alone alone alone
仕事場の同期だったKちゃんは、福岡出身の女の子だ。
人当たりが良くって、よく声が通り、発言もしっかりしていた。ああ優秀でいい子なんだろうなあ、というのが最初の印象だ。
私たちは、少しあべこべな同期だった。
Kちゃんは大学卒業後すぐに就職していて、私は卒業後1年とちょっとの間フリーターだった。だから彼女は私よりも年齢がひとつ下だけれど半年早く入社していて、出迎えてくれるかたちだった。
「私入社が1人だったから、同期ができるの待ってたんだよ。ほんとうれしい!」ぱあっと笑って、私にタメ口で話そうと言ってくれた。
すこしだけ瞳の曇った秋に出会ったKちゃんは、よく笑い、よく喋った。まだ気を遣いあいながらも、私は思いがけず、これから楽しくなるような予感がしたんだ。
はじめて一緒にランチに行ったのは、冬がやってくる前の晴れた日だったと思う。
Kちゃんが行きたいといって出向いたテラスには、うすい膜ごしに見るようなやわい光が差していた。
マスクをとったKちゃんはなんだか頬がぴかぴかとあどけなくて、思わず"フレッシュだ…!!"と心の中で呟く。ランチプレートを口に運びながら、自然と話題にのぼったのは仕事のグチだった。
Kちゃんは感じの良い声のままで、準備ができていないまま始まる新サービスだとか、上司のことを色々と話してくれた。
仕事場での彼女は誰からみても"いい子"というイメージがあったけれど、色々と不満があるみたいだった。私も思っていることがあったから、おしゃべりが止まらない。
Kちゃんは息をはずませて冷めたポテトをフォークで刺しながら、「李ちゃんの環境ひどいなって思ってたの。残業ばっかで大変そうですって、私この前の面談で伝えたんだよ」と言う。偶然にも、私も「Kちゃんが頑張りすぎだと思う」と面談で話していたので、知らないところでお互いを気にかけていたのがうれしかった。
仕事場に戻る頃には、私たちはすっかりうちとけていた。
”お菓子が好きでホームパックを買っても秒で食べきってしまう”、”肉じゃがに切らした料理酒のかわりにサングリアを入れたらトラウマ級に美味しくなかった”など、くだんないプライベートな話もした。
Kちゃんは時々会話の中に「〜やけん、」と方言が混じる。それがとってもキュートだった。
それから私たちは同期というよりも"同志"みたいな感じで仲良くなった。当日にひまだねえと言って、クリスマスだって一緒に過ごした。
仕事帰りに近場のイタリアンの店に向かう途中、寒空の下をならんで歩きながら、”どうしてこの仕事場に入ったのか””今まで何をしていたか”という話になった。
私とKちゃんは、今までの道を選ぶ時の考え方が少し違った。私はやりたいことがあればやってみたくてたまらなかったから、そっちの道を選ぼうとしてきた。もちろんうまくいったことばかりではなかったけれど、”周りがこうだからこうしなくちゃ”と何かを選んだことは、実はあまりない、と思う。
Kちゃんは、学生時代は演劇部に入っていたという。声質がよく、身のこなしが軽やかなのにも納得する。
「そういう道に進むのに憧れてたけど、大学の時は周りがやってるからってあまり考えず、焦って就活したんよね。視野がせまかったなって」
李ちゃんみたいなタイプの人がいなかったんだ、と続ける。
すこし言葉につまって、私もまだまだこれからだよ、一緒にこれから好きなことしよう、と言った。そうだよねと頷くKちゃんは活力にあふれていて、彼女を待っている世界っていっぱいあるんじゃないかなと、本当に思った。
私の知らない頃のKちゃん。
Kちゃんの知らない頃の私。
それぞれの紆余曲折をこえて、偶然私たちは出会い、おんなじ場所でOLとして過ごしていた。
残業の合間にFAX機の前で喋ったり、ランチに行ったり、カワイイ洋服を着ている日は"デートかな"とかんぐってみたり。
私がロン毛のおにーさんがいかにカッコイイかを力説するうち、最初は「えー?それはわからんわ」と笑っていたKちゃんまで「確かに意識したことなかったけど、かっこいいね…!!」と言ってくれるようになったりもした。
Kちゃんがいて、仕事場がずっと楽しい場所になった。その存在にとても支えられていたし、彼女のおかげでここもわるくないんだな、なんて思えていた。
彼女は私よりもずっとちゃんとしているから、グチも出るようなこんな環境ではあるけれど、私が辞めたりしないかぎりは長く一緒にいられるんだろうなとぼんやり思っていた。
そんな、Kちゃんに。
「あのね私仕事辞めるんだ……」と告げられたのは、いつも通りのランチで、お喋りをしながら食後のアイスティーを啜っている時だった。
私は驚きすぎて、ヘンなリアクションになる。
