有明のジョナサン
九州南部巡り旅②
後ろ髪を引かれるような思いで長崎を出発し、次なる目的地鹿児島市へと向かう。途中どうしても寄りたい場所が一箇所あった。鹿児島県出水市だ。しかしながらここでのことは次回の投稿記事に書きたい。その前にもう一つ投稿したい話題がある。これは当初まったく予定外だった。それは有明海のカモメである。
長崎から出水へ向かうルートをナビで検索すると、一旦佐賀まで戻り、諫早湾の外側をぐるりと廻って熊本経由で鹿児島に向かうという、ほとんど高速道路を走るだけのルートが表示される。それではあまりにも面白くない。他にないだろうかと地図を見ていると、島原から熊本まで有明海を横断するフェリー航路があるということがわかった。
迷わずこれに決めた。
左手に静かな諫早湾を眺め、右手には雲仙岳の険しい稜線を見ながら島原半島の田園風景の中をひた走ること2時間半、やがて有明海に面した島原港に着く。街の背後には七面山の切り立った山がそびえ、その背後には火砕流の爪痕が生々しい普賢岳の山肌が見える。
フェリー埠頭のゲートに乗り入れると中年の男性職員が近づいてくる。
「予約していないのですが乗れますか?」
と尋ねると、
「はい、大丈夫ですよ~」
と優しい応対が返ってくる。忙しそうなのに。
長崎で出会った人たちは女も男も皆柔らかい。
着いて15分後にはもう出港していた。
客室はそこそこ広かったが、初めて見る有明海をじっくり眺めたいとデッキに出る。しかしそこに思わぬ光景が待っていた。
カモメの大群である。
フェリーの周囲を数百羽もいるかと思われる、ものすごい数のカモメたちがギーギー鳴きながらグルグルと旋回していた。その理由はまもなくして分かる。乗船客の十数人がデッキから海に向かって餌を投げ込んでいたのだ。すると着水する前にカモメたちは口ばしでそれを見事にキャッチしていた。中には指先につまんだ餌をそのまま直接ついばむカモメもいる。仲間よりも先にゲットしようとしているようだ。
このカモメたちは秋から春にかけて越冬のためシベリアなどから有明海に飛来してきた渡り鳥だった。そして連絡船の乗務員が20年ほど前に餌付けに成功して以来、乗客が餌を与えるということが有明海の冬の風物詩となった。カモメのエサ用として防腐剤無添加の「かもめパン」がシーズン限定で船内で販売されているが、埠頭の売店でエサ用として「かっぱえびせん」も売られているとのこと。
それがカモメの体にいいものなのか分からないが、見ていると喜んで食べている様子なので、大丈夫なのかもしれない。
しかし何故カモメたちは乗客からの餌をもらうことにこれほど必死なのか。
もしかしたら有明海に生息する餌がないのだろうかとふと思った。有明海の水産資源の水揚げ量を調べると、1980年代を境に確かに減少していた。種類によっては増加しているものもあるが、全体としてはかなり少ない。
ただカモメは海の魚だけを主食にしているわけではないらしい。
かっぱえびせんは大好物だった。
よっしゃ!がんがん食べてくれ。
そして春には再び元気でシベリアまで飛んでくれ。
秋にはまたかっぱえびせん食べに来い。
島原港を出港したフェリーは対岸の熊本港を目指してゆっくり進んでゆく。
所要時間はちょうど1時間だ。有明の海は波もなく穏やかだった。新春の陽の光が眩しく海面を照らす。まったく揺れることがなく、静かに海面を舐めるようにフェリーは走る。
島原港では数百羽ほどの群れに囲まれていたのが、時間の経過と共に少しずつ数が減ってゆく。
航路の半分を過ぎた頃には、半分ほどに。そして熊本に近づいた頃にはほんの数羽しか飛んでいなかった。だがその数羽のカモメは餌を狙うのではなく、フェリーに並走するようにすぐ横を飛び続けていた。
その姿を見て、昔高校生の頃読んだリチャード・バックによる寓話的小説「かもめのジョナサン」のことを思い出した。その本は当時希望が持てない不安定な頃の自分にとても強いインパクトがあり、貪るように読んだものだった。1970年に出版されてから今日に至るまで世界中で4000万部を売る大ヒット作品となり、日本でも270万部を売った。
有明の海を飛ぶ数羽のカモメもまた、自由を楽しんでいるように見えた。空高く舞い上がったり、海面ぎりぎりのところを一直線に飛んでみたり。
群れから離れ、孤高の飛翔に没頭する様はまさにカモメのジョナサンだった。
その姿は実に美しく清らかで力強かった。
次回九州南部巡り旅③へと続く。