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さらばジェイエルネス、また会う日まで


創業から走り抜けた6年間

2017年4月2日(日)。池袋の決して駅近ではないビル。その地下で、2ndPASSという事業がスタートした。同時に、私のスタートアップ・ベンチャー的なキャリアもスタートした。およそ6年前の話だ。昨日のことのように感じられるが、小学生になって卒業するまでと同じ年月と思うと、沢山の時間を投資してきたのだなと思う。

青春の日々だった。もうこれほど何かに熱狂できる日々は一生ないと思えるほどに、ジェイエルネスは、デトックス・オブ・ライフ(旧社名)は、私の人生そのものだった。

そして今、私はジェイエルネスと人生を切り離す。来ないと思っていた未来だ。なぜ辞めるのか。私にとって大切な人たちへ誤解なくお伝えするために、この記事を書かせて頂く。

 

そもそもの始まり

ジェイエルネス代表、樗澤(以降、ぶーさん)は明治大学の先輩で、大学時代から合わせるともう10年以上何かしら一緒にやっている。

2017年3月。私は社会人1年目が終わるころ。ぶーさんは、新卒入社した広告代理店を退職してすでに起業していた。彼と、久しぶりにメシでもどうすか、と連絡を取り合い、とある華金に新宿のヱビスバーに集合した。

彼は、頭の半分を車に轢かれたような髪型で現れた。そこで「2ndPASSっていうのをやろうと思ってるんだけどさぁ…」という話を聞かされた。正直、当時の話の内容はそこまで覚えていない(笑)

ただ、このぶーさんという男が基本的にやり遂げる男であることは、学生時代からの色々で分かっていた。

その時、彼はこうも話してくれた。
「人手が足りない。が、雇おうにも売り上げもない。」

それを聞いた私はこう答える。
「あ、じゃあ俺やりますよ。会社辞めてきます。」

それを聞いたぶーさんは狼狽えていたし、むしろ止められた(笑)
あんなに動揺している彼は後にも先にも見たことはないが、そりゃそうだろう。当時は、売上はゼロ、自身の報酬すら発生していないのに人を雇うなど、暴挙である。経営者としては怖すぎる。

でも、私は別に金銭的なことは何も気にしていなかった。とにかく、ぶーさんと何かやるのは面白い。そう分かっていたから、ぶーさんの制止など意に介さず、迷わず会社をやめて飛び込んだ。これが始まり。

つまり、語弊を恐れずに言うと、私はフィットネスやパーソナルトレーナーに関するビジネスをやりたかったわけではない。「ぶーさんと会社やるの楽しそう」という気持ちだけだったわけだ。

とにかく「売上」を追いかけ、大量のタスクを処理し続けた日々

6年前というと、そもそもパーソナルジムはライザップくらいなもので、パーソナルトレーナーという職業自体も知られた存在ではなかった。それなのに、そのトレーナーを育てるスクールをやるというのだから、大変に決まっている(笑)

当然予算もないから、いわゆるマーケティングと聞いてイメージする施策も出来るはずがない。出来ることは、文字通り草の根活動だった。そもそもスクールを提案する人、いわゆるリード顧客がこの世に存在しないわけだから、まずはそこからだ。

謎の交流会に参加したり、SNSで片っ端からDMしてみたり、友達や知り合いに話を聞いてもらったり、ひたすらテレアポしたり…、出来ることは何でもやった。それでやっと、第1期生は5名で開校に漕ぎ付ける。

ここからは長いので割愛するが、ある程度スクールにも実績がつき、それをもとにプロモーションできるようになり、20名以上のクラスが開校し、メディアから取材が来たり…と、2ndPASSは大きくなっていった。その過程で、自分は集客、営業、広報PR、採用担当、お客様対応、その他総務的なこと、役員としての業務、などなどを全部やっていた。営業の比率が大きくはあったが、基本的には何でも屋で、ぶーさんがやらないことは全て私の仕事。そんな感じ。休みは週に1回、それ以外の日は10時くらいから23時頃まで仕事。こんな生活をリアルに1年半前くらいまで続けていたし、それほどまでに人生を捧げてきたものだ。

