響灘 夕涼景
残暑お見舞い申し上げます
夏の夕暮れ時になると、この小さな岬には日没を眺めるために、いつも数十人が集まってくる。見晴台、波打ち際の岩の上、丘のごつごつとした岩肌など、思い思いの居場所に腰かけ、静かにその時を待つ。たとえ曇りの日でも、日没の直前に太陽が顔を出すことがあるので、その一瞬のドラマチックな光景を求めて、必ず誰かが来ている。
この日は朝から快晴の一日。しかし黄金色の雲のヴェールを身に纏う太陽は、じっと見つめても、もう眩しくはない。大海原を超えて大陸から吹いてくる風が爽やかだ。そうこうしているうちに、真っ赤に染まった夕陽が水平線の彼方へとあっという間に沈んでいく。
辺りはすぐに真っ暗となる。この岬には街灯がない。あれだけ沢山の人がいたのに、気づけばいつの間にかもう誰もいなくなっていた。
しかしドラマはここからだ。陽が落ちると、今度は夕焼け雲のスペクタクルの始まりだ。オレンジやパープルピンク、桜色に、茜色。ありとあらゆる多様な夕焼け色のグラデーションに染まり、混ざり合い、溶け合いながら、大空を駆け巡る。
漆黒の夜空に星が一つ二つと輝き出し、水平線の彼方にはイカ釣り漁船の漁火がキラキラ灯り、まるで海面に星屑が浮かび漂っているようだ。
やがて最後の最後、水平線近くのごく僅かな空だけが、一直線に赤々と燃え始めた。
その赤色の線は、昼と夜とを隔てる境界であり、大空を染め上げていた夕焼け色をすべて凝縮した赤であり、太古から永遠に続く「命の炎」の赤である。
お疲れ様です
いつもありがとうございます
P,S,
この記事は1週間前に投稿を予定していたが、先週コロナに感染。噂通りの酷い諸症状を一通り経験した。ようやく症状も改善し、酸素飽和度も下がることなく、再び日常を取り戻しつつある。
パンデミック以来、出来るだけ人混みを避けることを徹底していたが、家族が感染すると避けようがない。1965年米国議会で免疫不全をもたらすウイルス研究に50億ドルの予算が下り、その10年後、1975年に初めて人工ウイルスHIVが世界に登場した。それから約半世紀。ウイルスの侵入は避けられなかったが、ワクチンだけはこれからも断固拒否である。