キャリアとは「振り返ることで初めてわかる」もの かもしれない
「キャリア」って、そもそもなんだろう?
あなたのキャリアを教えてください、と言われて、あなたなら何を連想しますか?
今回「冒険的キャリア」というテーマで、記事を書いてみよう!ということで、「キャリア」って、そもそもなんだろうと思い、あらためて調べてみたところ、こんな記述と出会いました。
そうか、キャリアとはこれまでの「経歴」だけではなく、その道程をどのように「意味づけ」するかによって作られてくるのか、と理解しました。
振り返ってみるまで、自分がどんな轍を作ってきたのかはわからない。キャリアとは、そのとき振り返ってみて、初めてわかる「お楽しみ」とでも言えるようなもの、なのかもしれません。
ずっと心の底にあった長期のテーマ
では、私はどんな轍を作ってきたのか。
私は以前に自己紹介で書いたように、2004年の就職氷河期の終わりごろに社会人になりました。そしてこれまでに現在の会社を含めて、4社で経験を積ませてもらってきました。
自身のこれまでを振り返ってみると、常に心の底に「社会人として自分は一人前になれているのだろうか?」という恐れがあったように思います。
そしてその恐れは、同時に、「社会人としてどこに行っても通用する能力を持ちたい」というテーマとなって、自分の中にあり続けたように思います。
今考えてみるとそれは、企業が長期雇用を保証しなくなったり、人生100年時代を迎えたり、雇用関係が市場化してきた状況において、「自分が市場価値を持てているのか」という不安感を個人が持つ時代の始まりだったのかもしれません。
「肩書き」の変遷
私は2015年に株式会社MIMIGURIの前身であるDONGURIに入社しましたが、会社の変化とともに、自分のやることや肩書はどんどん変わっています。
例えば肩書きを振り返ってみるだけでも、こんなような変遷がありました。
ディレクター(2015〜2018)
デザインリサーチャー(2018〜2021)
組織コンサルタント(2021〜)
肩書が変わることは決して珍しくはありませんが、今回、そこにどんな物語があったのか、を振り返ってみようと思いました。
「ディレクター」期(2015〜2018)
縁あって前職から転職した際、前職の肩書であった「Webディレクター」の経験を引き継ぐ形で、最初は制作物を作るプロジェクトに関わっていたことを前回の記事で書きました。
そのとき自分で認識していた自身のスキルは「要件定義」や「制作進行」など前職で培ってきたものでしたが、そのときの問題意識は「どうしてもクライアントが価値を感じるのは『デザイン制作』の部分になるので、自分だけでも価値が発揮できるようになりたい」ということでした。
長期のテーマとして持っていた「どこに行っても通用する能力を持ちたい」という課題感を追いかけていたことがわかります。
「デザインリサーチャー」期(2018〜2021)
その後、自身の内発動機に即して、プロジェクトでの自分の価値発揮の方法がわかってきた時期に肩書にしたのが「デザインリサーチャー」です。
ステークホルダーからのインタビューや、あるいはワークショップといった場から得られる定性的な情報をもとにして、課題を明らかにし、課題解決のプロセスを導く、という関わりを「理念開発」や「コーポレートアイデンティティ開発」などのプロジェクトから、小さく試してきました。
そしてだんだん「制作を伴わない案件」や「制作プロセスの中でも存在価値を発揮できる関わり方」ができるようになってきました(すべてが上手くできたわけではありませんが)。
「組織コンサルタント」期(2021〜)
そして現在は、スポットで関わるだけでなく、関係を継続しながらプロジェクトを作っていくことで組織変革に関わる、ということが多くなってきています。
そういった関わりにおいてオーナーを務めることもあるため、インターフェースとして通りやすく、わかりやすい肩書きに変えました。
いまだに「組織コンサルタント」です、と名乗るのは緊張しますし、その肩書に見合う活躍を十分できているかというと、まだまだだとは思いますが。
振り返ってみると、「どこに行っても通用する能力を持ちたい」というテーマを追いかけてきた時期はいつの間にか乗り越えていて、今はだんだんと「より良い社会を作ることに自分は参画できるのだろうか」という自問にテーマが移り変わっているように感じました。
