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中年期以降の「リスキリング」はなぜ難しいのか?

「人材版伊藤レポート2.0」で言及され、2022年10月に岸田首相が「5年で1兆円を投じる」と表明したことで「リスキリング」というキーワードは注目を集め、今に至るまで、人材育成のトピックであり続けています。
もはやリスキリングは「急務の国策」と言っても差し支えないでしょう。

リスキリング:新たな業務に必要なスキルや知識を習得すること。DX化が進む現代ではデジタルスキルを獲得する際によく使われる

リスキリングとは? DX化で注目される理由と意味を分かりやすく解説

リスキリングの必要性とは、日本社会の課題として、デジタル化などの産業シフトの遅れを取り戻す意味合いもありますが、「人生100年時代」において、個人と組織との関係性が変わってきたことによる「自律的キャリア形成の必要性」も影響していると思います。

つまり「キャリアを会社ではなく個人が作っていく時代」において、新しいスキルを身に着け、社会にアジャストしつづけること(そしてそれができる個人であること)が求められている、ということです。

中高年のリスキリングは難しい

私たち一人ひとりが、時代が求める新しいスキルを獲得し、社会の人的資本が強くなるのは、良いことだと思います。

しかし、リスキリングの必要性が「叫ばれ続けている」ということは、逆説的に「それがいかに難しいか」を表していると言えるのではないでしょうか。

特に、リスキリングがもっとも必要とされ、そしてもっとも難しいのが中高年世代ではないか、と思います。
というのも、私は2024年で43歳になりますが、私自身の実感としても「中年期の学び直し」はとても難しい、という実感があるからです。

リスキリングに取り組んでいる企業は多くあります。DXを見据え、ITスキルを身に着けてもらおうと研修を提供している会社も多いでしょう。しかし、まだ成功例は少ないのではないでしょうか。

「リスキリング」の難しさ、特に中年期以降のリスキリングの難しさは、どこにあるのでしょうか

中高年のスキルは経験の産物

そもそもスキルとは何でしょうか。

スキル(英語: skill)とは、通常、教養や訓練を通して獲得した能力のことである。日本語では技能と呼ばれることもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/スキル

例えば私でいうと、私の今のスキルは、ファシリテーション技術とか組織コンサルテーション技術とか、プロジェクトマネジメントとか、考えるといろいろありそうです。

そして、これらをどのように身に着けてきたのか。
もちろん、意識しての訓練もありますが、多くは経験によって少しずつ形になってきたものだと思います。

仕事経験でいうと、私は社会人になって20年で3回転職をしていますが、その都度、職務内容が変わっていました。今の会社においても、職務内容の変化はあります。
今、自分が「スキル」と呼べるものは、仕事経験のなかで、繰り返すことで洗練されたものもあり、必要にかられて学んで形にしたものもあり、特定の人との関係性のなかで生まれたものもあります。

このように、一概に「スキル」と言っても、それは取外し可能なものではなく、これまでの経験や、周囲との関係性などと結びついています。気づけば無意識にやっている、自分でも言語化できない部分も多く、これは「暗黙知」などとも言われます。

創造的な仕事の技は、多くの場合、当人の身体的な感覚や、現場の勘、すなわち「暗黙知」によって支えられています。

もちろんある程度は「形式知」として言語化し、マニュアルに記載して組織のナレッジとして共有することは可能です。それでも、実際の仕事のなかで形式知を実践するなかで、膨大な試行錯誤を通して「自分の血肉」として習得されなければ、パフォーマンスとして実行されない類の知識です。

エキスパートの技の構造:連載「組織学習の見取図」第4回

というわけで、一概にスキルと言っても、そもそも「自分が今、どのようなスキルを持っているのか?」ということも、実は正確に把握することは難しいのです。

「アイデンティティ」が揺らぐ中年期以降

長く仕事をしていると、どんな仕事であれ、いつの間にか自分の中に「価値基準」が生まれます。何が良くて、何が良くないのか。何が許せて、何が許せないのか。それは自分にとっての仕事における美学であり、まさに暗黙知として自分を支えてくれるものです。

しかし、その「価値基準」が揺らいでくるのが中年期以降です。

いつのまにか「美学」が「トラワレ」として自分を縛って新しいチャレンジを難しくしたり、「◯◯してはいけない」「◯◯はするべきではない」など自分や他者をジャッジするものになり、なんだか窮屈な思いをしてしまったりします。

また、「自分はこのままでいいんだろうか」「今までの経験に意味はあるのだろうか」と、中年期以降に自身のアイデンティティが揺らぐ現象も起こります(中年の危機)
若いときに比べて、自分の価値が低下してくるような感覚におそわれるのも中年期以降の現象でしょう。

  • プレイヤーとしては昔よりずっとうまくできるはずなのに、「これくらいできて当たり前」という認識が固定化し、評価が変わらなくなる。

  • マネジメント職につくと、自分自身の評価よりも、求められるのは「チームの成績」であるため、自分は調整側に回ることが多くなり、「自分は何がしたいのか」は二の次になる。

などなど、このように中年期以降、「自分らしさに対する疑義や揺らぎ」が起こりやすく、それに合わせて、自分のスキルに対する見立てや信頼が揺らぐことが多くなります。

こういう状態で「なにか新しいスキルを身に着けよう」と焦ると、多くの場合、課題と打ち手が噛み合わず、うまくいかないことが多いです。
(私も、こうした焦りに襲われることが多々あります)