聞けば、福岡にいる彼女のお母様に重病が発覚したのだという。いつ何があっても駆けつけられる場所にいられるよう、地元に戻らなくてはならなくなったらしい。
「李ちゃんには言いたくなかったんだよね」と、いつも気丈なKちゃんが笑ったまま、ちょっと泣きそうな顔をしていた。微妙に、はじめて見る表情。
私はなんて言えただろう。
彼女が言う”辞めることになってごめん”より、彼女の身の上にどうやったら寄り添えるんだろうと必死だった気がする。うまくできた自信はない。水滴のついたグラスは放置されたままで、氷の溶けたアイスティーがまだ1/4くらい残っていた。
それからはあっという間で、約1ヶ月後にKちゃんは退職することになった。実感がわかないまま仕事はどんどん忙しくなって、一緒にお昼の時間を合わせられることも少なくなった。
退職の数日前、前々から約束していて、私ははじめてKちゃんの家へ行った。
スーパーでお酒やホームパックのお菓子を買いこみ、ウーバーイーツでピザを2枚と串揚げのセットを頼む。全部をばーっとローテーブルに広げて、豪勢な夜だった。
部屋で見るKちゃんは下北沢で買ったという白いジャンパーに短パン、裸足という格好。仕事場での"しっかり者"の顔がやわらいだような、ある意味本当に、ふつうのかわいい女の子だった。
Kちゃんはお母様の話はしなかった。私たちはその話だけ避けるみたいにいつものようにわいわい仕事の話をして、あっという間に夜は更けた。終電ものがした。
日付が回る頃、私は酔っぱらって渡し忘れないようにと餞別を渡した。カネコアヤノさんのCD。
Kちゃんはとってもよろこんでくれて、それがきっかけかわからないけれど、私たちは一緒にYouTubeで音楽を聴きはじめた。ベッドの上に並んで座り、なんだかいつかの幼なじみみたいに、一緒にいっこの毛布をかぶって。
「李ちゃんの好きな音楽聴きたい」と、かすれた声で言われる。たっくさんあるので迷ったけれど、私はSSWの中川昌利さんのMVをかけた。引っ越しの用意がすんだがらんとした部屋に、何度も何度も聴いた丁寧なギターのイントロが流れる。
本当に好きなものを分け合うってあまり得意じゃないのだけれど、私はKちゃんを信頼していた。
Kちゃんは中川さんの音楽を好き!と言って「後で見る」ボタンを押していてうれしかった。彼女が好きな音楽も流してくれた。ワンオク、小林私さん……これがKちゃんを支えている曲なんだなあとしみじみする。
時間もわからなくなった時間。
流れてきたBTSのMVを見ていたら、分けあえるグチは言えど自分の弱音を吐くことがないKちゃんが、「親の介護なんてずっと先のことだと思ってたな」とこぼした。ふっと。私はのがさないよう相槌をうつのだけれど、彼女は途中で言い淀む。カラに近い缶ビールを傾け、小さくげっぷをする。ベッドから下りて、コンタクトを外し黒縁の眼鏡をかけて、てかBTSの名前と顔をちゃんと一致させたいんやけどーと笑った。
私は。……あっ今のがテテだよ、と画面を指差した。
深夜4時くらいにKちゃんの家を出た。
タクシーに乗りこみ、シートに深く沈む。”今日はありがとう”とラインを打って景色を眺めると、明かりのへった街並みが窓の外を流れる。すぐそばにつづく工事現場の振動。
"夜の間でさえ季節は変わって行く"。そうね、いつも、なめらかに世界が変わっていく。
しばらくしてKちゃんから返信が来る。メッセージには”これからは友達でいようね”と、かわいい絵文字つきで書かれていた。
Kちゃんの最終出勤日はエレベーターまで見送った。
この前楽しかったねと笑って、あー明日から彼女がいないなんて信じられないなと思いながら。
電話しようねと約束をして、ソーシャルディスタンスとかわすれて手をにぎって、ドアが閉まる。
Kちゃんの手はすこし濡れてやわらかかった。ひとり残されたエレベーターホールで、やっぱフレッシュだ、と思う。
カネコアヤノさんのCD、聴いてくれたかなあ。
同じ環境にいたのはほんの数ヶ月の季節だったけれど、これからまだまだ人生は長い。私たちはずっと一緒にはいられないし、ひとりで歩かなきゃいけないことの方が多いのわかってる。
だから、友達でいられますように。生活が離れても、支えられるようになりたい。
そして東京から、福岡で過ごすKちゃんの生活がまもられることを願って。
そういう気持ちで何を渡せるかって考えたらこのCDしかなかった。収録されている「Home Alone」の途中、歌詞カードにはない”alone alone alone ”のいじらしくかっこいいフレーズが、私はあなたを思い出すたびに流れてくるよ。
ひとりで歩いても、また、集まろう。