崩壊から危険、慧崩壊から危険、幻滅、そして自由を求める欲求と逃げ出さない智慧まで
自由への旅 マインドフルネス瞑想実践講義
ウ・ジョーティカ (著), 魚川 祐司 (翻訳)
第八章は書籍の抜粋と
ウィキペディアの十六観智から併せて転載しています。
自由への旅 第八章 第五から第十の洞察智
p347 第5の洞察智
p350
あなたが一つのものに気がつくと、それは消滅し、
その消滅に気づいた意識もまた、消滅します。
中略
無常とは、別の形に変化することではありません。
中略
無常の意味は、消滅、もはやそこに存在しないこと、
現象の非存在なのです。
p352
*生成を無視して、心は消滅に留まる。中略
それによって無常の理解がたいへん強力なものになる。
↓ウィキペディア 十六観智より 壊滅智
壊滅智生成消滅の消滅のみに注意を払い、
対象の消滅と、それを観察する意識の消滅を感得。
p353 それぞれの洞察智と思考について
*最初の洞察智については、瞑想者は少し考えます。
*第二においては、生成や気づき、そして思考の原因
について多くの事を考える。
*第三の洞察智においては、瞑想、または無常・苦・無我
に関する、より多くの思考が存在しています。
*第四の洞察智においておいて、思考は比較的少ない。
*第五の洞察智では、思考はほぼ全く存在しません。中略
消滅がが非常な速度になってきて、それについて
考える暇が存在しない。
*第九の洞察智に至るまで、事情は同様です。
*第八と第九の洞察智では、いくらかの思考が再び戻ってきます。
しかしそれはダンマに関するものだけで、世俗の問題に
関するものではありません。
p354
第六の洞察智
消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を危険なものと観察すること。
ただしその危険感覚と自己の同一化を避けることで恐れは無い。
↓ウィキペディア 十六観智より 怖畏智
消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)
と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を
危険なものと感得。
ただしその危険感覚と自己の同一化を避けることで恐れは無い。
p356第七の洞察智
綿密かつ明らかに、本当に観察すれば、あなたには理解できる。
「何のために?全てはこんなに早く消滅している。
そもそも何かを求めることに、何の意味があるのだろう!」
p358
それをただプロセスと見るのです。
生成しないことが涅槃である。
↓ウィキペディア 十六観智より
過患智
消滅の継続的観察を通して、
意識(nāma ナーマ, 名)
と対象(rūpa ルーパ, 色)
の生成消滅現象を、苦の集まりで、
幸福はなく、無利益・不利益(過患)であると感得。
p360第八の洞察智
*p364
怖畏智・過患智 ・厭離智
これら三つの洞察智は、全く同じ洞察智が、
三つの名称を得たものである。
↓ウィキペディア 十六観智より
厭離智
消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)
と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を、
魅力が無い退屈で疎ましい幻滅したものとして感得。
p365第九の洞察智
全てのものを危険と観察し、全ての生成消滅を不利益なものと観察し、全てのものを魅力を感じる価値のないものと観察した後、瞑想者はこれら全てのものから自由になりたいと欲します。
それに全く飽き飽きしてしまうのです。
*考えると、そこに同一性が生じます。
思考によって、あなたが考えているのだと感じてしまうのです。
思考によって、そこに連続性があるかのように感じられる。
思考は繋ぐのです。考えなければ、
一つの出来事と別の出来事とのあいだに、繋がりは存在しません。
*あなたは自分がこの聞くことを所有しているわけではなく、
それが既に去ってしまったことを知っている。
私たちは、この身体が自分のものだと考える(所有者の感覚をもつ)、
ここに「私」があると考えるのです。
これらの洞察智の段階においては、誰も
こうした自然のプロセスを所有はしていないということを、
あなたは観察することができます。
また、そのプロセスに抵抗し、それを支配することが
できないことも見て取れる。
そのプロセスに対して、
「このように起これ、このように起こるな。留まれ、そして来たるな」
と言うことはできないのです。
↓ウィキペディア 十六観智より
脱欲智
上記6-8を踏まえた上で、その生成消滅現象から脱したい、
自由になりたいと欲する。
p374第十の洞察智
*この段階において、時に瞑想者たちはこう考えはじめる。「私の瞑想は、以前ほど調子がよくない」。
これはたいへん危険です。
彼らは時々、自分の瞑想について悲観してしまうのです。
↓ウィキペディア 十六観智より
省察智
瞑想を放棄せず、瞑想こそが唯一の解決手段であると考え直し
瞑想に留まり続ける。
十六観智
(じゅうろくかんち、巴: ñāṇa-dassana)とは、『清浄道論』にまとめられた上座部仏教のヴィパッサナー瞑想(観)によって獲得される智(ニャーナ, ñāṇa)の総称。
名色分離智(nāmarūpa-pariccheda-ñāṇa) : 現象認知における意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の分離。
縁摂受智(paccaya-pariggaha-ñāṇa) : 意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の相互条件付け・因果関係の理解。
思惟智(sammasana-ñāṇa) : 上記の因果の生成消滅を通じての「三相」(無常・苦・無我)の理解。
生滅智(udayabbaya-ñāṇa) : 生成消滅のより深く明晰な理解。高い集中、平静さ、対象の微細化、時間感覚の伸張・喪失、強い光やイメージ(nimitta ニミッタ)の経験などを伴う。
壊滅智(bhaṅga-ñāṇa) : 生成消滅の消滅のみに注意を払い、対象の消滅と、それを観察する意識の消滅を感得。
怖畏智(bhaya-ñāṇa) : 消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を危険なものと感得。ただしその危険感覚と自己の同一化を避けることで恐れは無い。
過患智(ādīnava-ñāṇa) : 消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を、苦の集まりで、幸福はなく、無利益・不利益(過患)であると感得。
厭離智(nibbidā-ñāṇa) : 消滅の継続的観察を通して、意識(nāma ナーマ, 名)と対象(rūpa ルーパ, 色)の生成消滅現象を、魅力が無い退屈で疎ましい幻滅したものとして感得。
脱欲智(muñcitukamyatā-ñāṇa) : 上記6-8を踏まえた上で、その生成消滅現象から脱したい、自由になりたいと欲する。
省察智(paṭisaṅkhā-ñāṇa) : 瞑想を放棄せず、瞑想こそが唯一の解決手段であると考え直し、瞑想に留まり続ける。
行捨智(saṅkhārupekkhā-ñāṇa) : 現象をより深く強い注意力で、対象から完全に距離を保って平静に観察する。「中道」「空」に到達。
(諦)随順智((sacca)anuloma-ñāṇa) : 上記4-11の「八智」の集成として、涅槃(現象の停止)へと向かう。
種姓智(gotrabhu-ñāṇa) : 涅槃(現象の停止)への移行。
道智(magga-ñāṇa) : 涅槃(現象の停止)の経験。一刹那。
果智(phala-ñāṇa) : 涅槃(現象の停止)の経験。二刹那。
観察智(反省智)(paccavekkhaṇa-ñāṇa) : 涅槃(現象の停止)経験の反省(振り返り)。4の生滅智(生成消滅)から瞑想再開。
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