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眼差し
「石田は始て目の開いたような心持がした。そして別当の手腕に対して、少からぬ敬意を表せざることを得なかった」
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明治の文豪森鴎外(1862−1922)は、一時期、小倉(現北九州市小倉北区)に暮らしていたことがある。
1899年(明治32年)6月に軍医監(少将相当)に昇進した鴎外は、同年6月、第12師団軍医部長として東京から小倉に赴任。最初に住んでいたのは、明治30年頃に建てられた、六間から成る町屋形式の日本家屋だった。
築後間もないこの家に鴎外は約1年半住み、その後近くの京町に転居。短編小説「鶏」では、最初に暮らしたこの家での出来事がモデルとなった。
現在この家は、北九州市指定文化財として、一般に無料公開されている。
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鴎外は自宅からここまで約2キロの道程を
馬に乗って通っていた
馬は横浜から船で移送し、自宅の馬小屋で世話をしていた
小倉に赴任した当時、鴎外は37歳。それまでの経歴を見ると、すでに様々な経験を通り抜けてきたことが窺える。
東京医学校本科を卒業後、医者や軍人になることは考えず、物書きを夢見ていたが、結局は陸軍軍医として任官。その後、ドイツ留学を経て、陸軍軍医学舎の教官、東京美術学校の講師などを歴任。同時に数多くの文筆活動や外国文学の翻訳の他、日清戦争後に日本に割譲された台湾での勤務などにも携わっている。またドイツ留学時代には、生涯忘れることができない女性との出会いもあった。
そうした経緯を経た後に、鴎外は新天地「小倉」にやってきた。
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赴任当時、鴎外は離婚し独身だった。この家では使用人を雇っていた。
鴎外の性格は一説によると、
几帳面で礼儀を重んじる一方、エリート意識が強く、出世に対して貪欲な面もありました。家族や友人たちからは、その誠実さと丁寧な振る舞いで愛されていました。また、園芸を趣味とし、無類の花好きとして知られており、自宅の庭に花園を作っていました。『舞姫』などの著作には400種類以上の植物が登場し、四季折々の草花や珍しい植物を丹精込めて育てる姿勢に、彼の几帳面な性格が表れています。
神宮寺 葵 https://mindmeister.jp/posts/moriogai
しかしここで出会った人々はまるで違っていた。使用人は悪知恵を働かせて物をくすねたり、近隣住民は訳の分からない方言で不満をまくし立てたりする。これまで出会ったことのないタイプの人間たちを相手にする生活は、さぞかし頭を抱えるような出来事の連続だっただろう。
ところが主人公「石田」は、必要な策を講じることに腐心してはいるが、至って冷静な眼差しを彼らに向けている。怒ったり非難したり、或いは言い返したり一切しない。
実際はその逆に、己の心の内を静かに見つめ、やがて意識の在り方そのものに眼差しを向けていたのではないかと思われる。それまで無意識の内に繰り返してきた言動と意識に、はたと気付かされ、そして目を開いた。
「石田は始て目の開いたような心持がした。そして別当の手腕に対して、少からぬ敬意を表せざることを得なかった」
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こうした鴎外の心境について、ウィキペディアでは文芸評論家田中美代子氏の解説を交えて、次のように述べている。
後年、小倉時代を素材にした短編小説『鶏』で表れたように、田中美代子は、小倉での生活によって「それまで一途に中央志向に凝り固まっていた鷗外は、だが次第に、日本の懐深く息づいている土着の魂というべきものに目覚めていったのではなかろうか」と指摘した(森鷗外 (1996)、「解説」)。
また、「上京して以来、(中略)ドイツでの留学生活を除いて、鷗外の生活の場であり続けた東京と比べると、人々の生活・行動規範が緩やかで、ある意味で自由奔放な北九州のローカル都市・小倉と、そこで生活する人々の生活風俗は、鷗外にとって異質で、新鮮な世界を意味していた」(末延 (2008)、112、114頁)。
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「日本の懐深く息づいている土着の魂」、或いは「人々の生活・行動規範が緩やかで、ある意味で自由奔放」ということに関しては、ふと思い当たる節がある。時代背景は当時とはまったく異なり、気質も違うが、数年前に自分も北九州に移住し、この地の人々には驚きを感じることが度々ある。