裏を返すと、企業側が「リスキリング」に取り組もうとするなら、こうした個人側の景色も勘案する必要があるのではないでしょうか。

リスキリングとは「自分らしさ」のアップデート

このように「新しいスキルを身につける」、特に中年期以降にそれをやろうとすることは、簡単なようで、大変難しいことだと思います。

というのも、「新しいスキルを身につける」ということは、単に「新しいものを学べばいい」というだけでなく、「自分らしさのアップデート」であるからです。例えば以下のように

  • 自分らしさとは何か、を言語化し棚卸しする

  • 捨てる必要があるものは思いきって捨てる

  • 新しい経験をする

  • 経験を通して「自分らしさ」を周囲との関係性を含めて作り直す

ということが求められるからです。

0から経験をがむしゃらに詰めばよかった若年期と変わって、いちど作ってしまった自分を見つめ直すのは、結構な労力がかかります

また、「スキル」は、周囲との関係性を含め「私はこういう人/これができる人」という自分らしさでもありますから、それを「変える」ということには、怖さや面倒くささの感情も伴うでしょう

「現在の中年期世代」特有の難しさ

また、世代論はあまり好きではないのですが、2024年現在の中高年世代特有の難しさを感じることもあります。

私は、2004年に社会人になりましたが、当時はまだ「会社員になったからには、会社の言うことに従うのが当たり前」ということについて、一定の社会的コンセンサスがあったように思います。

社会人たるもの、個人主語の好き嫌いはひとまず脇に置き、組織の良き歯車になることが仕事の正しいあり方だ、という価値観の地層を持つ世代が、現代の中高年世代に多いのではないでしょうか。

この「価値観地層」を共有する世代特有の難しさも、リスキリングの難しさに拍車をかけているように思います。

というのも、リスキリングが求められている文脈の背後には「キャリアの自律」があり、「一人ひとりが自分の頭で考え、自らのキャリアを自ら作りにいく」という「強い個人」を日本社会に作っていこう、という意図や必要性があるからです。

現在の中高年世代がせっせと準拠してきた「社会人らしさ」「企業人としてのありかた」からすると、急に「会社に頼らず、自分で考えなさい」と言われているようなものなのです。
これまでさんざん「個人よりも会社を優先せよ」と言われてきたのに、急に何だよ、と面食らってしまうし、自分の人生を否定されたような気分になるでしょう。

リスキリングを楽しくできないか

これまで見てきたように、、一定の経験を経てきた中年期以降の「スキル」は「その人そのもの」と言えます。
スキルの根っこは、経験や美学、自己(他者)認識、周囲との関係性、そして自分らしさ(アイデンティティ)、つまり、人間丸ごととつながっています

なので、リスキリングを本当の本当に真正面からやろうとすると、多かれ少なかれ「自己否定の痛み」「他者から否定される痛み」「これまでの価値観を否定する痛み」「慣れたやり方を棄てる痛み」などなど、大小の痛みが伴うのは想像に難くありません。

リスキリングが「嫌なこと」だとしたら、そんなことに真面目に取り組めるのは、正直言って一握りの人しかいないだろうし、中高年の疲れた身体にはとても酷なことです(トホホ)。

いっぽうで。
例えば中年期以降に、スポーツやゲーム、キャンプなど「新しい趣味」を始めて、「うまくできないことが新鮮」で楽しかったりした経験はないでしょうか。
また、副業やプロボノ活動などを始め、本業と違う環境のなかであくせくする経験を楽しんでいる人はいないでしょうか。

このように、一定の経験を積んでからの「新しいことへの取り組み」は、何でもかんでも苦しいわけではなく、自分で選択して主体的に取り組めば、新鮮で楽しい、という経験になるという側面もあると思います。

興味や関心ドリブンで自分らしさをアップデートできないか

MIMIGURIのCo-CEOの安斎さんは「探究活動」を起点に、キャリアを開発していくという考えを提起しています。

つまり、「私は何者か」と自分のアイデンティティを直接言語化しようと悩み込むのではなく、自らの興味関心に基づく探究テーマを設定し、それを中年期には意識的にシフトさせることで、アイデンティティを再構築できるのではないかと考えているのです。

中年期のアイデンティティ・クライシス。その原因と処方箋を考える

単なる必要性だけでリスキリングに取り組むのは、現状や過去を否定することにつながってしまいます。そうではなく、自分のキャリアや経験に合わせてテーマをシフトし、そのテーマに沿ってアクションを組み立ててはどうか、ということです。

興味関心に合わせたテーマに、主体的に取り組む、それを通して、自分らしさを省察していく。そのサイクルをなるべく楽しくやる、ということを意識すると良いのではないでしょうか。

もちろん生きている以上「変化の痛み」を完全に避けることは難しいかもしれませんが、人間は本当に痛いだけのことは絶対にやらないので、楽しさのデザインは人生に必要だと思うのです。

変化を焦らないことも大切

そしてもう一つ思うのが「焦りすぎない」ということです。人間が変化することには、年単位の時間がかかると思われます。

スキルを身につけるのも同じです。
人間は機械ではなく、「新しいスキルをインストールすればOK!」というわけにはいきません。たとえ一度学んだとしても、それを使えるようになり、それが「自分らしさ」「その人らしさ」としてしっくりなじむには、時間がかかるでしょう。

最初に書いたように、リスキリングは「急務の国策」であり、「今から取り組んだほうがいいもの」でありながらも、同時にすぐに結果が出るものでもないように思います。

それだけに、個人も、企業も、じっくりと付き合えるかどうかが肝になる、そんなもののように思います。難しいことですね。


株式会社MIMIGURIでは、社会が大きく変化している中での、企業経営や組織のあり方の探究を行っています。答えの出ない問いをぜひ一緒に探究しましょう!


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