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『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』――アニメ作家・富野由悠季の闘い
『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』
かつてテレビシリーズで見たような記憶がかすかにあるのだが、映画版は印象が全然違う。富野由悠季はカルトの人なので、こうした小コミュニティーの自給自足的な生活を理想としていたのかもしれない。その資質がストレートに出た印象的な小品である。
無人島アレグランサ島を探索に向かった宇宙連邦軍の先遣隊が謎の全滅を遂げた。残敵がいるらしい。連邦の上層部はホワイトベースにその掃討を命じる。ガンダムを先頭に一同が調査に向かうが、島に潜んでいたザクに急襲され、ガンダムは崖から落ち、アムロは気を失って囚われの身になり、島から出れなくなる。
この時代遅れのザクを操っていたのがククルス・ドアンである。かつてはジオン軍でモビルスーツの精鋭部隊「サザンクロス隊」を率い、「赤い彗星か、ククルス・ドアンか」と噂されたほどの天才パイロットだったが、戦争の残虐さに絶望して隊を離脱、戦争孤児たちを島に匿い、自給自足の生活を送っていた。
ジオン公国はこの島にミサイルを隠し、世界の6大都市を殲滅する作戦を準備していた。ククルス・ドアンは子供たちの面倒を見ながら、一方でミサイルの信管を無効化すべく苦心していた。
アムロと連絡が取れない。このまま放置して転戦するわけには行かない。ホワイトベースは上層部の命令に逆らい、かれを探しに再び島にやってくる。
時を同じくして、ジオン軍もまたミサイル発射のためにモビルスーツ隊を派遣。小さな島でホワイトベース部隊はこれと激突する羽目になる。ククルス・ドアンはザクでかつての仲間たちに応戦、かれの人柄に感銘を受けたアムロのガンダムも一緒に闘う。
大人たちの闘いから子供たちを守る。思えばガンダムの重要なテーマの1つで、それをこれほどシンプルかつ雄渾に描いた作品は他にないとも言えよう。とはいえ、遺憾ながらオレはガキがわらわら出てくるアニメを嫌悪している。よってこの物語にはさほど感動しなかった。突っ込みどころも多い。
ただガンダムの姿を見失ったとたん、異常事態が生じているのを察知して、即座に撤退を命じたブライト隊長の判断の速さには感じ入った。
また、平和が戻った島の上空を白鳥のように舞うホワイトベースの映像は見事なもので、かつてガンダム映画でホワイトベースをこれほど美しく撮った作品は存在しないと思う。監督した安彦良和は、自分がガンダム映画を撮るのはこれが最後だと述べている。まさに白鳥の歌のつもりだったのだろう。
ガンダムとオレ
本作を見て、あらためて原作の富野由悠季に興味を持ち、ウィキを読んでみた。そして衝撃を受けた。このひとは日本における現代アニメ文化の紛れもない立役者の1人なのだと初めて実感した。なんで今さら?その理由を書く。
『機動戦士ガンダム』がテレビで放映されていたのは高校時代で、それなりに見ていたが、あまり感心しなかった。人間関係や政治性をアニメに持ち込んだのが評価されていたが、そんなん持ち込むぐらいなら、本物の文学やら世界史を勉強した方がいいやん。いっそ波動砲一発のほうが潔いやん!
それにアムロの女々しい感じと古谷徹の声が嫌いだった。その後、夏休みに総集編が必ずテレビで放映されるようになり、シャアってイケてるじゃん!と夢中になった。夏休みは必ず『ガンダム』を見ていた。シャアの雄姿を拝むためである。アムロが出て来るところは飛ばし見した。
『伝説巨神イデオン』はけっこう見ていたつもりだったが、全39話もあったとは意外。最後は訳が解らなくなって、それっきり。総集篇&完結篇も見ていない。イデオンは何といっても主題化が好い!カラオケで何度となく歌いこんできたので、空で歌えるほどだ。♪ 雄叫びが電光石火の一撃を呼ぶ~
そのうえ新興宗教との関わりを耳にして、作家・富野由悠季にたいする興味が失せた。ガンダムもやたらシリーズ化しすぎ。ある夏、全部見ようと企て、その時点でビデオ化されていた作品を早回しで全部見た。なぜそんな無益な企てをしてしまったのか、もう覚えていない。むろん作品内容も全然覚えていない。やたら爆発シーンが多かった、としか。
もうロボットアニメの時代は終わったと思っていたので、大学時代『新世紀エヴァンゲリオン』の放映が始まったときは驚倒し、熱狂した。これこそ我々が求めていた新時代のアニメだと。
そのころアメリカでブログの試みが始まり、理系の友人がその仕様をダウンロードしてくれ、そこでアニメ批評のようなものを沢山書いた。ブログのみならず、アニメをまじめに批評対象としたのは、たぶん自分が日本でいちばん早いと思う。
ぼくたちは勉強ができない
