束の間のサンクチュアリ
数年前にカメラを買ってからというもの、休日の散歩には必ず持ち歩くようになった。フルサイズではなく、ひと回り小さいAPS-Cというカメラだ。大きな写真に引き伸ばさない限り、このサイズで十分な性能を持っている。
主に近所の公園でのウォーキングがてら草花などを撮っていたが、最近は野鳥や昆虫なども撮ることが増えた。
還暦を迎えると急に写真撮影や野鳥観察などの趣味を始める人が多いらしいが、そんなブームに乗っかっているようで、いささか気恥ずかしい思いがしてくる。加えてこの歳になるまで、野鳥や昆虫の生態どころか名前もろくに知らなかったという事実に直面し、少々面食らうことにもなった。
野鳥に惹かれるようになったのは、見出し写真に写る一羽の野鳥を撮影してからだ。それ以前も目に止まる野鳥を何気なく撮ってはいたが、普段よく見かける留鳥ばかりだったせいか、さほど興味が湧かなかった。
ところがある日突然その鳥が目の前に現れた。
冬の早朝だった。カミさんとベンチに腰かけて、手製のサンドとコーヒーをとっていると、すぐ横にある樹木の支柱にピョコンと一羽の小鳥が留まっていた。昇ったばかりの朝日に照らされて、眩しく黄金色に輝いていた。
支柱の上で遠くを見つめて、尾を上下にぴょこぴょこ動かしている。
小さな声でジッ、ジッ、と鳴いている。可愛い鳥だなあと思った。
至近距離で周囲を飛び回っていた。それを見て最初は好意を持ってそばに来てくれたのかなと図々しく誤解したのだ。慌てて写真に撮り、後で調べるとメスのジョウビタキだと分かった。バードウォッチャーには人気の野鳥らしい。
それがまた別の日の早朝にも、そのベンチに座るとそのジョウビタキは再びやってきた。
いったいどういうことなのか?
生態を調べると、ははーんと分かった。
縄張り意識だ。そのベンチ一帯は彼女の縄張りだった。
「ここはワタシの場所。
あっちに行ってくれないかしら?」
他の鳥がその縄張りに入ってくると、たとえ体が自分より大きくても、猛然と追い払おうとする姿を後に目撃したこともあった。
可愛い顔して、けっこう強気。
小悪魔みたいだ。
堂々として、腹が座っている。
しかも遠く大陸から初冬に日本海を超えてやってくる渡り鳥だという。
えっ、こんな小さな体で?
ジョウビタキって、すごいな。
野鳥の魅力に絡め取られた瞬間だった。
そんな出会いがあってから、いろいろな種類の野鳥に意識的に出会い、また夢中に写真を撮るようにもなり、見方付き合い方が随分変わった。
ほんの数種類しかいないと思い込んでいたこの公園にも、撮った写真と図鑑を見比べて調べたら、20種類以上もの野鳥が生息する楽園だったということが分かった。
それまで単なる休日のウォーキングコースに過ぎなかった公園が、姿は変わらず中身が命あふれる森に激変した。
風に揺れる木の葉のかすれる音の狭間に、遠くから鳥の澄んだ歌声がピュルルッピュルルッと漂ってくる。
導かれるように、小枝や草をかきながら、森の中へとすすっと分け入って行く。
森の匂いが満ちてくる辺りで、一本の太い幹にもたれかかる。
じっと、ただ耳を傾ける。
森を抜けてゆく風の音と、高く澄んださえずり。
静寂の中に、瑞々しく響き渡る命の息吹。
時々野鳥が向こうから近づいてくる。
いつもは人影をちらっと見ただけで、あっという間にどこかへ飛んで行ってしまうのが野鳥たちの常だが、木と同化するように地味な色の服を着て、じっと立っていると、こちらの気配にまったく気づかずに、すぐ近くまでやってくる。
目の前の枝から枝へと目まぐるしく飛び回り、或いは地面に降り立ち、餌となる虫や木の実を探し続けている。
先日も、20羽を超えるような野鳥集団に360度囲まれることがあった。
いくつもの異なった種類の野鳥が混在して移動している。
巣立ったばかりのエナガ、シジュウカラ、コゲラの混成チームだ。
手のひらにすっぽりと収まるくらいの小さな体に、まあるくて小さい頭、その中にちょこんとついたちんまいくちばし。
大きくクリクリとした黒い瞳。
爪楊枝ほどの細い脚。
その先には目には見えないほどの小さな爪がしっかりと小枝を掴んでいる。
ジッ、ジッとか、チュチュとかさえずりながら、枝から枝へと忙しく飛び回る。
幹や枝をつつき、虫を食べ、花の蜜を吸い、さかんに羽繕いし、仲間同士でじゃれ合い見つめ合い、時には静かに遠くを見つめていたりする。
そんな光景の只中にいるとだんだん、まるで彼らの仲間に加わったかのような奇妙な錯覚に巻き込まれてくる。
森の精霊たちの無邪気で賑やかな宴会。
いったいどれだけの時間が経過したのかわからなくなるような、ゾーンにすっぽり入ったような異次元感覚。
過去は消え、未来も消える。
「ただその瞬間に在る」という野生のエッセンス。
懐かしいような、きらめくような。
幼児時代の無垢な遊びに耽るひとときのような。
そうか。
幼い時の遊びは単なる暇つぶしなんかじゃない。
野生のエッセンスを味わっていたんだ。
生存の原初的なあり方を学ぶレッスン。
遊びの中で手足を使い、体全体を動かすことで、地球上の様々な法則に適応してゆく術を身に着けようと全身で学習していたんだ。
過去はなく、未来を思い煩うことなく。
その瞬間、あるがままに。
気がつくと、宴会の賑わいはゆっくりゆっくりと隣の、そのまた隣の木へと移ろいながら、いつの間にか深い森の闇へと遠ざかっていった。
後に残るのは、森の静寂と風の音。
再び森を抜け、元の遊歩道まで戻ってくると、すれ違う見知らぬ人がこんにちわと挨拶の言葉をかけてきた。
慌ててぎこちなく挨拶を返す。
さっきまでの宴会が懐かしい。
森の精霊たちにとっては日常のサンクチュアリ。
人にとっては、束の間のサンクチュアリ。
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