見出し画像

希望の渡り


 気持ちよく晴れた秋分の日、北九州市北部の高塔山山頂からは、関門海峡を越えて飛んでくる「ハチクマ」の姿を見ることができた。

 本州から飛び立ったハチクマはこの後、長崎の五島列島を通り、中国やマレー半島を経由して越冬地の東南アジアへと向かう。
     1万キロにも及ぶ長い旅路の始まりだ。

 大空を音もなく悠然と飛翔する姿は逞しく、気高く、そして美しい。

 ゆったりと風に乗り左右に揺れながら進んでいくその姿は、まるで大空の中を歌いながら散歩でもしているかのような優雅さを湛えている。しかも昼と夜の中庸となるこのお彼岸の時期を選んで渡りをするとは、何てダンディな鳥なんだろう。

 撮影に使ったレンズは焦点距離がそれほど長いものではないため、大きく写すことができず、この記事にある写真はかなりトリミングしている。しかし画質は不鮮明だが、逆に大空を飛ぶ姿をイメージしやすくなったように感じる。


ハチクマ
Wikipedia




 初夏になるとハチクマは秋とは異なるルートで渡来する。東南アジアから一旦朝鮮半島へ北上し、そこから日本へ向かって南下する。九州以北本州から北海道に広がる低山帯の森林に辿り着き、秋までの繁殖期に入る。

 野生のクロスズメバチを中心にハチやその幼虫を主食とすること、同じ猛禽類のクマタカに似た姿であることからハチクマと呼ばれている。

 世界中に生息する猛禽類は約280種。そのうち日本にはワシ・タカの仲間30種が生息している。さらにそのうちの16種が夏鳥や冬鳥・旅鳥であり、その中でもハチクマとサシバが特に有名だ。全長は57~61㎝ほどで、翼を広げた大きさは130cm前後。ほぼトビと同サイズかやや小さい。





 ハチクマは5月に渡来した後、僅か1週間ほどで繁殖体制に入る。樹上に木の枝を束ね、お碗状の巣を作り1~3個の卵を産むが、2卵が最も多い。

 翌年渡来した時には同じ巣や他の猛禽類の巣を再利用する。毎年枝が追加されていくので少しずつ大型化し、2メートルもの大きさになることもあるという。

 抱卵期間は28~35日ほどで、孵化は7月10日前後になる。孵化してから35~45日後の8月下旬に巣立ちを迎え、巣立ち後30~60日程度で親から独立する。





 ハチクマの主な餌はジバチ類やスズメバチの幼虫。ミツバチを狙って養蜂場の近辺に出没することも多いらしい。蜂の巣を襲い、ハチから猛反撃されても決して刺されないのは、全身が深い羽毛で覆われ蜂の針が届かないからだ。

 その他カエルや小型の野鳥、ヘビやカナヘビなどの爬虫類も食べる。また孵化直後10日間は親鳥が吐き戻した液状のものを雛に与える。他の猛禽類に比べると、オスもメスと同じように抱卵や給餌を頻繁にする。

 渡来時期が5月、秋の渡りが始まるのが9月という短い繁殖期間の中、ジバチやスズメバチ類の幼虫など栄養価の高い餌を摂取することにより、短期間で成長できると考えられている。





 噂では高塔山山頂附近を群れで旋回する光景が見られると聞いていたが、残念ながらこの日は2~3羽のグループが時折ほぼ真っすぐに飛んでいく姿しか見ることができなかった。旋回するのは上昇気流を捉えるためであり、この日はすでに十分な高度に達していたと思われる。
 
 前後に並ぶハチクマの大きさが違うことからカップルではないかと思うが、これは定かではない。ちなみに体の大きい方が雌である。

 編隊飛行する渡り鳥は上昇気流を捕らえながら省エネで飛ぶが、ここで見たハチクマはどのグループも意識的に付かず離れず一定の距離を開けているように見える。接近し過ぎると、風に煽られ衝突する危険性があるからではないか。もしそうだとしたらパートナーへの配慮を常に心掛けているということになる。オスが抱卵を手伝うのもそうした意識があるからかもしれない。

 巣立ったばかりの幼鳥は単独で海を越えていく。成鳥か幼鳥の違いは羽根の先が痛んでいるかそうでないかで見極める。今回の写真ではその違いがよく分からなかった。五島列島まで行くと群れで飛ぶ光景が見れるそうだ。





