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生来の資質



 宮地嶽神社には七夕祭りの飾り付けが施され、境内は爽やかな風がそよいでいる。中でもたくさんの風鈴が吊るされた小道は、風が歌うように通り抜けていく。

 梅雨に入ってから福岡県内では毎日のように雨が降っている。浸水被害が出ている地域もある一方で、田畑の作物や草木にとっては恵みの雨となる。雨が降るという状況は中立だが、立場や結果によって受け止め方は様々。

 私たちの日常に次々と押し寄せてくる出来事、膨大な情報、問題課題、そうした嵐のような社会情勢も、解釈や判断は千差万別だ。



 3次元の物質世界では、時間が過去から現在、未来へと流れていく。原因があって結果があるという世界だ。4次元世界になると、過去現在未来という時間的制約から解放され、自由に行ったり来たりできるらしい。

 先週のある朝、明け方近くに浅い夢を見た。うちのカミさんが道を歩いている後ろ姿が見えた。すると、いきなり足元をツルンと滑らせて仰向けにひっくり返ってしまった。

 「後頭部を打っていたらヤバイ、すぐに救急車を呼ばなきゃ」
と思った瞬間、そこで夢はパタンと終わった。

 それから数日経った頃、カミさんが突然こう切り出した。
 「今日ワタシね、職場の濡れた廊下でツルンとひっくり返っちゃったのよ~」

 「ええ~っ⁉ それでどこか痛めなかった?」

 「それが全然。うまくふんわり着地して、どこも痛くなかったの。」

 「数日前にその夢見た。歩いている後ろ姿を目で追っていると、突然すってんころりんしたんだ。あれは正夢だったのかあ。」

 ふわっと浮かんだように倒れて全身が均一に着地したという。この「ふわり着地」、実は自分も同じ経験があるので、その感覚がよく分かる。

 30年位前のインドでのこと。ピカピカの大理石の廊下に水を撒いて掃除しているところを通りかかった際、いきなりスッテンと仰向けに転んでしまった。ところがふわりと浮かんだように着地した。どこも打たず、まったく痛みがなかった。気づいたら廊下の上に仰向けに横たわっていた。

 カミさんが滑って転ぶという夢を見たのも、自分の過去に滑った経験があった為に、その記憶と同じ周波数の「未来の記憶」と夢見の中で同調し、事前にキャッチしたのだと思う。





 「予知夢」と言えば、最近巷で話題の漫画家たつき諒著「私が見た未来」という本が興味深い。

 すでにご存知の方も多いと思うが、たつきさんは「大災害は2011年3月」という日付けと大津波を夢で見て、それを事前に漫画の表紙に書いていた。東日本大震災はまさにその月に起こった。この本の中ではこれまで見た数々の予知夢を書き綴った手書きの夢日記も公開されている。

 ところが、この本の最大のトピックは2025年7月5日午前4時18分に起こる巨大な隕石落下による天変地異についての予言。今からちょうど約1年後だ。

 またこの予言は日本を代表する理論物理学者保江邦夫氏が、動画サイト「ナオキマンショー」の中で同じ見解を示したことでも話題となっている。どうやらNASAにおいても計算によって割り出した科学的根拠があるらしい。

 さらにnoteでもこの件に関しての投稿がすでに200件近くもある位だから、その注目度は半端ない。

 これまで世間を騒がせた予言と言えば、ノストラダムスの「1999年の大予言」、ニューエイジムーヴメントの「2000年のフォトンベルト」と「2013年地球のテレポーテーション」等々。いずれも言われていたような大事件は何事も起こらなかった。 

 来年起こるとされているたつきさんの予言も当たるかもしれないし、外れるかもしれない。
 但し、かつて古代において海面が100メートル以上上昇する天変地異が実際に起こっている。そのことだけはしっかり頭に入れておきたい。


新潟県沖の海底地形には天変地異によって沈んだと思われる大河の蛇行跡が残っている。
Google Map


 人生では、身の回りの環境や人間関係、仕事、旅先などにおいて、偶然起こったように見える様々な出来事が起こり続ける。
 また思い描いていた夢や希望が実現しなかったとしても、それが起こらなかったことが自分にとっては必要だったり、或いはどう転んでも結局最後は巡り巡ってその結果に行き着いていただろうと思うこともある。それを私たちは「運命」とか「宿命」と呼んでいる。

 しかしそうした経験は、良い悪い、好き嫌い、幸せ不幸せなどの二元性マインドを超えて、「普遍的なるもの」を紐解くギフトになると思う。

 その上で、私たちは「魂のブループリント」というものを携えて、この世に生まれてくるという説がある。

 次の人生ではどのような生涯を送りたいか、どのような経験をしたいか、おおよその「設計図」を予め自分で設定した上で生まれてくるという。そこには自分の魂が成長するために、最も相応しい「気づき」が起こるような環境とタイミングを自ら選んでいるという魂レベルの意図がある。

 占星術では生まれた日時の天体の配置が、人生の傾向や流れを決めていると解釈している。

    対してこの魂のブループリントの考え方では、天体の配置を選択したのは自分の魂だというニュアンスが付け加えられ、決して受動的に生まれてきたわけではないという意味合いに変わる。

 その代表的な例として、親は子供を選ぶことはできないが、子供は親を選んで生まれてくるということが挙げられる。
 能動的に両親を選んで生まれてきたという視点に置き換えてみた時、自分の家庭環境はいったいどのようなものだったのかという目線で捉えるのではなく、自分はいったい何を学ぼうとしてその家庭に生まれてきたのかという意識に変わる。




 3次元の物質世界では、目の前に流れている川に身を任せて漂っていくように時は流れていく。

 では4次元世界ではいったいどのように見えるのだろう。魂のブループリントに沿って経験する出来事とは、「未来の記憶」が上流から流れてきて、それを待ち受けてキャッチするように見える。

 しかし最も重要な点はここからだ。
 生まれる前に自分の未来の記憶を設定することができるならば、生まれた後でも同じように未来を再設定することができるはずではないか?

 4次元世界では時間の概念が変わり、自由度が増す。過去や未来を行ったり来たりできるらしい。過去の記憶を再体験し、理解を深めることもできる。未来の記憶も新たな書き換えが可能だと分かってくる。そして実際にその通りになる。

 将来の生活への不安や心配がベースとなってあれこれ策略を練ったとしても、無意識の力は絶大なので、やがてその策略がうまくいってもベースにある不安や心配は消えることがない。
 将来の自分が普遍の愛と希望の光に満ちていると確信していれば、不安や心配することは何もなくなる。将来においてもそれが現実化することになる。

 隕石落下、第三次世界大戦、貨幣経済の終焉、シンギュラリティ、グローバリストによる世界征服。次から次へと待ち受けているこれからの世界への不安と心配。

 その中で私たちにできることは、一年後、十年後、百年後の世界が愛と平和に満ちているという未来の記憶に再設定すること。
 「生きる喜び」とは、決して夢物語などではない。
 私たちの誰もが持っている「生来の資質」なのだ。








宮地嶽神社 七夕祭り


































Wishes
JM Professor



ありがとうございます

Chao!
(宮地嶽神社のフクロウカップル「モーちゃん」と「マーくん」)





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燿
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