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神様がくれたゴミ箱


私の耳はいつも、愚痴を聞いている。
だれかの愚痴だ。それは友達でもないし、家族でもないし、まったく顔も知らない誰かの愚痴なのだ。
愚痴だけじゃない。自慢話だったり、失恋話だったり、恥ずかしい思い出話だったり、殺したいほど憎い相手への憎悪だったりする。
そして、それを聞く私の耳は、とても心地いい。

今日もイヤフォンから聞こえる。
夜の校舎、窓ガラス壊して回ったとか、説教するってぶっちゃけ快楽とか、あなたが思うより健康だから、うっせぇわ。とか、女々しくて女々しくて女々しくてつらいんだとか。
誰かの心の声はこれでもかと、この無機質なスマホのイヤフォンから、ドクドクあふれ出してくる。そして私の鼓膜から心までを、一気にズドンと射抜く。

耳にその愚痴たちが届くだけで、私は軽やかになれる。例えば、道を歩く速度が2倍になったり、時々ステップを踏みたくなったり、曲によっては思い切り踊り出したくなる。いや、自分では気づかないだけで実際ちょっと踊ってたかもしれない。
この街を制して、スクランブル交差点を我がもの顔で闊歩する主婦の私。納豆を買いに行っただけなんだけどね。

帰宅後、聴きながら気持ちよく歌っていたら、窓が開いてるよと2階にいた夫に笑いながら注意された。
慌てて窓を閉める。もう遅い気はするが。
私は没頭すると、箱に入ってしまうのだ。

そしてその箱は、ゴミ箱なんじゃないかと思っている。
音楽の神様がつくったゴミ箱。
愚痴やら、鬱積やら、葛藤やら、心の奥でぬかるんだ全ての有象無象を入れてもいいゴミ箱。
そのゴミ箱がないと、社会はまわらない。
真面目に指示に従ったり、勉強したり、残業したり、頑張って人間やってる人からは、気づいてなくても、いつも必ずゴミが出ている。
「それはゴミではない」と強がって、ポーカーフェイスでやり過ごす人が大半だけど、実際は身体の開いてる場所に無理矢理ぎゅうぎゅうと押し込めていて、それがいつしか胃炎になって出現したりする。
でも実は我慢しなくても、誰でもゴミ箱は持っていて、そこに入れる術を知らないだけなのかもしれないと思う。
そのゴミ箱は、鼻歌の中で発見することもあるし、好き勝手にピアノを鳴らしているうちに、ふいに見つける事もある。

「燃えるゴミにも、燃えないゴミにも分類されない、心から出た屑は、この箱に入れてください。話しことばで出せるゴミもあるけど、音に乗せないと出せないゴミもあります。月曜日は生ゴミだけ、なんて硬いルールはありません。365日、24時間、受け付けています。どうぞ、音に乗せてみてください。音に乗れば、浄化していきます。あなたは幸せになれます。そしてまわりも幸せにします。」

そんな有難いお告げが、どこからか聞こえる気がする。世にも美しいゴミ箱だ。
例えば「見つめ合うと素直におしゃべりできない」と口に出すのは恥ずかしいのに、ドレミに乗ったら口に出せてしまう。カラオケで何度も熱唱してしまう。
もちろんゴミだけじゃなく、誰かへの応援や、愛や、優しさをいれてもいい。プロのアーティストの皆さんは、ゴミ箱だなんて思ってないだろうけど、素人の私にとっては、心の中の何もかもを抱擁してくれる箱に見える。
稚拙だろうが、厨二病だろうが、音に乗れば楽しさに変わる。
だから皆さんもぜひ音に乗せてみてほしい。愛おしくなってしまうような誰かのゴミ箱に、私も入ってみたいなと思う。

さてさて、ゴミ箱に入れたいものたちが私のスマホのメモに眠っているぞ。まずはこれから音にしてみようか。
タイトル:恋愛グズグズ症候群

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