 現在日本に渡来するハチクマの総数は不明だが、飛来する自治体によっては1,000羽以上と説明しているところもある。

 ハチクマは個体数が減少し、準絶滅危惧種に指定されている。主食となるハチが激減し、自然林や広葉樹林の衰退、あるいはスギ・ヒノキなど植林地の拡大などの影響によるためだ。

 ハチクマの餌となるスズメバチやミツバチの減少は、ご存知の通り国内でも大問題となっている。世界の主要作物の7割はスズメバチやミツバチによる受粉活動に依存しており、近い将来の大規模な食料不足が懸念される。
 
 スズメバチは激しい攻撃性を持つ一方で、農作物を食べる害虫を捕獲する益虫でもある。その個体数が減少する背後には主食となるミツバチの減少があり、ミツバチの減少の背景にあるのは農作物への過剰な化学肥料の投与と農薬散布が長年行われてきたことが大きな原因の一つとなっている。

 ちなみにこの化学肥料と農薬は、第二次大戦中の日本軍による火薬と毒ガス製造の名残である。戦後GHQは日本人の精神性を弱体化させるべく多くの組織や文化伝統を破壊したが、その一方でこの火薬と毒ガス製造技術はそのまま温存し、僅かな化学式の改変を加えただけで火薬は化学肥料へ、毒ガスは農薬へと生まれ変わって存続した。
 その結果長期にわたって人体の健康を損ない、農地を疲弊させ、ミツバチの減少をもたらす要因となった。
 
   「ミツバチがいなくなったら、四年後に人類は滅びるだろう」

 アインシュタインが残したとされる警鐘が俄かに現実味を帯びてきた。 深刻な生態系の異変と世界的な異常気象は、西欧近代文明の終焉の予兆に見える。





 話を元に戻そう。卵から僅か3~4カ月で親元を離れ、いきなり1万キロにも及ぶ距離を群れずに単独で飛ぶハチクマの幼鳥の逞しさは、親鳥や他の成鳥から学んだわけではなく、自らのDNAに刻み込まれた叡智にアクセスし、内なる声と直感に従いながら生きている証しだと思う。

   絶滅種が後を絶たないこの時代にあっても、渡り鳥たちが海を越え、国境線を超え、悠然と大空を飛翔していく姿は奇蹟的であり、「自由と平安」の象徴として目に映る。

 その姿はきっと私たちの魂の本質的な姿を映す鏡なのかもしれない。

 この地上が不自由さと理不尽さと、様々なレベルでの争いごとにまみれた世界なのは、その本質を思い出すための学びの場だからではないか。


 今から1万3千年前までアリューシャン列島がまだ陸続きだった頃、日本から徒歩で北米大陸に渡った多くの人々がいた。彼らは後のネイティヴアメリカンの祖先であり、さらに南米まで進んだ者たちはインカやマヤの人々の祖先となった。

 それから1万年後、世界中から日本を目指して多くの民族が渡って来た。いや、縄文時代に世界中に渡って文明を築いた人々の子孫たちが祖先の故郷の地へと戻ってきたのだ。
 今日の日本人のDNAには縄文人のDNA20%をベースとして、その他に多くの人種の痕跡が見つかるのはそのためだ。

 私たちのDNAの中にも、そうした祖先たちの渡りの歴史が深く刻み込まれている。それは「希望」という名の刻印だ。

 現代社会への不安と混乱や、刹那的な熱狂と興奮に巻き込まれ過ぎるのではなく、静かな心で自由と平安を決意することができた時、私たちは現代社会の犠牲者から真に自立した存在へと生まれ変わるのだと思う。
 それが集合意識の母体となったとき、自由と平安が現実化する方向へと世界は舵を切るのではないか。

 ハチクマの親鳥も幼鳥もまた来年の初夏には再び元気に戻ってくることを心から祈りたい。彼らの渡りの姿は生きとし生けるものの希望の象徴なのだ。


🦅
 








Toi Akogare
ICHIKO AOBA


お疲れさまです
良い週末をお過ごしください





いいなと思ったら応援しよう!

燿
🐭🐮🐯🐰🐲🐍🐴🐑🐵🐔🐶🐗😽🐷