宮崎駿が屈折しまくりの機械オタクで幼児性愛の人というイメージだったのにたいし、富野由悠季のイメージとしては豪放磊落で父性的な仕事人というものだった。今回、作家のウィキを読んで初めて知ったことが多い。とりわけ印象的なのが子供時代の屈折ぶり。
小学生の頃は同級生たちから孤立していた。また、本人いわく「英単語や数字を覚えることが苦手で、あまり勉強ガ出来なかった」という。
日本の教育システムは誰もが認めるように暗記中心主義である。英単語、数字や公式、歴史における年代や人物名……ひたすら覚えないと良い成績が取れない。いちばん有利なのがいわゆる「フォトグラフィック・メモリー」の持ち主で、写真で撮るように教科書を丸ごと覚えてしまう。
1973年のアメリカ映画『ペーパーチェイス』はハーバード・ロー・スクールの学生たちの青春を描いた名作だが、この手の知性のいかがわしさを重要なエピソードとしていた。記憶力がいいだけでは論文形式のテストでは通用しない。カンニングをして人生を誤る学生が出て来る。
日本映画とまったく違って、良質なアメリカ映画は以前から「真の知性とはなにか」を問うてきた。そこではエリートたちの苦悩が描かれる。日本映画に、そうした知的エリートが登場することはめったにない。映画はたんなる大衆娯楽とされている。
試験で必要とされる記憶とはすべて「静止記憶」である。重要事項を正確に動かないイメージとして記憶する。むしろ動いてもらっては困る。それに長けた子供が選抜され、将来的に支配的な地位に就くので、社会のシステム自体が静止像により支配される。虫プロのアニメにしても、しょせんは《絵》の紙芝居でしかなかった。
流動的知性とはなにか
入社した当時の虫プロでの軋轢について、作家本人は後にこう語っている。
「アニメだって映画、動かなくてはいけない。それを止めて見せることができるという発想は許しがたかった。最初は仕事と割り切っていたが、半年もすると不満が沸いてきた。当時、虫プロで働いていたのは、映画的なセンスがない人たち。僕は映画的な演出ができる確信があったので、アニメとは言えない電動紙芝居でも、作りようはあると思うようになった。そんな体質が分かるのか、僕が演出になると、先輩から徹底的に嫌われた。『アトム』での僕の演出本数が一番になったとき、みんなの視線が冷たかった。『アトム』が終わると、虫プロを辞めた」
この回顧はとても興味深い。ひとりの天才の回りで何が起きていたのか、とてもよく解る。それは静止的記憶/知性と動態的記憶/知性との間の軋轢と葛藤である。後者はスティーヴン・ミズン(『心の先史時代』等)に倣って「流動的知性」と言ってもよい。私たちは身の回りの事象を動態として捉え、認知する。かれのいう認知的流動性とは先史時代に出現した人類特有の認知の有り方であり、それにより駆動する知性が流動的知性である。
真の知性とは動態記憶のなかに静止記憶を組み込み、活用する能力のことである。その逆では決してない。とりわけ映像により思想を表現できるようになった20世紀以来、この能力が問われるようになった。近代知により抑圧されてきた原始的な認知能力、それを介した本源的な知性の能力が改めて取り戻されるに至ったと言うこともできる。その意味では映画ないし動画こそが真の知性の発露であり、その花冠である。
日本人は相変わらず近代知を抱え込んだままである。活字こそが知性の証だと信じ込んでいる。翻訳文化ということもあってか、あちらの文化や学術を翻訳ないし翻案するばかりで、自ら新しいものを創り出すという発想がない。横文字を正確に覚え、唱え、書く。邦訳する。ここにはそもそも「暗記」にたいする疑いがない、創造的知性とは何かという問いがない。誰もが口先で暗記をバカにするが、知性において記憶が何を意味するのか、ちゃんと考えてこなかった。それが今の日本の知の惨状とつながっている。
上で見たように、すでに1973年にアメリカ映画ですら知への問いを立てていた。ヨーロッパという巨大なアルシーブを面前にして、アメリカの知識人は己の知性と記憶力の限界を嘆くほかなく、だからこそ新しい知の創造に熱意を掻き立てられた。その姿勢がハリウッド映画にも表われている。
静止記憶と動態記憶
創造性という観点から言って、上記の静止記憶と対照されるべきは「動態記憶」である。事象というものを丸ごと動画として把握する。富野は紛れもなくこっちだったようだ。こういう知能の持ち主は日本の学校では落ちこぼれる。
自分自身がそうだったので非常によく解る。暗記がひどく苦手だった。単語帳を作っても何ひとつ覚えられない。駿台予備校で伊藤和夫の講義を聴いて、英語を動態として捉えるという技法を身に付けた。というか、こっちのほうが王道なのだ。単語をつなげて文を理解するのは間違いだ。文脈の中にしか単語の意味はない。意味は文脈のなかで常に脈動していて、とどまることを知らない。すぐれた文章であればあるほど動きをやめることがない。ひとつの固定した解釈を許さない。
