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イカゲーム@ネットフリックス
明々白々たる「カイジ」のパクリやん!と思い込んでいた。動画外道のワイは冒頭のシーンだけ少し見て、ガキんちょの遊びやん!と退屈してそれっきり。
ところが、そのすぐ後にダメ人間の主人公ソン・ギフンが競馬に興じるシーンが出てきて、そこからは一気呵成。演じるイ・ジョンジェの顔がじつに味がある。大泉洋と似ている。コメディもシリアス演技もできるタイプの役者だ。
本作の演技によりエミー賞の主演男優賞、全米映画俳優組合賞を受賞、ゴールデングローブ賞にノミネート等々と、一夜にしてトップスターに昇りつめた。「スター・ウォーズ:アコライト」ではジェダイマスター・ソル役を務めるに至るも、この作品はポリコレの行き過ぎと悪評轟轟でシーズン1で打ち切り。
「カイジ」の映画化はもうずっと前の話で、主役は藤原竜也だった。もうそれだけで予想がついて、見る気にもならなかった。演技が一面的で膨らみがなく、面白みがない。もし主役が大泉洋だったら?と思わぬでもない。これは役者だけの責任ではなく、原作それ自体がハードボイルド調で、ユーモアのセンスに欠ける。
「カイジ」はあくまで主人公のカイジの眼から見た死に物狂いのゲームの世界にすぎず、ドラマとしての広がりがない。これにたいして本作はゲームに参加する人々の個性の描き分けができていて、人間描写にリアリティがある。脱北者の存在とか、パキスタンからの技能実習生?とか、韓国独特のお国事情を盛り込んでいるのも強みだ。エンタメとして優れている。
こんな勝ち目のないゲームになんで参加するの?と誰もが疑問に思うわけなのだ。で、いちど投票して皆んなが自分の生活に還って行く。ところが、そこはゲームと同じく行き止まりの地獄。参加者はやむなくゲームに戻って来る。その過程がていねいに描かれ、説得力がある。
主人公ソン・ギフンにしても、子供時代の遊び仲間だったチョ・サンウにしても、あるいは他の参加者たちにしても多くは家族のため、とりわけ母親のために死生を賭けたゲームに参加する。儒教文化圏の面目躍如である。というか、これは東アジア文化圏の母系文化に由来するのかもしれない。
私としては韓国の年寄りを大事にする文化に感じ入った。ソン・ギフンはゲーム参加者の年寄りオ・イルナム (オ・ヨンス)と仲良くなり、このボケ老人が足手まといになるのも厭わず、共に生き抜こうとする。日本ではあり得ない。
でもこれは日本以外の東アジア文化圏ではごく当たり前のことで――というか、少なくともあり得ることで、老人というだけで毛嫌いして切り捨てようとする今の日本文化が異常なのだ。老人にかぎらず、女性や病人、障碍者といった社会的弱者にたいする差別が横行していて、そんな狂暴な社会が自壊し自滅しつつあるのは何の不思議もない。
自民党総裁選で、ある候補者が「もう一度てっぺんを目ざす」とか嬉し気にほざいていたが、てっぺんではなく底辺を見よ!それが政治家の務めというものだ、このバカものが!
本作を魅力的なものにしている要因のひとつが食べ物へのこだわりである。ゲーム参加者へ配給される食事の1つ1つがよく考えられていて、ゆで卵1個と牛乳とか悲惨なのに、やけに美味そうだ。
主人公ソン・ギフンが娑婆でたまたま老人と会う。じつは偶然ではなく、この老人が食わせ者だったと後に判明するのだが、小さな居酒屋の張り出しの小さなテーブルに向かい合い、袋入りのインスタントラーメンを砕いて分け合いながら差し向かいで酒を飲み、バカ話をする。このシーンがじつに好い。制作陣は酒飲みの愉楽をよく解っていらっしゃる。
海に落下して行方不明になる刑事や、空港からゲームに引き返す主人公とか、シリーズ2への布石は明らか。はじめから続篇ありきで作ってある。近いうちに公開されるそうで、楽しみだ。
ちなみに最後の決戦前、チョ・サンウが重傷を負ったセビョクを刺し殺すのは合理的な判断やったと人非人のワイは思う。あんな状況で人権もクソもないやろ。ふふん。
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