その甲斐もあって、安定的に億単位の売上が立つ、業界で一番大きいスクールに成長した。間違いなく、自分が2ndPASSを作ってきたし、会社を作ってきたと胸を張って言える。また、客観的な事実として、パーソナルトレーナー育成というまだ日本にはなかったマーケットを開拓したとも言える。今はいくつもあるパーソナルトレーナースクールの多くは、私達が2ndPASSを軌道に乗せたあとにシステムや料金、訴求を真似るようにして出てきたのだから。小さいながらも新たな産業を生み出すという実績や経験は、誰もが手にできるものではない。

振り返ってみると反省と後悔ばかりだけど、こうして誇りに思えることもあった6年間。そんな創業からの歩み。(すごーーく割愛しているけどね笑)

なぜ、ジェイエルネスをやめるのか

ここからが本題。

「そんなにやってきて、なぜ?ここからだろ!」
という声が聞こえる。(そんなことない?笑)

正直、そう思う自分がいるのも事実だ。創業メンバーが美味しい思いをするのはこれからだろう、と。あれだけ大変な思いして、人生捧げて、その投資を回収せずに辞めていくのか?何度も自問自答した。

その結果退社する決断に至ったのだから、心と頭はスッキリしている。
決して自虐的なことを言いたいわけではなく、客観的に見て、今・これからのジェイエルネスに私は適していないのだ。これに関しては、株主総会でも、樗澤との話でも意見が一致した。

誰かによって辞めさせられるとか、ベンチャーによくある創業メンバーの喧嘩別れ的なことではなく、私は己の未熟さ故に、自らの決断によって、ジェイエルネスから去る。決断の背景は決してシンプルなものではなく、死ぬほど悩んだ結果なので全てを説明することは難しいが、大きく分けて3つの観点から理由をご説明できればと思う。

 

①みんなにとって「良いリーダー」になれなかった

自分で言うのもアレだが、私はそれなりに優れたプレイヤーではあったと思う。

担当という概念がなく1人で何役もこなしながら、CEOのサポートをしつつ、他方ではとにかく売上を1円でも多く作らねばならないという創業フェーズにおいて、私以上の適任者はいないのではないかと思えるほどだ(笑)

このような仕事は、およそ3年続いた。他のことをこなしながら全国10校舎展開まで1人でセールスを担当し続けたのだから、我ながらよくやったなと思う。

1人で行動し続ける。無いものは作る。やれること全部やる。とにかく売上。

このような、単独で動いて結果を出す力やマインドは充分についた。

が、同時にその3年間で得られなかったものもあった。

それは、「チームやプロジェクト単位で仕事をする経験」「経営者としての視座」だ。

上述したような1人で動く力は、創業期には間違いなく必要だった。逆にこれがなければ、スタートアップではどうにもならない。

だが、2ndPASSというサービスが育ち、メンバーが増え、チームができ、外注していたことがインハウス化され、徐々に会社としてのステージが上がってきたころ。私にボロが出始めた。

1人で結果出せ主義だった私は、マネジメントらしいことは何1つせず、自分の下についた営業メンバーを詰めたり、何の考えも無しに放任したりしていた。

また、既に営業システムはある程度出来上がっていたのに、自分が現場の営業マンであり続けた。

もっと早く権限委譲し、自身が最前線にいるのではなくメンバーに寄り添うような存在になるべきだった。と今なら思える。が、当時の自分は売上を上げ続けることが全てという意識に固執した。

その結果、私はチームを持てなかった。

私個人単位で考えたときには、チームでのプロジェクトやマネジメントが苦手であることはマイナスなことだったというだけの話。

私は、組織にとって、皆にとって、良きリーダーになることを夢見ていた。それこそ、COOとか、そう呼ばれるような存在になりたかった。そのチャンスは常にあったのだ。しかし、自分の視野の狭さ、視座の低さ故に、その機会を失った。

