内なる宝もの
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先日、2003年公開のハリウッド映画「ラスト・サムライ」を観た。
19世紀末の明治維新後の転換期、西洋の近代化を推し進めようとする日本政府と、伝統的な武士道に生きるサムライたちとの闘いが舞台。映画の構想は、1877年の西郷隆盛による西南戦争と、外国勢力による日本の西洋化にヒントを得て作られたとのこと。
主人公として登場するアメリカ軍人は、日本政府軍の訓練を指揮するために来日。しかし戦場で反政府勢力のサムライたちに囚われてしまう。彼らの集落で日々を過ごすうち、武士道に深く感銘を受け、やがて政府軍と共に戦う一人の勇敢なサムライへと成長していく。
この人物のモデルとなったのはアメリカ人ではなく、江戸幕府のフランス軍事顧問団として来日し、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加して箱館戦争(戊辰戦争(1868年 - 1869年))を戦ったジュール・ブリュネという実在した人物。
脚本、制作、音楽、主演も皆アメリカ人であるため、アメリカ人の視点から見た日本の歴史観、日本人観、風土、武士道など、日本人からすれば、色々とずれがあるのは致し方ないだろう。
しかしながら映画作品として、武士道精神を見つめ、そこに高尚さや美意識を見出そうとした視点は、当時のアメリカ映画としては画期的。日本の伝統文化への関心を集める、ひとつのきっかけともなった。
主演のトム・クルーズ氏や渡辺謙氏、今世界中で大ヒット中のハリウッド・ドラマ『SHOGUN 将軍』主演の真田広之氏をはじめ、セリフを極力排除しても尚かつ豊かな表現力を発揮する多くの日本人キャスト達の演技が印象的だった。受賞歴こそないが、2004年興行収入ランキング一位であり、20年以上経った今でも海外の日本ブームに押されて、この映画と音楽に対する注目度は依然として高いものがある。
The beauty of The Last Samouraï
Neolight
この映画のテーマは「武士道精神」。
現代社会の中に生きる私たち日本人にとって、伝統精神としての武士道というものを顧みる機会は少ない。しかし海外から見た視点に接すると、妙に親しげなものに感じ、新たな気づきも生まれる。
映画の中で渡辺謙氏が演じる不平士族の領袖「勝元」が言う。
『人も桜も
いつか散る
吐息のひとつにも
一杯の茶にも
一人の敵にも生命がある
それが侍の生き様
それが❝武士道❞だ』
サムライたちは、どこまでも内なる真実を追求した人だったのだろう。
松下政経塾HPで、教育活動家杉本哲也氏は、日本人の伝統精神について次のように述べている。
上記引用文の中で、新渡戸稲造氏の言葉として「危機や惨禍に際して、常に心を平静に保つこと」という精神は、現代でも自然災害が起きた時などに、現地の人々の行動の中にしっかり見て取れる。
海外ではよく目にする略奪や犯罪、暴動も起きず、冷静に対応する日本人の姿は、外国人からすれば、あまりにも高潔な態度に見えるようだ。
日本人の気質としてよく言われるのは、真面目、謙虚、勤勉、協調性、忍耐力、他者を尊重する、等々。確かにそれは、多くの日本人の中に見出すことができる。
話しは飛ぶが、若い頃に長期間過ごしたインドの探求施設アシュラムは、世界60か国以上から数千人の探求者が集うというユニークな所だった。
この施設の運営は、デスクワークから、瞑想やヒーリングワークのレッスン、施術、レストランの調理、野菜の栽培、施設の清掃に至るまで、ほとんどすべてが、滞在者の自主的なボランティア活動によって支えられていた。唯一地元の外部業者に委託していたのが、ヒーリングワークで使用するシーツの洗濯とアイロンがけのみだった。
施設には数十人の日本人も滞在していた。ボランティア活動をしている人も多く、愚生もヒーリングワークのセッションや、ヒーリングルームのコーディネーター、施設内の清掃、草刈りなどの活動に参加した。
日本人として日本国内で様々な活動をしている時には、なかなか気づくことはないが、こうした多国籍の人間が集まるという特殊な状況下では、日本人の特異性が特に際立った。
最も印象的だったのは、日本人のヒーリングワークというものが、とても繊細なエネルギーと丁寧な施術、落ち着いた雰囲気、そして強力な癒しの効果があるということで、西洋人にとても人気があったことだ。