今にして思うと、そもそも伊藤先生自体が動態的知性の持ち主だったに違いない。英文をつねに頭から流れに即して読めと繰返し述べておられた。これにたいして高校の英語教師は辞書を引け、単語を調べろの一辺倒だった。しかも文法と単語の意味は切り離されている。生徒を前に英文を訳してみせても、本人はまったく文章の意味が解っていなかったと思う。
実写的なものへの抵抗
ひところの日本映画は、帝国大学出をありがたく押し頂き、監督に据えるという異常な組織だった。かれらが実写映画を撮るばかりか、興隆しつつあったアニメにまで進出し、これを支配せんとした。その救いがたい無能さを肌で感じ取り、これと正面から闘い、撃退し、アニメ界で勝利を収めたのが富野由悠季だったのだ。
当時、テレビアニメで評判の高かったものを再編集して劇場公開するケースは多かったが、それらのほとんどは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者が立てられていた。そのことに違和感を持っていた富野は、あらかじめ会社側に対し「将来ガンダムが映画化されることがあった際、監修者なり監督という形で外部(実写)の人間を導入するならフィルムを渡さない」と正式文書で申し立てていたため、監督権を勝ち取ることができた。
日本で映画を撮るやつは下らない。ろくでもない文学青年ばかりだ。現実を絵のように見ている。あたかも写生するかのように映画を撮る。なんのことはない、明治以来の「寛一お宮」の紙芝居だ。そんな連中にかぎって徒党を組む。群れる。本当の才能を潰しにかかる。そうしたリアリズムを金科玉条とする《実写的なもの》への抵抗こそが日本アニメの隆盛を生み出した。
宮崎駿は自分で動く絵が描けたし、もとよりインテリだったので、富野が味わった類いの苦労など感じることがなかったろう。富野は絵が描けない。脚本と絵コンテで勝負するしかない。できあがってきた作品にたいして「これは動いていない」と言葉で指摘するしかないが、動きとは何かを言葉で表現するのはきわめて難しい。相手はケチをつけられたと錯覚し、逆恨みされる。「オレの絵は上手い。何の不満がある?」と相手は自信満々だ。
そんな連中は、アニメは《絵》であってはならない、という根本的なところが解っていないのだ。アニメは絵――すなわち静止画像であってはならない。上手い絵など必要とされない。
アニメーション――動態としての作品のために
このことを巧みに表現している方がおられた。
その元来動態であるものを、堰き止めるものがある。堰き止めることが「作品」を成すのだと誤解している方々もおられるが、たとえば、ある一枚の絵であれ、それは動態である。それを固定態とみなすのは、絵を「絵」として観る方々だろう。ある一枚の絵もそこで動く。その動きに身を寄せるならば、そう。
— 百瀬 雄太 (@nekohashiru) September 6, 2023
絵画は本来、止まっているものを描こうとしてきたのではない。活きて動くもの、それゆえ聖なるものを対象としてきた。むしろごく最近の19世紀の写真の誕生で、静止像という観念が生まれた。目の前で起きている現象を固定態と見なす観点が成立した。
絵画を写真の延長として見る。そんな見かたが深く内在化してしまったので、逆に写真的な静止像を絵画に刻印しようとする画家が現われた。そこに成立するのがリアリズムで、これは何度となく否定されても蘇ってくる。目の前の像を固定態として捉える。そこにしかリアリティを感じられない。そんな倒錯である。
20世紀になると映画が誕生する。上記の静止画愛好家は、静止像をフィルムに連ねたものが映画だと信じ込もうとする。一見すると動いているように見えるが、分解すると一枚一枚が独立した《絵》なのだ、と。そうではなく、映像とは静止像に分解し得ない運動態なのだ。
動いているものこそがリアルである。止まったものは死んでいる。ところが動くものは自分の手をつねに逃れる。止まった像は自分のモノにしやすい。ゆえに死体をこそ愛好する、ネクロフィリア(死姦癖)が至るところで広がっている。
そんな死体愛好家が映画のみならずアニメにまで魔手を伸ばそうと迫ってきたとき敢然と闘ったのが宮崎駿であり、富野由悠季であった。かれらが子供を主人公にしたり、子供を好んで描くのは、アニメというジャンルが子供向けの商売だからでは必ずしもない。子供こそが動くことを知っている。動くものの中で、自らが運動そのものと化す。そこにこそ命の輝きがあることをアニメ作家は知っていたのだ。
ジオン公国と宇宙連邦の闘いなど上辺だけのものにすぎない。両者とも世界の覇権を争っているにすぎない。これにたいして真の栄光は動き、働く者、己の分に合った日々の生活を大事にする者にのみ宿る。ククルス・ドアンが覇権を争う者たちから子供たちを守ったように、富野由悠季は自らの作品を守った。日本アニメーションの理念を守ったのである。