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秋さうび

(文1600字 写真50枚)


 いつも素敵な俳句を投稿されているラベンダーさん。先日の句に使われた10月の季語「秋さうび(そうび)」とは「秋薔薇」の音読みのこと。俳句や短歌を嗜むということがない愚生にとっては、noteを通じて出会った方々の作品が日本語の美しさを教えてくれる貴重な機会となっている。


元の写真が別物に、曖昧なものから輪郭のあるものへ、無意識的なものから意識的なものへと変容した。日本語の美しい響きを詠まれる方の深い感性にはいつも驚かされる。日本人の美意識の守り手とも言うべき存在だ。

「ラベンダーさん、ありがとうございます」


薔薇を音読みすると「そうび・しょうび」で、菅原道真の漢詩や、源氏物語にも登場しています。
一般にバラと聞いて思い浮かべる花姿は、多くの花弁が幾重にも重なったゴージャスな形だと思いますが、当時の日本に自生していた日本原産のバラは、野茨(のいばら)、浜梨(はまなし・はまなす)、照葉野茨(てりはのいばら)など、香りは良いものの、花弁が5枚の素朴な花ばかり。
しかし、この日本の3種を含む、たった8つの原種が、現在ある全てのバラの基本種であり、複雑な交配が重ねられて、膨大な数の園芸品種が誕生したそうです。
定着せずに消えたものも数え切れませんが、現在も毎年200以上の新品種が世界中で発表され、約3000種が現存するといわれています。

菓舗ふくおかHP




 ところでラベンダーさんに句を添えて頂いた「紅き秋さうび」を近くの公園で撮ったのは今月初め。その時はほんの数個しか咲いていなかった。写真の薔薇はそのうちの一つ。園内の他の蕾もほとんどない状態だった。

その後10日ほど経ち、先週からその同じ公園で、恒例の「秋のバラフェア」が始まった。
まだそれほど咲いていないだろうなと予想しながら、小雨交じりの朝に出かけてみる。案の定、まだ1~2分咲きだった。

その光景を目にした来場客がいきなり、
「なんだ、全然咲いていないじゃないか。」
と声に出してぼやきながら、着いてすぐUターンして帰っていく姿があった。きっと満開の光景を以前見たことがあって、さぞかしそれを期待してやってきたのだろう。

確かにバラフェアと銘打つには少なすぎる。
今年は秋の開花時期が予想よりもかなり遅れているということがその背景にある。それでも咲いている花一つ一つをじっくり見れば、1分咲きでも満開でも同じ魅惑の薔薇。むしろ開いたばかりの花から溢れる瑞々しいエネルギーと出会うまたとないチャンスでもある。咲き始めの時期に写真を撮りに行こうと思うのはこのためだ。

しかも幸運なことに、この日は朝から小雨模様。光が回り込んで陰影が柔らかになる。ひっそりと静まり返った園内のあちらこちらを歩き回り、花びらに散りばめられた雨粒が小さなクリスタルボールのように丸くきらきら輝いている一輪を見つけることができた時は、まるで宝探しで一等を見つけたような気分。

雨に濡れながらそっと葉陰で咲き始めた花は、恋する乙女の姿を思わず連想してしまうのだが、それはもはや時代遅れのオヤジの妄想だろうか。
いやしかし街中で車を運転中、歩道を歩く通学途中の少女に道を譲った時、一瞬こちらを向き、深々とお辞儀をして前を横切っていくという姿を見ると、最近の子は随分と大人びているんだなと感心したりもする。

秋薔薇あきさうびは初夏の薔薇に比べ、小ぶりで勢いも弱いと言われる。
しかし薔薇の蕾の奥に潜む小さな沈黙は、真冬になっても大輪を咲かすほどの頑健さを秘めている。
厳しい時代を生きていかねばならない今の子供たちも、我々の世代にはなかったような生き抜く強さを秘めているようだ。

美と沈黙のハーモニー。
色彩の魔術。
秋薔薇の煌めく情熱の季節はまだ始まったばかり。





北九州市立響灘緑地グリーンパーク
「秋のバラフェア」(11月13日まで)

















































































































Astor Piazzoralla 
Oblivion
波戸崎 操




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燿
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