気がつくと長期のテーマが移り変わっていた
自分は定まった専門性を軸にアイデンティティを深めていくやりかたではなく、「その時々で自分が追いかけている課題感の変遷」とともに、それを追いかけるように肩書きを変えてきていました。
(ゆえに「コンサルタント」や「デザインリサーチャー」などの肩書は、専門性を追いかけてきた人から見ると、違和感のあるところもあると思います)
自分の実感としては、あれこれ試して、うまくいったり、いかなかったり、人のマネをしながらやってみて、何か思い描いたのと違うな、なんかショボいな・・・と落ち込んだり、あれ、これ思いのほかいけたな、など「なんとかしのいできた」体験の集積だったように思います(失敗も多かったのです・・・)。
そんなやり方をしてきたので、自分は常に「その場しのぎ」の人間で、大きなテーマなんか持っていないと認知していたのですが、前述したように、「より良い社会を作ることに自分は参画できるのだろうか」という自問を、いつの間にかしていることに気が付きました。
というのが、様々なプロジェクトに関わる中で、自分なりに「違和感」を感じることが多くなってきたからです。
会社の中で、もっと素朴に人間らしい感情を出して関わりあえればいいのに、という思うシーンがある
人間の限界を無視した「べき論」が流通し、それが守れるかどうかで組織内の評価が決まってしまう文化がある
組織の論理にいかに適応するかが、組織の中で「洗練された振る舞い」として流通しつづけている
などなど・・・。
このように、自分のアンテナにひっかかった「違和感」を振り返ると、個人を抑圧するシステム的なるものへの忌避感が、自分の中に実はずっとあったのではないか?と思いました。
社会人になるときの「自分は社会の中で価値を発揮できるのか?」という恐れが、システム的なものに比したときの自分自身の弱さに対するアンテナであったとしたら、今自分は、その「弱さ」を社会の中で抑圧したくない(少なくとも抑圧することに加担したくない)と考えているようです。
同時に難しいのは、一方的に誰かが誰かを抑圧する、という構造は稀ではあるが、組織の力学としてどうしても発生する「構造的な軋轢」(組織を動かそうとしたとき、どうしても生じてしまう論理のぶつかり)というものがあり、「抑圧に加担したくない」ということと「組織を変えていきたい」ということを両立したいと思うとき、パラドックスが発生してしまうことです。
それを乗り越える方法としての「対話」であったり、健全な対話関係を成り立たせるために「認知バイアス」をいかに解消するか、であったり。
気がつくと、自分の興味関心トピックはそのように具体的なものに移り変わっています。「能力を追いかける」という時期は終わりつつあるのかもしれませんが、より良い社会への関わり方の探究は、まだまだ道半ばです。
振り返ってキャリアを発見するのを楽しみに挑戦を続けていく
私も気がつけば43歳を迎え、経歴に大した華々しさのないままここまで来てしまったことに忸怩たる思いを抱くこともあります。
しかし今回、自分の経験を「肩書の変化」に着目して振り返ってみて初めて、「自分の長期的なテーマが変化している」ということに気が付きました。
過去の経験が思いもよらぬところで活きるということを「Connecting dots」と言いますが、何を「dot」とするかをあらかじめ決められない、というところに、人生の面白さがあるように思います。
人によって経験を振り返る視点はそれぞれ違うと思いますが、最初に書いたように、自分のキャリアが「轍」であり、振り返ることで初めて立ち表れるものだとするならば、定期的に振り返ることは大切だなと思います。
振り返ることで初めて「今の自分のテーマ」が発見できると思うからです。
どんなにカッコ悪いと感じる経験を積んでいくとしても、振り返ってみたとき「自分はこんな物語を作ってきたのか・・・」と立ち表れるキャリアのありようは、常に新鮮な驚きを伴うものであるはずです。
それを楽しみにして、自分の心が動くテーマを立てて追いかけながら、願わくば、ささやかでも挑戦を続けていきたいものだなと思う次第です。