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引き寄せを超えた引き寄せ

ちょっと忘備録のような形になりそう。
思いついた時点で記事にしておいた方が良さそうなので、とりあえず。

まず通常の引き寄せは顕在意識が初動力になりつつ、アファメーションや想像力を通して潜在意識が働き顕在意識の物質化が起こるというものだと理解している。

確かに魅力的な響きだし、必死に自分はこうありたいと思い込み、思い込みと根拠のなき自信で気分良くすごすのも悪くないと体験した。

しかし何かしっくりこないというか、つまらないなと感じたのも事実。

お金?女?支配?全てをコントロール?
何というか、全然ぶっ飛んでない。
私は本気で王になりたい、この日本で、と思っている。そう思ってウキウキ、ワクワクしてたけど、それでもまだ生温いような気がする。

もっとぶっ飛んだ、デカい絵が描けるはずだ。
はずなのだ!

。。。。


やはり物質化したこの状態で大脳が必死で考えて搾り出した理想は所詮、物質世界の限界を越えることはできないようだ。

そう感じてしまった自分は引き寄せを超えた引き寄せを考え始める。

タフティの本、並木氏の最適化の話が頭をよぎる。

蟻と人間の視点で例える。

蟻は目の前の砂糖粒を必死で巣に持ちはこぶ。
「ああ、大量の角砂糖でもあればいいのに。よっしゃ、引き寄せで大量の角砂糖を想像してアファメーションだ」なんてやっている。

さてそれを見ている人間は8m先に大量のお菓子やら虫の群生地や、まだ巣を作っていない単身の女王蟻候補らを見て、そちらの方向に蟻を誘導しようとする。蟻から見たら天国のような光景がすぐそこに存在している。

蟻にその天国に行くように進路方向を変えようとするが、蟻は反抗して噛み付いてくる。
蟻は蟻でせっかく目の前の砂糖一粒を持ち帰りそうだったのに持ち帰れず悲しみに打ちひしがれる。とんでもない試練にあったのだと思っている。

これは私とハイヤーセルフを比喩したものだ。

蟻と人間では見えているものが「全く違う」
次元が違うとはこういうことなのだと思う。

では私はどうするのが最善なのか。
そもそも最善なんて概念が曖昧ではあるが、想像を遥かに超えた引き寄せを行うなら、想像しない方がいい。

「フルオート」

ただ全てに感謝して自分と世界を観察するだけ。

この世界はもう1人の自分。
圧倒的なリアリティで展開されていくけど、本当の姿は「空」
スッカスカ。
ただ振動してるだけ。
でもこの振動の仕方はみなそれぞれ全然違う。

ただ世界を観察し感謝し、フルオートで生きる。

これが現在の私の結論。

なるようになる。

執着や願望をそっと握力を弱めて足元に手放す。
また握りたければ握ればいいだけ。

色々なものをてばなすと

中庸で視座の高い状態になっていく。

ハイヤーセルフに近い視座に近づいてゆく。

ただ近づくだけでそもそも次元が違うが、この場所からはインスピレーションが以前よりも格段に供給されるようになる。

引き寄せでうまくいく人たちには共通点がある。

それはみんなオリジナリティがあるということ。

人それぞれやり方は全く違う。それがとても大事なこと。

私は私を極める。やり切る。

独特で風変わりな方法で。

視座が高くなることに重要なことがもう一つある。

高層ビルに堅牢な基礎が必要なように、高い視座には強いグラウディングが必要である。

私が最近特に大事にしているのは第一チャクラ。

このエキサイティングな地球にいる以上、地球との周波数合わせはとても重要だ。

最後にまとめ
キーワード

1、フルオート
2、第一チャクラでグラウディング
3、高く中庸な視座
4、全てに感謝
5、独自性を極める