『ドント・ルック・アップ』バカでリアルな風刺コメディの演技法!
またNetflixがやってくれました!
『ドント・ルック・アップ』・・・すごくすごくリアルな社会問題を描いたバカ映画でしたw。
笑えるわ、怖ろしいわ、脚本が徹底的に我々が生きているこの世界の現実をリアルにリアルに描写しながら笑い飛ばしてゆくんですよ。上質な風刺劇です。『モンティ・パイソン』並に超意地悪な大傑作コメディでした。
そしてとにかく俳優たちの演技が最高☆
『プラダを着た悪魔』『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』に続いて圧巻の人物描写のメリル・ストリープ、そしてジョナ・ヒル、ケイト・ブランシェット、マーク・ライアンスも、まさに人物描写とは演技とはこうあるべき!というも〜ここに書ききれないくらいみなさん素晴らしかった。
この映画の監督アダム・マッケイの前作『バイス』でのサム・ロックウェルが演じたジョージ・W・ブッシュの演技なんかもそうだったんですけど、超笑えて、でもそうか、こういう事が現実に起きてるのか…と思うと同時にめちゃくちゃ怖いんですよね。
このバカ映画、それくらい人物描写がとにかくリアルなんです。
超バカで、かつ超優秀という役作り。
メリル・ストリープ演じるアメリカ合衆国大統領、最高に笑えましたよね。支持率のことしか考えてない下品で強欲な大統領・・・そんな大統領おるか〜い!と笑い飛ばしていたでしょう、世界がトランプ大統領を体験する前だったら(笑)。
トランプが大統領としてどうだったかの評価はさて置いて、そんなことよりもトランプは政治家をやりたい!という人達が何を考えているのか、彼らがどんな常識感・価値観で生きているかを非常にわかりやすく可視化してくれましたよね。
『ドント・ルック・アップ』でのメリル・ストリープの人物描写は完全にこの「トランプ以降の政治家演技」です。トランプは映画の演技の歴史にも大きな爪痕を残したんだなあ、と痛感しましたw。
そしてここが非常に重要なんですが、メリル・ストリープが演じるオルレアン大統領は決してマヌケではないんですよ。彼女は超優秀なんです。だから大統領になれたんです。
彼女の素晴らしい演説シーンを見てください、聴衆の心をしっかり掴めるパフォーマンスの数々を繰り出しているじゃないですか。まさにトランプがやっていたようなことです。ダンスしたり堂々と喫煙して見せたり「歯に衣着せず本音で話す真実の政治家。強いアメリカを先導する頼もしいリーダーで、しかもユーモアも人間味もある」という全身全霊のパフォーマンス・・・いや〜ヒラリー・クリントンが彼女くらい優秀だったらトランプに負けなかっただろうに、とか思いましたw。
そう、メリル・ストリープはもちろん笑える演技をしてるんですが、同時に超優秀な政治家・リーダーの芝居を完璧にこなしているんですよ。で、ちょっとだけデフォルメしてそれを笑える芝居にしているんです。コメディ演技かくあるべき!です。
そしてこの映画が牙を剥くのは政治家に対してだけではありません。ニュースキャスターも、IT長者も、歌の超うまいミュージシャンも、ジャーナリストも、軍人も、そして・・・主人公たち科学者たちすらも、リアルに描写することで笑いのネタにされているのです。
日米の笑いのとり方の違い。
これってアダム・マッケイ監督が『サタデー・ナイト・ライブ』のライター・ディレクターをやっていた経歴があることと無関係ではないと思います。風刺コメディが文化として根付いている米国では、たとえば『サタデー・ナイト・ライブ』などではコメディアンは政治家を徹底的に政治家っぽくリアルに演じてギャグにしてるんですよね。
日本のドラマや映画にもよくダメな政治家が出てきますが、だいたい演技のアプローチ方法としてはこれの真逆で、例えば『シン・ゴジラ』なんかでも首相をちょっとマヌケっぽいニュアンスで演じていましたよね。脚本の構造ではなく俳優の芝居として。日本の映画・ドラマではなかなか政治家や金持ちを優秀な人として描写しないんですよ。その地位に登りつめているからにはそれなりに優秀なはずなのに。
この日本式の政治家描写って、大衆の側から見た政治家の姿を真似て演じられているんですよね。ようするに「俳優コミュニティー」から見える「政治家コミュニティー」の人達の姿を真似て演じている。
テレビのワイドショーとかで首相の姿を見てると、安倍さんにしても菅さんにしても岸田さんにしても麻生さんにしても、ちょっとバカで無能に見えちゃったりするじゃないですか。アベノマスクとか、GoToとか、オリンピックとか、おいおいなんでそんな簡単なことが分からないんだよ!とか言いたくなったりするじゃないですかw。・・・だから俳優たちもそう見えるままに真似て、政治家をついついバカで無能な人物に演じてしまうんです。
