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シン・ウルトラマン@日本橋
場所柄か、客の入りはガラガラ。「トップガン」を見た直後に見たせいもあるだろうけど、特撮も演技も物語も安っぽいのにビックリ。もう少しちゃんとした映画のように思っていた。
映画が始まってすぐ、黒ずくめの「カトクタイ」の面々が登場するが、襟の流星のバッジが下品な赤と青でダサい。黒服にまるで合ってない。オリジナルのテレビシリーズの科特隊のコスチュームはセンスがあって格好よかったのに......
そもそも論として私は、O型丸出しの長澤まさみのキャラが苦手なのだ。なのに神永との擬似恋愛っぽい展開がくり返され、耐えがたいものがあった。もっと怪獣との闘いに心血を注げよ。
「心血を注ぐ」これは私の好きな言葉だ。メフィロス山本は文句なく好かった。が、ゾフィーの登場で呆気なく身を引いたのが残念。その後のゼットンとの死闘はつまらない。
この物語で問われているのは、しょせん戦っても敵わない強大な敵を前にして私たちはどうするか。いっそ主権を委ね、生存を担保してもらった方がいいのではないか?という問いである。むろん劇中の日本政府は唯々諾々として外星人からの申し出を受諾する。現実の日本政府もアメリカの属国であることをヨシ!としている。
神永ウルトラマンはそれを拒む。死を賭しても主権の至高性は守らねばならない。もし外星人の支配を受け入れるなら、ウルトラの物語など意味を成さなくなる。
主権の至高性を自ら守ることなく国家や民族の自立はない。そのことを今、ウクライナの人たちが身を以って教えてくれている。そこで問われているのは自由であり、人権であり、生存権である。これらは空疎な理念などではない。
ところが本作では、なぜ神永がその重大な決断を下すのか説得的に描かれていない。自由も人権も自然権も関係なく、人類を理解したかったとか、人類には伸び代があるとか、すべてセリフで説明してしまう。せめて長澤まさみと恋に落ちた、とか言うならまだ解る。実際にはそうではない。
外星人と取引きした他の星が滅亡を余儀なくされたとか、同様の取引きで地球人が危機に追いやられたとかいう伏線があれば納得できる。そんなエピソードがまったくない。こんなことならメフィラスを引き留めて、ゾフィーと闘ってもらえばよかったのに。それが小国の生存戦略というものだろう。