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私の名前はかわい子ちゃん/おバカさん

《地下アイドルの記録⑧-メンバーとの亀裂-》

グループを辞めさせてください、と社長にLINEした時、もちろんだけれどとても反対された。説得もされたしどうして辞めたいの?と聞かれたけれど、どうやったって明確な答えが返せなかった。ただ、"もう辞めなきゃなんだ"と確信してしまった。それをもっと色んな考え方で考え直すことがどうしてもできなかった。
まるで、それまで岸と船とを繋げていた糸がプツンと切られて、あとは激流に流されていくみたいだった。それぐらい止められない衝動で、私のさだめだったとしか思えない。

謝ることしかできず、社長は怒っていた。開きなくないけれど開かなきゃいけないLINEでのやりとりの途中、「辞めたくなっちゃう病気なの?」とメッセージが来た。
その時はただ、怒りに直面しているということだけがおそろしくて、言われた言葉について深く捉える余裕はなかったけれど、今考えれば、本当にそうだったのかもしれない。
病的な衝動だ、と思う。

契約期間にも満たないままで辞めるのだから、レコーディング費や予定していたCDリリース費が白紙になった分の損害賠償がかかることも可能性としてあるからね、と言われ、"弁護士をつける"というところまで話が大きくなった。私は芸能界というものに漠然と何かしがらみがあるイメージを持っていたから、その片りんが見えた気がした。
父が出ていって、「娘の性格ではここで活動を続けさせてもらったとしても後々迷惑をかけることになる」と社長に話したことで、とうとう話がまとまった。

社長は、本当にそんなもので私というちっぽけな存在を潰すつもりはなかったと思う、と、ことわっておきたい。ただ、裏切られたという失望からあんな風に言ったんだと思う。
話がまとまった後日に面と向かって話した時、初めて出会った時はこわかったけどそうでもなくなっていた、コワモテな顔の目がつめたかった。
"こんな風にすぐに辞めてたら、これから先何もうまくいかないよ。友達も、恋人も。"
そう言われた。その時は、何かを辞めるのはもうこれきりだと思いながら、うなづくことしかできなかった。

一番つらかったのは、メンバーに話した時だ。
六本木beehiveでの定期公演のオープン前、少し早く集まってもらった。
サーカス小屋の裏みたいな薄暗い楽屋に、私と二人のメンバー、ずっと活動にモチベーションを持ってくれていた九州のおにーちゃんマネージャー。息のつまるような張りつめた雰囲気なのに、時間が早くまだお客さんも入っていなかったからか、心なしか空気が軽かった。明け方みたいに。

マナツとミフユは怒っていた。
マナツは、大きな目を見開いて、シンプルに心の底から怒っていた。リーダーで負けん気の強い、よく知ってるその強さが、怒りでもって自分に向けられる日が来ると思っていなかった。
ミフユはどこか、泣いてるみたいな顔のしかめ方で、私に向かって「じゃあなんでアイドル始めたの?」と言った。
私はただごめんなさいとしか言えなかった。やがて二人は席を立った。
私は涙が溢れて、泣いた。
何が悲しかったのかわからない。それが後にも先にもない大好きな人たちを裏切ってしまった瞬間だったからなのか、自分のふがいなさなのか。十八の私は、自分自身も振り回されるような、わからない感情がいっぱいだった。
ただコントロールできないほど涙が出て、その側にはマネージャーだけが残ってくれていた。

しばらく経って、オープンの時間になったらしく少しずつお客さんが入り始めた。
私は全然泣き止まなかった。マネージャーが、私の味方をするでもないけれど、決してつめたくせず、なまりの入った親しみの滲むイントネーションで
「アンナさん、奥下がりましょう。お客さんに見られちゃいますよ」
と言ってやっと、ほとんど心ここに在らずで席を立った。一人二人、先に入ってきたお客さんが螺旋階段から怪訝そうにこっちを見ていた。


そのライブから、メンバーは口を聞いてくれなくなった。
あんなに三人でずっといたのに、ステージの出番を待つ間も、楽屋でも、二対一になった。私は二人と離れたところで一人黙々と過ごすようになった。
ライブとライブの合間の移動も、帰り道も、一人になった。

そりゃ辛かったけれど、当たり前だと感じていて、思いのほか受け入れることができた。
私の得体の知れない不安定が、とつぜん、夢を持って集まったひとつのグループを壊してしまったのだから。

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