ところが欧米の映画における政治家の描き方はそれの全く真逆です。俳優たちは「俳優コミュニティー」の視点から政治家たちを見ていません。俳優たちは政治のこと、政治家のことを学んで「政治家コミュニティー」の常識・価値観・人生観を理解しようとするところから始めて、「政治家コミュニティ」からの視点で役作りをしているんです。
見た目を真似るところから始めるのではなく、政治家たちの考え方・感じ方から役作りを始めています。養老孟司先生が言うところの「バカの壁」を越えて役作りをするのです。
「バカの壁」が笑いを生む。
「バカの壁」とは別コミュニティの人間たちが、それぞれの自分のコミュニティの常識で相手を測ってしまうので、お互いがお互いを「バカ」だと思いあってしまう、という現象について養老先生が名付けた言葉です。実際世界はこの「バカの壁」に満ちています。差別・分断などの現代的問題の根底には必ずこの「バカの壁」が潜んでいます。
話を映画『ドント・ルック・アップ』に戻しましょう。
ディカプリオら科学者たちが大統領に会いに行くシーン、会える前に延々と続くバカな展開も、大統領に会えた後の超ダメダメな展開も、別にホワイトハウスの人間たちが無能だからではありません。ここで描かれているのは「科学者コミュニティー」と「政治コミュニティー」の間にある「バカの壁」ごしに相手を見ると・・・お互いが「バカ」にしか見えなくなるという現象なのです。
科学者チームは大統領チームを「こんな基本的な科学的思考ができないなんて!」と呆れているし、大統領チームは科学者チームに対して「おいおい、政治の仕組みというものがさっぱり理解できてない!国を動かすには様々なパワーを味方につけてまとめ上げていかないと、大統領でさえ権力を行使できないってことがなんで分かんないかな。子供かよ!」と呆れている、その食い違いがギャグとして描かれているんです。
コミュニティが違う者同士が、自分のコミュニティの常識が世界の常識だと思って別コミュニティの人間に会いに行って、でお互いがお互いのコミュニティの常識が「場違いでくだらないモノ」にしか感じられなくて呆れまくってしまう・・・これが『ドント・ルック・アップ』のギャグの基本構造です。
そのあとディカプリオたち科学者チームは、マスコミのコミュニティに行って、彼らの大発見を世界にリークしようとする。が、マスコミの世界の人たちとの「バカの壁」で、また呆れまくることになるんです。そしてまたもやこのマスコミの人たちも実際はバカではなく、そっちの世界では優秀な人たちなのです。
科学者チームはマスコミチームの人達に「バカ?」と呆れられて、散々な目にあいます。ニュースキャスター2人の芝居、最高でしたよねw。
そのあとはビル・ゲイツみたいな、イーロン・マスクみたいな「IT長者コミュニティ」の人たちにも会いますが、またもやお互いに呆れあいます。・・・なんだか『不思議の国のアリス』とか『ガリバー旅行記』みたいですよねw。常識が違う世界を旅して大変な目に遭う物語(笑)、しかも舞台は今まさに我々の住んでいるリアルな世界です。
そしてそんな無益な争いをしてる間にも、人類を滅ぼす彗星はひたひたと近づいてきます。どこかで聞いたような、シャレにならない物語ですよね。
というわけで、この映画『ドント・ルック・アップ』、誰が見ても楽しい間口の広い映画ですし、Netflixで気軽に見れるし、全員にオススメしたい映画なのですw。
俳優さんには特にオススメ。こんなに最先端の演技がコメディの形で素晴らしい俳優たちによって縦横無尽に演じられている映画を見れるなんてなかなか無いことですから、刺激になると思いますよ。
さらに俳優さんたちにオススメしたいのは、メリル・ストリープなど俳優たちから学ぶことです。
政治家を演じるにしても、医者を演じるにしても、刑事を演じるにしても、お寿司屋さんや八百屋さんやヤンママやセールスマンを演じるにしても・・・見た目から入って役作りするのではなく、そっちのコミュニティと自分の所属するコミュニティの間にそびえ立っている「バカの壁」をひょいと越えてみて、アッチのコミュニティの常識・価値観・人生観で持って人物を演じてみるといいですよ。
『ドント・ルック・アップ』みたいに芝居が豊かに、面白くなります。きっと楽しいですよ。
小林でび <でびノート☆彡>
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