似たもの同士――『ダークレイン』@アマプラ
アイザック・エスバン監督に興味をもって、立て続けに見たけど、このアマプラ画像もひどい。こんな場面、映画にない。奇を衒った捏造である。映画のデキが酷いので、画像で釣ろうという魂胆だ。完全に釣られてしまった。怒り心頭。
1968年のメキシコの郊外。豪雨を避けて広いバス待合所に逃げ込み、そこに閉じ込められてしまった人々。いつまで待っても首都行きのバスは来ない。異変を告げるラジオ。どうやら雨を浴びると謎のウィルスに感染してしまうらしい。メキシコ・シティは大混乱……という設定にはわくわくせざるを得ない。映画も半ば白黒画面で、いかにもトワイライト・ゾーン。つかみは完璧だ。
子供のころ、やはりウィルスを含んだ雨のせいで人間がことごとくゾンビに化すというマンガを読んだことがある。主人公たちは誰もいないところに逃げようとするが、そこにも雨は降り注ぎ、やがて異変が……怖かった。名作だと思うのだが、あの頃のマンガ雑誌はもうほとんど残っていないだろう。無名作家で単行本にもなっていないと思う。何とかもう一度目にする機会はないだろうか。
それとくらべ、本作のウィルスというやつが埒もない。ひとの顔を老若男女問わず誰も彼もヒゲ面のおっさんに変えてしまうという噴飯モノの病原菌だ。怖いだろ?怖いだろ?と過剰な演出が入るたびに失笑せざるを得ない。おっさん顔に変異した登場人物たちが顔を見合わせて「ぎゃあああ!」と叫んで殺し合う。さほど不細工な面でもないのに。大げさに騒ぐなよ。
何かに似ていると考えていたのだが、「芸能人格付けチェック」のザコシショウである。有名芸能人が格落ちして最底辺に転落すると顔がザコシショウになってしまう。本作では登場人物たちがいわば皆んなザコシショウになってしまうのである!
なんでこんな失笑サイコホラーが出来上がってしまったのか。それは監督にむだな哲学がありすぎるせい。現代社会はひとの個性を失わせ、みんな同じ顔にしてしまう、という誰もが知っている「哲学」を本当に映画のなかで具現化してみせた。怖くなると計算したんだろうけど、お笑いになってしまった。
原題は Los Parecidos で、英訳は The Similars となっている。「似たもの同士」とでも訳したらいいのか。邦題の「ダークレイン」は劇中に出てくるマンガの題名で、これが物語の本筋に関わるので適訳だ。
登場人物のなかで、ひとりだけ顔を失わない子供がいて、こいつが超能力者で、諸悪の根源だったというオチには鼻白む。アイザック・エスバン、お前はアホなんか?
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