組織における人間関係のミスは不可逆的なものであるということが、痛いほど身に染みた。

そして、結局私は現在もマネジメントや複数人での仕事が得意ではない。というか向いてない。

このような人間がデカい顔をして創業メンバーとしているのだから、ぶーさんもだし、メンバーの皆もやりにくかっただろう。ストレスも与えただろうし、当時の自分の行いを振り返ると恥ずかしくて涙ぐんでしまうほどだ。

その点に関して、心から申し訳なく思っている。

(ここ2年くらいで、当時よりはだいぶ改善されたとは思うけど…)

これからのジェイエルネスに必要なのは、現場を引っ張るリーダーたちだ。私がなりたかったそれには既に、祐樹や、秋野、エガちゃんがなってくれている。

無責任かもしれないが、だからこそ私は心置きなくジェイエルネスを去れる。

今いるメンバーが、今後何百名の規模になったときのリーダー達だ。

頼んだよ。

②「ぶーさんのお手伝い」から成長できなかった

最初の方で触れたが、私はフィットネスやパーソナルトレーナーに関する仕事がしたかったのではなく、「ぶーさんと仕事したかった」というのが正しい動機だったし、それは今も変わっていない。

となれば、起業家・CEOとして成長し続けるぶーさんと同じペースで、自分も経営者として成長し続けている必要があったはずだ。

要するに私は、「ぶーさんのお手伝い」的な存在ではなく、「ぶーさんのビジネスパートナー」にならなければいけなかったのだが、なれなかった。

いや、これもまたチャンスはいつでもあったのだから、ならなかったというのが正しい。

先に触れたように、私は長らく現場に固執していた。売上にコミットする人間は間違いなく必要だったので、全面的に間違っていたとは思わない。

でも、その期間を短くするか並行するかのどちらかで、経営者としての自己成長に時間をもっと使うべきだったのだ。

この点に関して、純粋に後悔している。

ジェイエルネスの経営は、業界トップを走り続ける2ndPASSと、比べ物にならないほど大きな事業になる可能性を秘めるココカラさんの2軸を走らせながら、組織づくり、ファイナンス、社会的な意義などを同時に追求していくという、難易度の高いものになっている。

そして、優秀なCHRO、CTO、その他にもぶーさんの脇を固める存在は着実に揃ってきた現状。私がぶーさんのビジネスパートナーとして入る隙は、どうポジティブに考えても見当たらない。

絶対的で唯一無二のモチベーション・楽しさであった「ぶーさんとの仕事」は今、自分では手の届かない場所にある。

そうなったとき、自分とジェイエルネスとの距離が一気に遠のいたのを感じてしまった。

活き活きと働くメンバー、改善されていく事業、大きくなっていく会社。そういったことが全て遠くで起きていることのように感じられ、「よかったなあ」という感情を抱くようになった。

やった!とか、嬉しい!とかではない。

「良かったなあ」「みんな凄いなあ」と感じるようになったら、もうそれは他人事だ。

あぁ、これは潮時だな。と、強く感じた出来事だった。

③色々と失ったからこそ、やりたいことが分かった

組織における不可逆的なミスにより、創業から頑張って築き上げたものを失った私。

CEOではない創業メンバーが会社や事業の成長と共にステージを上げていく過程において、私はこれ以上ないほどに失敗したということだ。

一時、かなりメンタルが落ち込んだ。全く仕事にならないほどに。

自分には縁がないことだと思っていたが、今思い返せばうつのような状態だったのだろう。

ただ、色々と失いはしたが、それらと一緒に執着心や無駄なプライドなども自分からはがれていってくれた。これは、自分にとって大きなことだった。

基本は強がりで見栄っ張りな私だが、この時ばかりはメンター的な存在の方や、心を解放して話せる方を頼りまくった。自己開示が苦手な私が、人生で最も自己開示できた時期だ。

