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新たなクエスト奇妙なフェーズ

今年からヴィパッサーナーを始めて、合宿に参加したりヴィパッサナーが日課になったりと去年とは違う生活パターンになっている。

さらに9月終盤には10年前にやり残したかも知れないクエストにつま先を入れたとたん、奇妙なフェーズに入った感じなのです。

そのクエストはかなりの覚悟が要って、準備が出来ていないのに最終チャンスという設定だったので足を入れてしまい本人は戸惑っている。

で、そのクエストは、どうやらヴィパッサーナーとも両立できなそうなのだな~

という訳で歩く道が二つに分かれてしまった。

で昨日、夢を観てやっぱり準備の出来ていないクエストはムリってことになり、ヴィパッサーナーは続けて行くとハッキリした次第です。

何故ならもともとヴィパッサーナーは終活の一環として始めて、先日のクエストは終活そのものだから選択に迷ったのかも知れません。

けれどクエストの内容が分かって、見えてる景色も少し変わったような気がするのです。

ヴィパッサーナーも終活の道具だったはずなのに、生き方や宇宙観までも変更を余儀なくされたばかりだったので、さらに新しいクエストはそれを超えた究極の真理らしいものを突きつけてくるのだから混乱するよね。

「私」というものが一番の障害である。
というのはヴィパッサーナーもクエストも同じなのだけど、

ヴィパッサーナーは少しづつやれば自然と身につく系で

クエストの方は「今すぐ死になさい」というくらい過激。
そこまでの準備は出来てない。

ヴィパッサーナーでは、釈迦の教えは科学的なので事実であるとし

クエストのほうは、思考で解ることではないらしい(禅的)

宇宙観に関してはヴィパッサーナーの基本である
釈迦の教え「一切皆苦」でさえアタマで理解したところで、
スンナリ受け入れられてない。

自分的には一元論みたいな「全部が愛」といったふんわりたファンタジーのほうが好きなんですけど(笑)

そっちはちゃんとした道もないので歩けない。
(サレンダーはムリだし)

自分の山カンでいえば解らないけれども、どちらも一緒なんじゃないかと思っていて、そんなら「道」を歩くだけだと思ったのですね。

釈迦の教えでは、非二元の一元論でさえ幻想らしくて、そこのところは禅的なクエストと似てるのですが、、、

ヴィパッサーナーを始める以前は、なんでもアリの宇宙だと思っていて、自分の主観を軸に生きていいるような「無明」だったわけですね。

今も「無明」なんだけど自覚が出来た段階。

陰謀論も、常識も、社会も、宗教も、映画も、文学も、夜見る夢も
全部同じ種類の幻想だと思っていて、

好きなだけ意味づけして、自分宇宙を楽しんで、多少の苦難は乗り越えてとお気楽でした。

今年はヴィパッサーナーを粛々と続けるにしても、新しいクエストがアタマの片隅に侵入して化学変化を起こしているというのは、奇妙な感覚だけど面白いコトになっているのかも知れません。

↓ブログの内容には関係ないけれどコパイロット
ここまでの画像を出せるのだと、ちょっと見直したよ

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