あまり日本では注目されていない資質だが、日本人の「手の平」の繊細さは格別なものがある。特に日本人女性の手は、心身の癒やしを超え、受け手の内奥まで響く、きめ細やかなエネルギーに満ちている。
小さい頃、体を痛めた時は、よく母親に、
「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの、飛んでけ~」
と言いながら、擦ってもたったのは誰もが経験していることだと思う。
「ちちんぷいぷい」とは「ちちんぷいぷい 御代の御宝」の略。実際に痛みを和らげる効果があることが、医学的にも証明されている。これは日本人女性ならではの天性のヒーリングエネルギーの賜物だと思う。
インドのアシュラムでは、清掃をするにしても、日本人は行き届いた作業をした。日本人が清掃した後の部屋は、いつも波動が高くなるという評判が立つほど喜ばれた。
また施設には、無国籍料理やイタリアンの店などがあったが、週に一、二度オープンした日本人スタッフによる日本食レストランは、間違いなくいつも大行列ができるほど盛況だった。
日本人の気質には、真面目さ、謙虚、忍耐力、勤勉さ、協調性といった特徴だけでは説明しきれない奥深さが潜んでいるのではないかと感じる。
それが武士道や仏教、儒教、そして神道という伝統によって培われたという説は、確かになるほどと思う部分はあるものの、更にもう少し踏み込める余地が残されているとも思う。
「ラスト・サムライ」という映画から浮かび上がってくるテーマを見つめていくうち、日本人の美徳とも言える気質が、伝統から培われた精神的支柱から生まれたものだとするならば、その支柱が立つ「土台」となるものは、日本人独自の心の「純真さ」ではないかと感じた。
この「純真さ」がいったいどこに由来しているのかというテーマはあまりにも深遠だ。
以前の記事にも書いたことだが、日本人は、25%の縄文人のDNAを持つクォーターだという科学的事実が判明している。縄文人は、1万年以上という長期にわたって、戦争のない平和な時代を生きた。その縄文人の遺伝子が、現代日本人の「純真さ」に影響を及ぼしていると考えるのは、至極自然なことではないだろうか。
西洋の近代化を推し進めるため、日本政府がサムライを駆逐していった明治維新からおよそ150年。
激動の時代の背後には、アジアの強国日本を支配下に治めることを目論む西欧列強の存在が常にあった。彼らは第二次世界大戦に日本を巻き込めば、その野望が実現すると確信していた。日本軍がハワイ真珠湾攻撃を仕掛けた時、当時のアメリカとイギリスの首脳は電話会談し、そこで二人は笑い合ったという。しかし戦後79年経った今、西洋の覇権主義は行き詰まりに直面し、歴史的な転換期を迎えている。
今日本を訪れる外国人旅行者の中には、単なる観光目的でなく、日本人の精神性に惹かれ訪れるという人も多い。高野山の禅寺で座禅を組むのは、ほとんどが西洋人だという。また日本では、自国でほとんど経験したことがないような親切心や優しさに触れ、深い感銘を受けている。彼らは西洋文明の限界を知り、日本の伝統文化と精神性を学ぶことで、自分の内に心の拠り所を見出そうとしている。
20世紀後半、探求者はインドに向かった。
今では、日本を目指すようになった。
何であれ、自分の外側にあるものに寄りかかれば倒れ、自分の中心にあるものに重点を置くならば、定まる。
私たちにとって自分自身の内なる「純真さ」ほど、この地球上に生きる上で、最強のアイデンティティ、最高の宝ものは他にない。
それはまさに「ちちんぷいぷい 御代の御宝」の真髄。
サムライたちにとっての「剣」とは、自らの不必要なものを斬り捨て、人間の真実を探求してきた日本古来の伝統精神の象徴であり、彼らはその名誉と美しさを後世に残そうとしていたのではないかと思う。
A Way of Life
Hans Zimmer
お疲れ様です
いつもありがとうございます
追記
大分県中津市 耶馬渓の紅葉
今年は残暑が長引いた影響で、紅葉の色づきがよくない。先日、九州でも有名な紅葉の名所のひとつ、大分県中津市の耶馬渓へ出かけてみたが、ここでも色づかないうちに枯れている木を多く見かけた。気候変動の影響がこうしたところにも現れるということを実感する。あちこち回って見つけた紅葉を撮ったので、ここに残しておきたい。