和火
珍しく風が止んだ先夜、夏の間に買っておいた線香花火にようやく火を点けた。
昨年、子供の時以来50数年ぶりに、その美しい火花を見て、年に一度のささやかな我が家のイベントにしようと思いついた。
今回の線香花火は製作者は同じでも種類が別。値段がやや高くなる分、より繊細な光跡を見ることができる。
時期外れかもしれないが、製作者の話によれば、最も美しい光が見れるのは気温が低くなるこれからの季節とのこと。
江戸時代から続く伝統花火『和火』の光は、小さな庭先の暗闇を、祈りの儀式にも似た静謐な場に変えてくれる。
目の前には、ただ光の花だけが見える。
ほとばしる繊細な光跡が描き出す、僅か数分間の小宇宙。
誰も姿形を予想することができない直径数センチの瞬間芸術。
周囲の風景はすべて闇の中へ溶けてゆく。
魔法のような小さな光の乱舞に、花火師が込めた熱き想いとはいったい何か。
花火大会で打ち上げられる花火のほとんどは、明治維新以降に海外から伝わった「洋火」。
様々な金属化合物と薬品、火薬とを混合させた原材料を使うため、色彩豊かで明るい光が大きく弾け飛ぶ。
線香花火に使われる「和火」は、江戸時代から始まった日本の伝統製法。
火薬の原材料は木炭、硝石、硫黄のみを混合した「黒色火薬」が使われる。
和火の打ち上げ花火を、一度地元の花火大会で見たことがある。
コンピュータ制御によって豪華絢爛に打ち上げられる洋火の中にあって、音や光度、高さも控え目な赤褐色の和火は、まるで西洋庭園の片隅にひっそりと咲く小菊のような、慎ましやかなものだった。
花火の原料となる火薬の起源は、7世紀まで遡る。
不老不死の霊薬を求めていた唐の練炭術師が、薬剤として使われていた木炭、硝石、硫黄を混合すると、偶然「火の薬」になることを発見した。
やがて火薬は武器として利用され、十三世紀には商人を通じてイスラム諸国や欧州へと伝わった。
花火が打ち上げられたのは、十四世紀後半、イタリアで王侯貴族の結婚式や戴冠式で使われたのが始まりだ。
日本で初めて火薬が使われたのは、文永11年(1274年)のこと。蒙古軍が来襲したときに使用した武器によるものだった。
火薬はその後、戦国時代から火縄銃として全国に普及。
戦国時代が終わり、武器使用の必要性がなくなった江戸時代からは、火薬製造技術は花火作りへ引き継がれてゆく。
国内での打ち上げ花火は、享保18年(1733年)から始まる。
当時の八代将軍徳川吉宗が、飢饉や疫病により多数の死者を出した江戸の民の鎮魂のために、隅田川で水神祭を催した。
そこで披露されたのが、国内最初の打ち上げ花火だった。
鎮魂のための花火。
その背景には、日本独自の伝統文化がある。
古来日本では、太陽や火を信仰の対象としてきた。
神道で最初に生まれた神とされるイザナギ、イザナミの子「カクヅチ(迦具土命)」は火の神であり、そこから多くの神々が生まれたとされている。
火は邪気を祓い、心を癒す聖なる力を持つとされ、崇められてきた。
その一方、お盆という先祖供養の行事では、先祖や亡くなった人々の精霊が、迷わずに戻ってこれる目印として迎え火を灯すこと、またお盆を一緒に過ごした霊が、無事にあの世に戻れるよう願いを込めて、送り火や火祭りなどが炊かれる。
花火作りの伝統には、火を神聖なものとして崇めた日本古来のアニミズム信仰と、仏や先祖を崇める信仰とが融合した、神仏習合の歴史が刻み込まれている。
世界にも、火や光をモチーフとした神話や宗教が数多く存在する。
拝火教として有名な、古代ペルシャを起源とするゾロアスター教は、紀元前7世紀頃、始祖ツァラトゥストラが、アフラ・マズダー(太陽神)を最高神として創設した。
神殿では、光(善)の象徴として、アフラ・マズダーの息子とされる火の神「ア―タル」が崇められる。
神殿に偶像はなく、その代わりにツァラトゥストラが点火したとされる永遠の炎が消えることなく燃え続け、信者はその炎のア―タルに向かって礼拝する。
ア―タルは人間に知恵と安寧をもたらし、世界を邪悪から守護する「勇敢で善き戦士」として崇拝されている存在だ。
インド神話に登場する火の神「アグニ」もまた、ア―タルと起源を同じくする伝説の存在。
