ブレーキが、運転の中で最も大切だということ。ブレーキを正しく使いこなせると、よほどのことがない限り自分が事故を起こす加害者になることはないだろう。良い運転とは、良いブレーキなのだ。
アクセル、エンジンは、かっこいい。けど、それはブレーキがあるから正しく進むことができ、かっこよく見えるのだ。ブレーキのないアクセルは、拳銃以上に殺傷能力がある武器に変わる。
フェラーリのような高級車も、良いエンジンと同時にそれをコントロールできるブレーキが搭載されているから、売ることができる。
私たちも同じだと思う。
私たちの心から湧き上がる感情は、まるでエンジンだ。そして、それに感化されて踏み出す行動はアクセルだ。人を巻き込み、チームを率い、楽しい空間をつくることができる。しかし、そこにブレーキがなければ、それらの行動は、拳銃以上に治らない傷を与える武器に変わる瞬間がある。
正しく走るために、正しく行動するために、誰かを傷つける加害者にならないために、私たちは、心のブレーキを身につけなければならない。
聖書にこんな箇所がある。
「愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。ヤコブの手紙1:19」
これは、神様が教えてくれるブレーキの仕方。
私たちは、聞く耳を持たず、感情の反射のように言葉をはき、その言葉に任せ、怒るときが多々あります。そんなときに、ブレーキを踏むことができるように、備えていきたい。
そんなブレーキを踏んで事故を回避できた時、少し我慢して聞いて、言葉を選んで、怒るのを我慢した時、なんで僕だけが、なんで私だけが、我慢しなきゃいけないのかと思うこともあると思います。しかし、そんなあなたのブレーキが、友を傷つける、友を轢いてしまうことを事前に避けることができた愛の形。神様は、そんなあなたを見てくれています。