【デザインシンキング・コンサル②】ステップではなく「運動」として捉える
こんにちは。DONGURIでデザインシンキング・コンサルをやっています、矢口泰介(@yatomiccafe)です。
前回は「わからないを低減する」というお話をいたしました。今回もまた、私の体感をもとに、デザインシンキングを進めるとはなんだろうか?ということについて、考察してみたいと思います。
デザインシンキングは「ステップ」なのだろうか?
諸説ありますが、デザインシンキングのステップは、以下の形が有名ですよね。
画像引用元:http://web.stanford.edu/group/cilab/cgi-bin/redesigningtheater/the-design-thinking-process/
このステップについては、いろいろな説があります。
「順番に進むというよりも、非線形に進む」とか「進んでは戻り、そしてまた繰り返す」とか「そもそもステップが違う」とか「いや、むしろデザインシンキングは姿勢・マインドなんだ!」など・・・
そういったフレームワークとしての議論は他のお歴々におまかせするとして・・・私自身の「体感」としては、順番であれ非線形であれ、「一つひとつ決まったステップを踏んで進めている(あるいは戻っている、飛んでいる、繰り返している)」という感覚よりも、
目の前の情報に対して「これはわかった。次は何をしよう?」と、一つひとつ理解を積み上げ、意思決定をしている、という感覚が強いです。例えて言うなら、ハイキングコースではなく、先の見えないジャングルを進んでいるような感じです。
Welcome to the jungle.
私としては、この「これはわかった。次は何を?」という「思考と意思決定の運動」が、デザインシンキングの一つの側面なのではないかと思えるのです。
「わかった」という体感を得る
「これはわかった。次は何を?」という「思考と意思決定の運動」が、デザインシンキングの側面とするなら、次に進むためには「わかった」という体感を得る必要があります。
場にいる人が「なるほど。これで納得した」という状態になること。さらに、それをもとに「次に何をするか?」という意思決定ができること。
そのためには、目の前の情報から仮説を浮かび上がらせる、というプロセスが重要です。
バラバラだった情報が(ある程度)論理的に理解できるつながりを持ち、そこから仮説を作る/浮かび上がらせる。その状態を「情報が構造化された状態」と呼ぶとすると、デザインシンキングとは、様々なフェーズにおいて、情報の発散と収束をしながら、情報の構造化を繰り返していくプロセスといえるのではないかと思います。
・・・では、その運動の「質」を決める要素はなんでしょうか?
運動の質を決める要素①:「情報」
「わかる」と「意思決定」の繰り返しの運動が、「わからない」を低減するプロセスとして機能するためには、質の高い情報が、いかに生み出されるか、が必要と言えます。
例えば、デザインシンキングのステップとして「共感」(EMPATHIZE)というフェーズがあります。
これは私見ですが、これがデザインシンキングのステップとされているのは、ユーザ目線で考える、ということの重要性もさながら、ユーザーから得られる「一次情報」の質の高さが関係しているのではないでしょうか。
質の高い情報は、考えよう(考えたい)、という動機を生み出し、さらに優れた仮説を生み出し、優れた仮説は「次に何をするか」の意思決定を可能にします。
【実際の事例から】
例えば、実際の商品開発のプロジェクトにおいて、ターゲットユーザーをアサインし、インタビューを中心にリサーチをした結果、クライアントが思っている以上に、対象商品とユーザがほとんど接点を持っていない、と言うことが明らかになった事例がありました。
その結果、次のステップとしては、商品とユーザーを遠ざけている、生活の文脈をもっと深く理解する、という意思決定が行われ、エスノグラフィ調査を行うことになりました。
運動の質を決める要素②:目の前の情報を主役にする
質の高い情報を生み出すためには、そのプロセスを1人で進めるか、集団で進めるかにかかわらず、目の前の情報を主役にすることが重要になります。
自分の自意識から来る思い込みや、個人の想い、主張といった「自意識」が情報構造化のプロセスに混じり合うと、純粋な仮説形成が難しくなります。
できるだけ「自意識」を除外し、あたかもAIが情報を処理するように、目の前の情報を主役にして、そこから得られる気付きや、論理的整合性を載せて考えていきます。
目の前の情報を主役にすることで、
「こういうことでは?」▶「わかった」▶「では次に何をするか?」
という情報構造化のプロセスから、深い納得と体感が得られることになります。
集団でプロセスを進めるメリットとデメリット
デザインシンキングのプロセスを、集団で進めることのメリットは、一人の人間の認知限界を越えられる、ということだと思います。
1人の人間の中には、どうしても知識や経験の幅からくる思考の限界や、思い込みなどの認知バイアスが存在します。集団で、情報の構造化を行うことにより、その認知限界を超えられるというメリットがあります。
ただし、集団で行う場合でも「自意識を除外すること」「目の前の情報を主役にすること」は重要です。
集団でデザインシンキングのプロセスを行う場合のデメリットを言うならば、「わかった!次は何を?」のプロセスを進めやすい組織と、そうでない組織が存在する、往々にしてしにくい場合が多い(笑)ということでしょうか。
情報構造化プロセスを健全に進めていくためには、自意識を全員がなくさないといけないわけなので、全員の関係性がフラットであるとか、コミュニケーションコストが低いなど、いくつかの条件とルールが必要となるでしょう。
前回も述べたように、デザインシンキングが「わからないを軽減する」(=不確実性に挑む)プロセスであると考えた場合、同様のテーマで組織論を展開した書籍「エンジニアリング組織論」から、多くの知見を得ることができると思います。
ある事業やプロダクトに対して、職能・職種を横断してチームを組成し、意思決定者と実現する能力をもつ人員の取引コストをできる限り下げたチームを機能横断型のチームといいます。
機能横断チームは、組織内部の取引コストを極限まで下げることで、意思決定のスピードと高いコミット意識をもつ状態を維持・育成するために作られます。
(略)
また、組織パターンの用語では「全体論的多様性」をもたせるともいいます。下記は、機能横断チームの能力を引き上げるキーワードの例です。
・地理的に近い配置
・十分な権限委譲
・心理的安全性の高さ
・目的の透明性
「エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング」(広木 大地)
おわりに
デザインシンキングは、その出自から、思考のフレームワークとしての側面が語られることが多いように思います。プロセスが再現性を持つために非常に重要ですが、逆にプレイヤーとしての側面から、「進行中の感覚」としてのデザインシンキングが語られる機会は少ないように感じています。
おそらく様々な文脈で語られている中に、散りばめられているのだと思いますが、デザインシンキングのプロセスのもとに語り直してみたいな〜と考えています。
今回最後に語ったデザインシンキングを進める組織の在り方については、また別の機会に深掘りしてみたいと思います。