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波音の向こう

(文3000字 写真30枚)

 久しぶりに水族館へ出かけた。関門海峡を隔てた対岸の山口県下関市には市営水族館「海峡館」がある。門司港からは渡船で5分ほどで着く。
だいぶ前に和歌山で飼育されているイルカには触れたことがある。ひんやりとした弾力ある分厚い表皮。どこを触ってもただじっとしている受容性。そして無垢な遊び心。ときどき懐かしく思い出す。水族館に行きたくなるのはその記憶があるからだ。

しかし正直なところ、以前は水族館にしろ動物園にしろ自然界の生き物を狭い所に閉じ込め、それを眺めることには後ろめたさを感じた。本当に見たければ生息する現地にこちらから出向いて行けばいいと思った。
ところが最近はそうも言っていられない。
近海では地球環境変動や、周辺諸国による滅茶苦茶な乱獲によって、漁獲量は以前の三分の一にまで減少。かつては海の楽園と呼ばれた南海の島々でも海水温上昇によってサンゴ礁が石灰化し、魚貝類も激減。今、世界のサンゴ礁75%が危機的な状況にあると言われている。
小笠原では漁師が40年かけて育てた赤サンゴ全てを中国漁船が略奪するという事件も発生した。他の沿岸でも彼らはやりたい放題だ。このままだと将来的には海から魚が消える可能性まであるという。

その一方で、九州の沿岸部では成長しているサンゴ礁が発見されたりもしているので、自然界の蘇生力にはまだ希望が残されている。
更に2030年までに地球の海の3分の1以上を海洋保護区にしようという科学者たちの提案も出てきた。
先日北九州市のビオトープに関する記事を投稿したが、地上と同じように海中でも海洋保護区がもしできれば、再生の可能性は十分あり得ると思う。
そうした状況下で、水族館の存在意義は今後高まっていくに違いない。

そんなこんな考えながら水族館に入ってみると、やはり眺めて楽しいという気分にはなれないが、しかし海の生き物たちの躍動感、美しさ、愛の深さ、平和な静けさには純粋に心打たれてしまう。そうした境遇にあっても尚、生のエッセンスを失わない彼らの姿に驚嘆し、そして感謝とも後ろめたさとも違う、何とも言えぬ複雑な気持ちになる。


しものせき海響館


 水泳は子供時代から苦手だ。それでも数十年前の若い頃、沖の海へ飛び込んだことがある。
向かった先は、タイ南部にある「ピピ諸島」という小さな島々。プーケットから観光船に乗り、途中洋上で小型船に乗り換え辿り着く。当時そこはまだ石灰化に至る前の、美しいサンゴ礁と熱帯魚で有名な島だった。

滞在可能な島には当時商店街や飲食店はもちろんのこと、街灯も車もバイクもなかった。リゾートホテルはなく、真っ白な砂浜の上に、一泊数百円で泊まれる粗末なバンガローが数十並んでいた。
ヤシの葉で覆っただけの小屋にあるのはベッドと小さなテーブル。ガラス窓はなく、壁の一部にある木の板をぐいっと持ち上げて棒で支えると、遠くの島影が絵画のように洋上で浮かんで見えた。
食事は砂浜の上にテーブルとイスを並べた宿の食堂で、獲れたての魚料理。
砂浜に設置された剥き出しのシャワーは男女共同。海水を簡易濾過しただけの水なので、タオルで拭いた後も体がベトベトだった。夕方近くにスコールがやってくると、待ってましたとばかりに宿泊客みんなで砂浜にかけ出し、ワイワイ大騒ぎしながら土砂降りの天然シャワーを浴びた。
夜は静まり返った星明りの浜辺に座り、肉眼でもはっきりと見える天の川を眺めた。部屋に戻るとロウソクの火を消して、枕元に打ち寄せる静かな波の音を聴きながら眠った。

