私とこち亀の話
私が小学校にあがるかあがらないかの頃、家の近くにある立ち食いそば屋によく出入りしていた。
学校の迎えに来てくれた母と一緒に、昼食とも夕食ともいえない食事をしに行くのだ。
立ち食いとは言っても、場所は仙台。店内は広く外には駐車場もあり、常連客はタクシーの運転手さんが多かったことを覚えている。店主は女性で、当時50代後半くらいの気さくで上品なおばちゃんだった。
何が好きでよく食べていたかなどは全く覚えていない。私にとってこの店は図書館だった。
こちら葛飾区亀有公園前派出所、という国民的漫画に出会ったのがこの店である。それとドラゴンボール。当時でこち亀の既刊は100巻前後だったと思うが、その店には飛び飛びで90巻程度が置かれていた。
母が店主と世間話をしながらそばを啜っている間、私は漫画をひたすら読み進めていた。読みたい巻が棚に無いときは大概タクシーのおじさんに先を越されている。それを待っている時間が惜しいので、とにかく先を読む。あるものを読む。何回でも読む。時間が惜しくて仕方なくて、うどんを啜りながら読んでよく怒られた。
面白かったりカッコよかったり、お色気があったりくだらなかったり、そしてよく分からなかったりした。両さんが警察だってこと、忘れて読んだりもした。
大人ってむちゃくちゃだなあ、楽しそうだなあって思いながら、こち亀を読んだ日はちょっとだけ自分が大人になった気がしていた。
数年経って、そば屋がなくなることになった。
その時こち亀は120巻を超えていた。
その頃の私はもう前ほど店に寄らなくなっていたが、ふと思い立って母と顔を出したところ、出迎えてくれたのは変わらないおばちゃんの笑顔と、まっさらになった本棚だった。
週刊誌を追うようになっていたのでこち亀は本誌で欠かさず読んでいたのだが、からっぽになった店内を見渡して、心にぽっかり穴があいた思いだった。
最後にわかめうどんを頂いて、おばちゃんにお礼とお疲れ様を伝えたけれど、なんとも言えない気持ちでいっぱいだった。当たり前にあった場所がもうなくなってしまうという現実は、まったく受け止め難いものだった。
帰りの車に乗ろうとしたとき、おばちゃんがちょっと待っててねと言って店の奥に入った。
母とふたり、なかなか出てこないおばちゃんを不思議に思っていると、大きなダンボール箱を抱えて戻ってきた。
何事かと思い運ぶのを手伝うと、中身は本棚にあった漫画たちだった。
捨てるのも大変だし、勿体ないから引き取って欲しいと言って、200冊以上の漫画を捨てずにとっていてくれたのだ。
いま、アルティストというフレンチの漫画を読みながらうどんを食べたところだ。
普段なら本が汚れるからしないのだけど、思いつきでやってみたら昔のことを思い出した。
あの時のそば屋が無ければ、今の私は漫画を読んでいないかもしれないし、数え切れない作品に出会うチャンスもなかったかもしれない。
年の瀬、来年は昔の私のように本や漫画を沢山読める1年にしようと、希望に胸をふるわせている。