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そうじの本質

 先日、居間でサーキット・トレーニングをやった後に、床を雑巾がけしていたら、相棒が「掃除になってない。それは、ただ汗を伸ばしているだけだ」と言ってきた。私は即座に「掃除なんてそんなもんでしょ」と答えた。「また屁理屈言って」とやり返された。そこで「掃除の本質は何か」を改めて考えてみた。
1) まずゴミを認識する。ゴミとは自分の視覚、嗅覚、触覚で違和感を感じる対象物 (ホコリ、汚れなどの異物) のことだ。違和感とは何か。それは「自分の恒常性を乱すもの」と言える。ゴミが恒常的に存在すると、感覚器の応答性が低下する (例:臭い中にいると臭さを感じなくなる)。そうすると、ゴミを含めて自己の恒常性が形成されるので、ゴミに対する違和感はなくなる (これがゴミ屋敷)。
2) 身の回りにあるゴミを、叩いたり、はいたり、掃除機で吸引したり、雑巾で拭いたりして集める。ただし、あくまでも視覚、嗅覚、触覚で確認できるレベルの異物を対象とするのであって、電子顕微鏡やガスセンサーなどを用いれば、死ぬまで掃除をしても終わらない。このステップで、ゴミは集積し、密度は大きくなる。相棒が言っている「掃除」は、このステップのことなのだろう。一方、私は、以下のことを含めた「掃除」の最終局面を言っていたのである。
3) 雑巾で集めたゴミは、雑巾から出る異物が認識されなくなるまで洗い流される。このステップでゴミの密度は低下する (= 洗濯も同じだ)。ゴミを含んだ排水は、汚水処理場で微生物処理し、不溶物は沈殿・遠心分離することで、再度高密度化され焼却される。焼却によって、水分、炭酸ガス、亜硫酸ガス、酸化窒素ガスなどとして空に広がる。つまり、最後は低密度される。空は広いな大きいな! 水に分散したり、溶けてしまった化学物質 (目に見えないからゴミではない?) も、川の水と一緒に海に出て、やはり低密度化する。海は広いな大きいな!
4) ゴミが乾燥物の場合はゴミ袋に入れられ、ゴミ回収車に集められる。ゴミ収集車はゴミを大量に回収すべくゴミを圧縮するため、ゴミの密度は更に大きくなる。ただ、密度が大きくなるのは一過的であって、これも最終的には焼却で密度が小さくなるため、雑巾から出たゴミと同じである。
 かくして、掃除においてゴミの密度は一過的には高まるが、最終的には低下する (掃除はゴミを薄める行為だ) という私の認識の方が正しかったのだ。・・・いや、待てよ。排水を浄化して出てきた水はきれいなのか? 洗剤やさまざまな合成化学物質は、川や海の生物に取り込まれて濃縮される場合がある。ああ、ここで化学物質 (目に見えないゴミ) が濃縮 (高密度化) されてしまうんだ。そしてなんと、それらの生物を海産物として食べることで、私たちに体に戻ってきてしまう。さらに、燃やして残ったはどうなる。自然界に散らばっていた鉱物・金属などを高密度化したものとして埋め立てられる。さらにさらに、不燃物をゴミとして片づけるという行為も広義の意味で掃除だとしたら、これらも埋め立て場に持って行って埋められるのだ。世の中の家々に散らばっていた物を一ヶ所に集めて高密度化したことになる!
 かくして掃除にによりゴミの低密度化も起きるし、高密度化も起きるという結論となった。お互いの言い分に一理あり!ということであった。


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