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戒律と弱者救済の菩薩 叡尊

思円房叡尊(しえんぼう・えいそん、1201~1290)は、鎌倉時代の律宗の僧、西大寺の中興開山。諡号は興正菩薩(こうしょうぼさつ)です。

17歳で出家し、仏教を学ぶうちに、戒律の復興を志すに至ります。36歳のとき、仲間の僧侶らとともに東大寺法華堂で仏さまに誓い仏さまから受戒する自誓受戒(じせいじゅかい)をし、比丘となりました。

彼は西大寺に住み、そこを拠点として戒律の普及につとめます。生涯においておよそ10万人に戒を授けたとも言われています。

また、社会的に排除されていた人々の救済運動も展開しました。彼の救済活動は最下層の人々を文殊菩薩の化身とみなして布施行などを行うものでした。69歳のときには般若寺文殊菩薩像の完成を記念して、困窮者2,000人を集めて米などの食糧や生活道具などの布施を行うとともに、ひとりひとりに戒を授けました。

殺生を禁じ、橋の修復なども行い、朝廷や幕府からも深い帰依を受けました。蒙古襲来の際には異国退散の祈祷も行いました。叡尊は「大風が吹いて蒙古軍の軍船すべてが大陸側に吹き戻されるように。将兵は誰ひとり命を落とさないように」と祈りました。しかし、実際には多くの将兵の命が失われたため、叡尊はひどく悔やんだと言われています。

叡尊は90歳で瞑想のまま入滅しました。鎌倉時代の平均寿命は24歳ほどだと推定されていますから、たいへんな長寿だったと言えます。

西大寺には叡尊そっくりのお像があります。生前、80歳のときにつくられた、特徴的な風貌の生き生きとした尊像です。像内には経典と名簿が納められており、名簿には叡尊の弟子およそ1,500名の名前が記載されているそうです。その4割は女性だそうです。

叡尊のポリシーは「興法利生」。「興隆仏法(仏教を盛んにすること)」「利益衆生(生きとし生けるものを救済すること)」の略語です。戒律を復興して仏教を盛んにし、衆生を利益することに命を捧げた人生でした。

叡尊の著名な弟子に極楽寺忍性(にんしょう)がいます。叡尊は「良観房忍性は救済活動に力を入れすぎて、学業が疎かになっている(「良観房ハ慈悲ガ過ギタ」)」と苦言を呈しています。叡尊にそのように言わせた忍性もすごい人ですね。
「真言律宗西大寺」ホームページ(http://saidaiji.or.jp/history/h02/

私たちDharma Service Workerは未熟で非力ですが、叡尊をお手本にして、困窮者支援にがんばってまいります。引き続き、応援をお願いいたします。

「新型コロナウィルス感染症インド緊急支援クラウドファンディング」
https://readyfor.jp/projects/68744

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