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何者にもなれなかった自分を受け入れる
40歳を目前にして、ある程度のキャリアですとか、資産ですとか、人脈ですとか、積み上げてきたものが誰しもあると思うんです。
それが、私には全くないのです。人生なんでこうなった?気づくには遅すぎます。
面倒くさがりな性格で、プランBばかりをチョイスしてきたツケがここにきて効いているのかもしれません。
及第点を取ればオッケーで自分にあま~く生きてきました。
とはいえ、20代の頃はエネルギッシュに活動で来ていた時期もありました。とある繁華街でキャバ嬢としてちょっと売れてみたり、キャバから足を洗って看護師になってみたり。そこからもコロコロ職場を変えてジョブホッパーしてます。
なんだか一つの場所でキャリアを積んでこなかったな~。
一方で夫のほうは、子どもの頃に夢見た職業に就いて、着々とキャリアを積んでいっています。さらに、興味関心がコロコロ変わる私に対して、自由に動いていいと泳がせてくれます。自分は一つの事を続ける事しかできないからと。興味があるものにすぐに飛びついてすぐに飽きてしまう私ですが、周りの人々、特に夫のおかげで何者でもない人をやれているのかもしれません。
常々思うのですが、高校卒業までにみんなどうやって進路を決めていたのだろう?それぞれ大学や専門学校へ進学したり、就職したり。私にとっては不思議だったのです。
何にもなりたくない。今思い起こせばそのころの夢がそれでした。
環境に抑圧されていた部分もあるかもしれません。実家を出て進学するほどのお金はなく、放任主義なのに過保護な両親。自分で何かを判断したり、失敗を繰り返したりという経験が不足していたのかもしれません。
それを取り返すかの如く20代はしくじりをたくさん経験しました。また、水商売や夜遊びで出会った人々の機微に触れ、その時培った何かがその後の看護活動にかなり活かされていると感じます。
どこへ行っても他者から、優しいと言われますが、これが私の積み上げてきたものかもしれません。
なんだかつらつらと書いていると、キャリアやお金は積めていないけど、そこそこ優しい人間なんだな、私って。
それでいいのかも。