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AI技術との正しい付き合い方を考えてみた。2024年9月15日

 最近「AIが暴走したら」みたいなあらすじの映画を鑑賞しまして。
 それでAIに関して思ったことがあるので、それを書いてみます。

■責任の所在

 まず僕たちがハッキリさせておかなければならないのは、AI技術によって何らかの不都合が生じた際、その責任はどこにあるのかということ。

 例えばある問題の解決策についてAIにアイデアを求めて、提案したアイデアを実行したら問題が悪化したというケースがあったとしましょう。
 この場合の責任はどこにあるか。提案したAIでしょうか。実行した人間側でしょうか。

 僕は人間にあると思います。AIからの提案を実行すると最終決断を下したのが人間だからです。

 例えば包丁による刺殺事件があったとき「包丁は危険だからこの世から根絶すべきだ」という意見は、少しはあるのかも知れませんが基本的には通らないでしょう。ツールが悪いのではなく、使った人間が悪いのですから。

 それと同じでAIというツール自体ではなく、使った人間側が責任を取るべきというのが僕の意見です。

■AI暴走の条件

 もし「AIが暴走」するとしたら、物事の最終決断をもAIに任せてしまうようになったときだと思うのです。

 僕が鑑賞した映画では、ある人が生きるべきか死ぬべきかをAIが判断し、殺害の実行さえもできてしまうという世界観でした。
 それは悪意をもったプログラムによって引き起こされた事象だったのですが、これが示唆するのは「そこまでの権限をAIに与えるのは危険だ」ということだと思いますし、僕もそのように思います。

 技術の進歩によって自動化できる領域が増えていくのは確かに便利かもしれません。が、行き過ぎればそれこそ人が生きて何かをなす意味がなくなってしまうでしょう。

■さいごに

 多少の不便さが残るとしても、物事の最終決断だけはAIに譲ってはいけない領域なのだと思います。AIも人が作っている以上、多少のエラーはあるはず。AIでも判断を間違える可能性があることは忘れてはいけませんね。

 AI技術によって、便利なツールが増えていくのは喜ばしいことです。
 そしてそれらを、自身の責任において正しく使うことを心掛けること。それがAI技術との正しい付き合い方なのだと思います。

 以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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