築いてきたものがあった。そのために時間も労力も多く費やした。それらへの執着が強いあまり、自分を縛り上げていた。だが、それらのほとんどを失い裸になったことで、呪縛から解放された。

まとめるとこんな感じだろうか。

その甲斐もあって、紆余曲折を経て自分の中にあった「軸」が見えた。言い換えると、「自分はいつ楽しいと感じるのか」が分かった。何をしている時に、誰といるときに、どこにいる時に楽しく、幸せなのか。

これらを追求していくことが人生のテーマであると、私の頭と心は完全にアップデートされたのだ。

前置きが長くなったが、で、結局のところ篠原大吉という人間はどういう条件下であれば仕事が楽しいのか。

自分の過去から現在を振り返り、時間をかけて向き合ったところ、以下の3つの条件が浮かび上がった。

①toCのビジネスであること
②自分が1人のユーザーとして好きなモノコトであること
③「楽しさ」を提供するビジネスであること

加えて、仕事の内容に関しての興味関心が移り変わっていることも分かった。

具体的には、経営企画的な仕事や広報PRなど、コーポレートの仕事をしたいという気持ちが強くなっていたのだ。

営業がキャリアの8割を占める私だが、正直なところ、飽きた。この気持ちに関しても、もう押し殺すことはしない。

幸運なことに、次に仕事をさせて頂く会社は私が大好きなアウトドアを全般的に扱う会社であり、担当する領域もコーポレート全般だ。

次のステージにワクワクしているし、かなり前向きなキャリアアップになる。

この6年間でかなり濃密な経験を積んできたので、それらを活かしてこれからのキャリアを良いものにしていくつもりだ。

9割失敗、1割成功。振り返るとそんなもん

さて、ここまで私の失敗をひけらかせば、皆さんが思っていたより私は優秀なビジネスパーソンではなかったことがよくお分かりいただけたのではないだろうか(笑)

デトックスオブライフ時代~現在のジェイエルネスに至るまでのキャリアで、何が成功かと言われると、はっきりと答えられない。

逆に、失敗はいくら話してもネタが尽きることはない。23歳で創業役員に就き、起こること全てが初めての経験だった。周りに頼れる人もいない。

無知故に、なりふり構わず、がむしゃらだったな。

ただ、数々の失敗をしたからこそ、組織内でやってはいけないことや、起こしてはいけないことが分かった。他人に対して優しくなれた。共感できるようになった。

まだまだ29歳。この時点で、組織がゼロから始まり成熟していく過程から学ぶことができたのは、間違いなく私にとって財産になるだろう。

仕事がない辛さも味わったし、あるからこその苦労もしたし、楽しかった思い出もあるし。強烈なトップの傍で仕事する難しさや、もどかしさ、劣等感みたいなものも味わったかな。

とても、とても貴重な6年間だった。

これからのジェイエルネスと私

さて、私が辞める背景や想いについて勝手気ままに書かせて頂いた。

ここまで読んでくださった方には伝わっていると嬉しいが、私は、別にジェイエルネスという会社を辞めたくて辞めるという感じではない。フィットネスやヘルスケア、ウェルネスに関わるビジネスが嫌で辞めるというわけでもない。

現在、ジェイエルネスにとっての私、私にとってのジェイエルネス。どちらから見ても最適な選択肢・ピースとは言えない。だから、お互いのために一旦別々の道を歩む。

ということだ。

少し前に役員を退任しており、今月で社員でもなくなるわけだが、繋がりは残る。私はそれが純粋に嬉しい。

当然、成長過程のジェイエルネスの存在は今後も大切だし、積極的にかかわっていきたいと思っている。

次の会社はアウトドアやスポーツ関連で日本有数のホールディングスになるため、これから私が作っていく人脈や蓄積していく経験は、ジェイエルネスにとっても有益なものとなるはず。