アグニは地上の人間と天上の神との仲介者。儀式では供物を祭火たるアグニに投じることによって煙となり、天に届けられ、天の神々はアグニによって祭場へ召喚される。
太陽、稲妻、家の火、森の火として世界に偏在し、また人の心の中では、怒りの炎、思想の火、霊感の火として存在する。
アグニの思想はその後、仏教伝来と共に、日本に渡った。
比叡山延暦寺の根本中堂に祀られる「不滅の法灯」は、その代表的存在。
これは天台宗の開祖「最澄」が、本尊の薬師如来を祀った時に灯したと言われる。以来1200年以上途絶えることなく僧侶たちによって守り続けられている。
灯火の燃料は、皿の中に毎日朝夕に注がれる菜種油。ことわざの一つ「油断大敵」には、この不滅の法灯から生まれたとする説がある。
チベット仏教では、僧侶が臨終を迎える際、高僧から耳元で言葉が囁かれる。
死にゆく者は、十分に目覚めた状態で死ぬことが求められる。
死後数日の間は、神々しいクリヤー・ライトの中に留まるようにと告げられる。
この光に包まれる状態に留まることができたとき、肉体を離れた魂は垂直軸を辿って、ブッダ・フィールド(仏界)へ到達できる。
この神々しい光に恐れをなして逃げてしまうと、段階的に光量が落ちた光が次々と現れ、それぞれの光に応じた次元の世界へ生まれ変わるという。
火は破壊と創造の二面性を持つ。
火薬を武器に使うこともできれば、花火を作ることもできる。
兵器とは、敵対する相手を威嚇する道具として、また直接排除する武器として使われる。
それは「自分が生き残りたい」という思いの具現化であり、その背後には、自分がこの世からいなくなることへの恐れ、すなわち死の恐怖がある。 相手から遠く離れた安全な場所から攻撃しようとするのはそのためだ。
私たちは、何度も何度も地上に生まれ変わり、様々な人種や国家、民族、性別、身体状況、境遇を経験している。
今日闘っている相手が、前世では家族や友人だったり、また今日の仲間が、前世の敵だった可能性も大いにあり得る。ある人生では裕福な生活を送り、別の人生では貧しい暮らしに耐えなければならない。ある時は美しく健康な身体を持ち、別の時はそうではないこともある。
その全体像を見れば、そこには勝者敗者もなければ、いい悪い、成功も失敗もない。振り子のような経験を積み重ね、この世で最も大切なことは何かを知ることができたとき、振り子は静かに止まるように見える。
線香花火の中心にある小さな発火点は、宇宙の始まりにあった原初の光を彷彿とさせる。
その小さな光の一点から、万物は創造された。
万物の一つ一つには、目には見えない「永遠の光」が、命の息吹きとして宿っている。
人間の場合、この命の息吹は臍の下数センチのところに位置し、一生の間、誰もが正確に100秒周期で明滅のリズムを刻んでいる。これは自分では感じることはできない。手のひらの感覚を研ぎ澄ませれば、他者の仙骨において感じることができる。それは実に神秘的なリズムである。
和火の光から解き放たれる癒やしの温もり。
浄化力、安らぎ、そしてその静けさ。
それらは、私たちの心の奥深くに秘められたものと響き合う。
日本の花火師たちが魂を込めて作り続けている和火。
その想いは「祓い・癒し・鎮魂」。
自らの内に「永遠の光」が宿っていることへの感謝を、炎や光に託して天に届けるささやかな祈りのひとときは、信仰のあるなしに関わらず、素朴な神聖さの伝統として、今も日本人の心の中に息づいている。
もしかしてその想いとは、太古の昔、竪穴住居に暮らす家族が寄り添い、部屋の片隅にこしらえた「かまど」に燃える小さな炎を夜ごと見つめていた、その時の想いと同じものかもしれない。
縄文時代に生きた人々の多くは、鬼界カルデラ大噴火を契機に住処を追われ、ある者は大陸へと渡り、様々な古代文明と、信仰心の礎を築いてきた。
ツァラトゥストラや、古代の火の神の神話を作った人々は、実は縄文人だったという可能性も否定できないだろう。
やがてその数千年後に、その末裔たちが日本に伝えた信仰心とは、同じく炎の光に感謝と祈りを捧げるものだった。
古代から日本に残る心の伝統と、末裔たちの心の伝統とが出会い、光の中で再び一つに溶け合う。
そのとき和火は「永遠の光」の写し絵のように輝く。
瀬織津姫
Akiko Akiyama Piano Relaxing