あるとき宿の従業員が「この島までわざわざやって来て、何でサンゴ礁を見に行かないのか?」と聞いてくる。
「あまり泳ぎが得意ではないんだ。」と答えると、
「大丈夫。シュノーケルと足ひれを付ければ誰でも泳げる。」と言う。
「そうか、それなら行ってみようか。」ということになり、すぐ小舟に乗り込んだ。
島から10分ほど離れた沖合いの真っ只中でいきなりエンジンを止めると、
「ここだ。さあ、飛び込め!」と船頭が叫ぶ。
エメラルドグリーンの透明な海が見渡す限り広がっていた。
その中に飛び込んだ。
水深5メートルほどの海底は、どこまでもどこまでも果てしなく続くサンゴ礁の聖地だった。透明な海水を通り抜け、煌めく陽の光が海底まできらきらと降り注ぐ。10メートルを超えるような巨大なテーブルサンゴの大集団。極彩色に輝く魚たち。そして限りなく深い無音の世界。それは魂が打ち震え、全身が溶けてしまいそうなほどの圧倒的な美しさだった。

そんな海の光景に見惚れていたのも束の間、あっという間におびただしい数の美しい熱帯魚の群れに囲まれてしまった。餌なんか持っていないのになぜ、と思っていたら何と足の皮膚を突き始めた。荒れていた皮膚の一部を餌と勘違いし、パクパクとむしり取るように食べ始めたのだ。
痛い!やめろ!俺の足はサンゴではない!と言いたくて、シュノーケルをくわえたまま、「うがあっ!」と唸り声を上げた。
おかげで一生懸命逃れようと泳ぎ続ける羽目に陥った。いつもはこちらが食べてばかりいる魚に、その時ばかりは逆に自分の体が食べられたという、それは痛くも得難い経験となった。


しものせき海響館




 和歌山県太地町には、海に潜らずともイルカと触れ合える施設がある。
ニュースでは以前いろいろと話題になった町だ。この施設にあるのは人口プールではなく、自然の海水が打ち寄せる入り江を囲っただけの天然プール。子供向けのアトラクションかなと思うが、大人用のウェットスーツも用意されている。数人の子どもたちと一緒にそれを着る。下半身だけ海水に浸かり、海中デッキに腰かける。

バンドウイルカたちが、飼育員の合図で一斉に目の前までやってくる。頭、背中だけでなく、逆さにひっくり返って腹や、さらには口の中に手を入れて大きな舌にも触らせてくれる。小魚をあげたり、手を挙げるポーズをとると、すっと泳ぎだして高いジャンプを見せてくれたりもする。最後にはおまけにそっと頬にキスまでしてくれるという盛沢山のメニューだ。

そうしたお決まりコースが終わり、さてデッキから立ち上がろうと思ったその時、一頭のイルカがこちらに向かってゆっくりと近づいてくるのが見えた。そして水中に浸かっている私の膝小僧に、口の先で一瞬「ツン」とタッチした。すぐに振り返り、そのまま海の中へと消えていった。
それはメニューにはないアドリブだった。

そのやさしい感触の記憶だけが今も鮮明に残っている。
いったいどういうメッセージがそこに込められていたのか。或いは意味など何もなく、単なる遊び心のいたずらだったのか。時々思い出しては考えてみる。
水族館で見せる、その愛くるしい仕草の背後に何があるのか見つめても、やはり分からない。
イルカに尋ねてみても、耳には何も聞こえない。
それでも彼らは波音の向こうから、いつも何かメッセージを伝えようとしているのかもしれないな、と思う。





山口県下関市「海響館」




















P.S. 参考資料

Dolphin Therapy Land


以前、海中で脳障害児へのヒーリングをしたことがあるが、海水の浮力によって身体のリラクゼーションは短時間で深まるという経験をした。こうした海外の施設のように、もしもイルカが参加するならば、その効果は劇的なものになるに違いない。



The Colors of the Ocean


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燿
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