冬の花と鳥
1月20日は、一年で最も寒い季節と言われる「大寒」。先週の寒波襲来では北九州でも積雪し、市内の幹線道路は終日大渋滞となった。例年この地域は雪が降ってもほとんど積もらない。そのため住民の警戒心が弱く、ノーマルタイヤの車がとても多い。また行政も融雪剤の設置に消極的なので、ちょっとした坂道ですぐに立ち往生が多発してしまう。
先日の早朝も、幹線道路を避けながら裏道を進んでいくと、目の前にある陸橋の途中で数台の車が止まっていた。スタッドレスを履いたFF車ならば、バックで坂を登ることができる。歩いて救出に向かうが、どの車もノーマルタイヤだった。運転を代わって脱出を試みるも、陸橋はすでにアイスバーン化し、お手上げだった。おまけに凍結した路面で自分も足を滑らせ、腰を打ってしまう。これは夜寝る前に自分で骨盤調整し、無事に済んだ。
数日後、市内の植物公園に出かけると、そこにはいつものように穏やかな世界が待っていた。十月桜、アーコレード、エレガンスみゆきなど、冬咲きの桜がひっそりと咲き、山茶花、牡丹、ロウバイなど冬を彩る花たちも見頃だった。
ロウバイは黄色い小さな花をたくさん細い枝に付ける。周囲に香りは漂っていないので、匂いはないと思い込んでいたが、鼻を近づけると何とも芳しい甘い香りがした。
寒空の下、元気なのは花だけではない。野鳥も少ない食料を探し求めて、樹から樹へと忙しく飛び回っている。メジロ、ヤマガラ、ヒヨドリ、シジュウカラ、コゲラなどよく見かける留鳥の他、久しぶりにジョウビタキやルリビタキの可愛い姿を至近距離で見ることができた。
一本の樹の前でしばらくじっと立ち、鳥たちの様子を観察する。鳥たちは木の実を食べたり、花の蜜を吸ったり一生懸命だが、目の前にあるものすべてを一度に食べ尽くすことはない。少し食べると、すぐに別の樹へ飛んでいってしまう。するとその後に他の鳥がやってきて食べ始める。入れ代わり立ち代わり、それが繰り返される。
木の実には苦味や毒素があり、鳥たちは一度に同じものをたくさん食べることができない。結果的に、特定の鳥だけが少ない食料を独占することなく、皆で分かち合うことになる。
何気ない情景のひとつにも、自然界の共存共栄を垣間見ることができる。自然界が競争や弱肉強食の原理だけだったなら、これほど美しく豊かな自然環境が生まれることはなかっただろう。生き物たちは、調和した世界を創るためにはどうすればいいのか本能的に分かっているのだと思う。
私たち人間の身体にもまた、自然の摂理が働いている。急に寒くなったらくしゃみをする。暑ければ汗をかく。夜寝ている間にも呼吸は続き、血液、脳脊髄液、リンパ液などは常に流れている。体のどこかに痛みがあれば、自ずと手を当てる。頭の中に言葉がたくさん溢れると、お喋りや書き物をして放出したくなる。悲しみが大きければ涙を流し、可笑しさをこらえ切れなければ大笑いする。ストレスを感じると、内臓が緊張を肩代わりして、心理的負担を軽減しようとする。許容限度を超えたならば、不調というアラームが作動し警告を発する。これらはすべて身体に備わっている自然の叡智であり、自動制御システムの現れだ。
では生きる喜びと愛があふれる時にはどうなるのか?
もしも色と形が与えられたなら、たとえ寒い季節でも花のように咲くだろう。翼が与えられたなら、たとえ雪が降ろうと鳥のように歌いながら大空を飛びまわるに違いない。
北九州市門司区 白野江植物公園
Claude Debussy - Arabesque no. 1
Lucy
ありがとうございます