特に初対面の人と出会う際に感じる印象が新鮮である。老いも若きも、まるで顔見知りのように人懐っこく、ごく自然に会話が始まる。言葉と一緒に伝わってくる感情表現が豊かで、気持ちの風通しがすこぶる良い。仮面を被ろうとしたり、身構えたりする気配がない。相手が何を考えているのか詮索したり、空気を読むといった余計な気苦労を必要としない。心理的距離が近く、尚且つ自然体。初対面の時によくある緊張やストレスを感じことがない。
これが現代の北九州である。鴎外がいた頃は、こうした気質がもっと濃厚だったのではないかと思う。
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新天地小倉での2年9カ月に及ぶ暮らしを終え、鴎外は再び東京へ戻る。そこで再婚相手と出会い、新しい生活が始まる。小倉での経験がその後の人生にどのような影響があったのか。ウィキペディアには更に次のような解説が書かれてある。
小倉時代に「圭角がとれ、胆が練れて来た」と末弟の森潤三郎が記述したように、その頃の鷗外は、社会の周縁ないし底辺に生きる人々への親和、慈しみの眼差しを獲得していた。
私生活でも、徴兵検査の視察などで各地の歴史的な文物、文化、事蹟と出会ったことを通し、特に後年の史伝につながる掃苔(探墓)の趣味を得た。
新たな趣味を得ただけではなく、1900年(明治33年)1月に先妻(1889年に結婚して翌年離婚)であった赤松登志子が結核により再婚先で死亡したのち、母の勧めるまま1902年(明治35年)1月、18歳年下の荒木志げと見合い結婚をした(41歳と23歳の再婚同士)。さらに、随筆『二人の友』に登場する友人も得た。1人は仏教曹洞宗の僧侶玉水俊虠(通称「安国寺」)で、もう1人は同郷の俊才福間博である。2人は鷗外の東京転勤とともに上京し、鷗外の自宅近くに住み、交際を続けた。
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「几帳面で礼儀を重んじる一方、エリート意識が強く、出世に対して貪欲な面もあった」鴎外が、小倉での暮らしを経験する中で、「圭角がとれ、胆が練れて来た」。すなわち、かどが取れて、円満な人柄になり、物事に動じない精神力が鍛えられた。
そのきっかけとなったのは出会う人々だった。しかし、もう一つ重要だったのは「鶏」の存在である。
ひょんなことから飼うことになった鶏の姿を、鴎外はやはりじっと見つめていた。鶏と一緒に暮らすのも鴎外にとって初めての経験だったはず。座敷に勝手に上がり、うろうろ歩き回る。卵を産んで雛を孵す。塀を飛び越え、隣の畑を食い散らかす。自由奔放な鶏たちの生き様に接し、心底驚き、感動したに違いない。
この時期は、鴎外にとって「沈潜と蓄積の時代」だったとも言われている。もしかしたら、ここでの生活は、過去の古い自分の考え方や生き方を変えたのではなく、過去の自分を手放していく時代だったのかもしれない。
小倉では小説はひとつも書いていない。この「鶏」も帰郷後に書かれたものだった。しかし小倉での経験を通り抜けていったことにより、やがて帰郷後の旺盛な文筆活動へと花開いていく。
鴎外はこの地で、「心の自由」の薫りというものを味わったのではないかと思う。
その晩は二十六夜待だというので、旭町で花火が上がる。石田は表側の縁に立って、百日紅の薄黒い花の上で、花火の散るのを見ている。そこへ春が来て、こう云った。
「今別当さんが鶏を縛って持って行きよります。雛は置こうかと云いますが、置けと云いまっしょうか。」
「雛なんぞはいらんと云え。」
石田はやはり花火を見ていた。
🐓
「鶏」全文
北九州市小倉 森鴎外旧居
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橋を渡ってそのまま真っ直ぐに進むと鴎外通りに入り旧居に辿り着く
森鴎外の本名は「森林太郎」
「鴎外」という号は、現隅田川の白髭橋付近にあった「鴎の渡しの外」(かもめのわたしのそと)という意味で、林太郎が住んでいた千住を意味しているとのこと
或いは渡り鳥のように自由に生きることを望んでいたという説もどこかで読んだことがある
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お疲れ様です
いつもありがとうございます
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