本当にゼロからの社史を知る人間はぶーさん以外では私しかいないわけだから、語り部的な役割を果たしていくのもいいかもしれない。

また、これから先、私の経営者としてのレベルや視座がもっと高まり、その時にジェイエルネスが私を必要とするような状況だったならば、また一緒に仕事が出来れば嬉しい。

自分の血肉をわけたような存在であるジェイエルネスの成長・活躍を外から見守りつつ、貢献できることがあれば惜しまない。

お互いに切磋琢磨し続け、いつかまた線が交わる日が来ることを心から願っている。

皆がいなければ、もっと早い時期に立ち直れないほどの潰れ方をしてしまっていたことでしょう。

クソお世話になりました。

(メンバーのみんな、もし愚痴りたいこととか悩みがあって、俺が役に立ちそうだったら連絡してね。社外の人にしか言えないことって、あるよね)

一緒に仕事をして下さった、フィットネス業界の猛者の皆様へ

最後に、私がジェイエルネスでしてきたことを語るうえで欠かせない存在である、一緒に仕事をしてくださったフィットネス業界の皆様へ御礼を申し上げます。

私が唯一誇れることとすれば、この身1つで社外に飛び出し、ジェイエルネスや2ndPASSの名を広める活動が出来たことです。

私をセミナーやカンファレンスにお招き頂いたり、取材頂いたり、SNSで交流してくださったり、色々なプロジェクトに参画させて頂いたり。私からお声がけして、弊社の企画にご協力いただいたことも沢山ありました。

親交の深かった皆様へは退職を個別にご報告させて頂きましたが、「寂しい」「次世代のフィットネスは大吉さんが担うものと思っていた」「次の職場でもご活躍されることでしょう」「本当にお世話になりました。」など、このようなご返信を沢山頂きました。

それだけで、なんだか報われたような気分です。

これからも1人のビジネスパーソンとして成長し続ける所存ですので、業界は変わりますが、引き続き仲良くして頂けたら嬉しいです。

本当にお世話になりました!ありがとうございました!

2ndPASSのお客様へ

最後の最後は、これまでに2ndPASSをご受講、ご卒業、ご検討頂きました皆様へ厚く御礼を申し上げます。

受講生1000名のタイミングまでは、私が全国校舎のお問い合わせの対応や、入学に向けた面談・相談などを担当させて頂いておりました。

その結果ご入学頂いた方はもちろん、ご入学頂けなかった方に関しても、名前を拝見すればどんな方だったか思い出せます。ご入学くださった方は、どんな話をした上でご入学頂いたかまで、鮮明に思い出せます。嘘ではありません(笑)

お客様に区別はもちろんありませんが、特に、創業当初に2ndPASSへのご入学をご決断頂いた皆様には、本当に頭が上がりません。皆様方がいなければ、今日のジェイエルネスはなく、私もないのです。

冒頭でも触れましたが、2ndPASSを始めたのは、そもそもパーソナルトレーナーという職業が一般的に認知される前でした。

しかし皆さんは、私の説明や提案を受け、しっかりと考えた上で、私たちに人生の大切な分岐点を任せてくださいました。

そんな皆さんがいたからこそ、私たちは皆さんのご期待に応えるために奮起し、沢山の方に選んで頂けるスクールへと成長してくることが出来たのです。

そしてこの2ndPASSがあるからこそ、もう一度全社をあげた大きなチャレンジをすることが出来る。

私たちが存在できるのは、皆さんのお陰です。

皆さんからありがとうと言って頂けることが多かったですが、逆なのです。

これまで2ndPASSをご利用下さった、全ての皆様。ありがとうございました。

私は志半ばですが、フィットネス業界から、2ndPASSから離れます。

皆さんとの思い出は宝物です。

2ndPASSを出たからには、簡単にへこたれないでください。きつい時は、うちの社員を頼って下さい。卒業生の皆さんからの連絡をないがしろにする人間は2ndPASSには1人もいません。

これからも2ndPASSは日本一のトレーナースクールであり続けるでしょう。2ndPASS受講生・卒業生の皆さんと2ndPASSが、日本のフィットネス業界を作っていくのです。

皆さん、頼みましたよ!

篠原大吉


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