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うちらがハイになってる時 どこにいたの

《地下アイドルの記録⑥-昼間の私、地下で出会ったファンの方々のこと-》

私たちはいつも三人で、都内のいろいろなライブハウスを回った。
ライブハウスは渋谷や秋葉原などのアイドルが集まる王道の場所もあったし、こんな機会じゃなくちゃ立てなかったような印象的なステージもいくつかあった。
駆け出しのお笑い芸人と一緒に出た、新宿の真っ暗な地下にあるお客さんとゼロ距離くらいの近さのステージ。私が好きだったヴィジュアル系バンドが出ていた、楽屋がステッカーと文字だらけの目黒「鹿鳴館」。先輩のリリイベで同行したショッピングモールの催事場のステージ。池袋サンシャインの新星堂。
原宿にある美容専門学校の体育館でライブをさせてもらった時は、そこの専門学生さんにヘアアレンジをしてもらえたりもした。マナツはかわいらしいヘアスタイルに仕上げてもらい"今日かわいいでしょー!"と物販でファンに言ってキラキラニコニコしていて、ミフユは仕上がりまでかなり時間がかかっていたな。私はあまりこだわりがなかった気がする。。でもみんなでいつもと違うヘアスタイルになってライブをしたのはやっぱり楽しかった。


ほとんどが都内でのライブだったけれど、一度だけプチ遠征をしたことがあった。
行き先は、埼玉県狭山市。なぜか平日の日中のタイムテーブルで大学を抜けなくちゃいけなかったので、当日は授業もそこそこにキャンパスを飛び出した。
大きなカバンひとつだけ持ってみんなのいる教室を出るのは、「さらば!!」という感じで、すごく爽快感があったことを覚えている。


その頃私は十八歳で、一応大学一年生だった。だから昼間は大学に通っていたけれど、ずっとどこか心の中でいらいらして、退屈していた。
もちろんそんなこともなかったのだろうけれど、見回せばみんな毎日飲み会をして、家柄がよくて留学して、沢山友達がいて、流行をたのしく使いすてることができて、受けたい勉強さえ周りと一緒にきめて行動してと、あの頃の私の眼には何も心底つらいことなどないように見えていた。

ねぇ、自分を根源的に否定したことはある?
つめたいトイレでお弁当を食べたことはある?

そんなこと考えたってしょうがないのに、やっぱりキャンパスは当時の私にはどうしてもハレすぎていた。みんないい子だったし優しかったし明るかったから、彼らがわるいんじゃない。ただ私はいつも色んな複雑な気持ちがぐにゃっと胸の中でねじれて、あの場所にうまくおさまれなかった。

"やれない"ことは、やがて"やりたくない"ことになって、"やらない"ことになった。
ひとりだっていいから自分の好きなものを選ぶことにもいつしか慣れて、周りのように過ごさないことはちっともつらくなかった。学生たちがサークルでの飲みのために集合するにぎやかな北門を通り、ひとりで電車に乗りこむ自分はかっこよかった。

もしかしたらちょっと泣きそうに見えたかもしれない。早足だったかもしれない。無心ではなかったからね。くだんない、とか思ってた。
十八の私はそのくらいまっすぐにつっぱって、ゴーマンで、ただしい女の子だったのだ。


話は戻って、狭山でのライブ。
たしかその日ははじめての《野外ライブ》でもあった。すっきり晴れた日で、ステージはとっても気持ちがよかったな。
それまで地下の密閉された場所でのライブばかりだったから、外で歌うのは全然違った。自分の歌声はマイクを通るんだけど、そのまま大きい空気の中に吸収されちゃうような感じでうまく響かない。ステージもいつもより広くて、その広さだと立ち位置もメンバーとの間にスペースが空きすぎて心もとないし、いつも通りの振りじゃ動けている感じがしない。だいぶ慣れてきていたし、いつものライブハウスならしっくりくるはずなのに、不思議な感覚だった。
東京の地下から出てやってきた狭山のステージは、青空も空気もどこまでも広かった。ほんと、全然かってが違ったなぁ。


私たちは、わからないけれど、全力なライブが売りだったんじゃないかな。回を重ねるごとにフロアの叫び声や振りコピがヒートアップして「今日はやったね!」と言い合えるような熱量あるライブができた日が増えた。ライブとMCで競う企画に出た時は、ガストでコーンピザ(私)や坦々麺(ミフユ)を食べながら打ち合わせをして挑んで1位をとった。先輩グループたちと一緒に出たライブでの「目当て入場数」(お客さんが自分たちのグループ目当てで入った数)が「一番多かったっスよ!!」とマネージャーに教えてもらった日もあった。このマネージャーは九州出身の情にあつい若いお兄ちゃんで、グループがよくなっていくのをいつも私たち以上に喜んでくれたっけ。


そんなふうに少ーしずつ流れが変わってきたら、グループのTシャツができて、新しい曲をもらえた。衣装もやっとちょっとガーリーなものを買っていいよと言われて、竹下通りの衣装屋やリズリサで見繕った。
ちなみに着物の次の二着目は、プリキュアみたいなやつだ。
上がぴったりしたオフショルで、下はボムっとしたミニのパニエ。腕はくしゅくしゅのアームウォーマー(ルーズソックスみたいな)を装着した。胸には、めっちゃでっかいハート。私は用事で行けなかったのだけれど、マナツとミフユが社長と一緒に買いに行ってくれた。
新衣装でライブに出た時、ファンの方から「なんかミニモニくずれみたいだねw」と言われた記憶があって、じつはけっこう言い得て妙だと思う。。。とにかくそういうガーリー×パンクな感じの衣装だった。


まだ出来たてのグループだったけれど、日を追うごとに、だんだんファンがついてくれるようになった。
そして、ファンの方は本当にいろいろな人がいた。
暑い日も寒い日も、ライブの開演前から「氷結」片手に道端に座っていた人。私たちの姿を見ると「よっす」と片手をあげてくれて、私たちは「また飲んでる!!」「肝臓こわすよーー」と口々に言ったな。あとは。おじさまだけど、手が小さくて、指が少女のようにほっそりとした人。(握手すると私の手の方ががっしりしていてその手を包みこんでしまってショックだった!!)いつも脇の方でひらひらと身軽に振りコピしていて楽しそうなのに、なぜか物販では絶対にいっしょにチェキに映ろうとしない人。天井の低い地下で、すごく高く跳躍する人。プリキュア衣装を「上半身がぴったりしてていいね・・・」と顔をほころばせる人。五人グループだった時から見守っていてくれて、いつも三人分の差し入れをくれた人。いかつい仲良しグループ。過去に何かあったらしい人。日中はお偉いさんらしい人。がっしりした腕に青褐色の刺青がきざまれた人。丸い目を見開く人。チェキを一日に何周もしてくれる人。全然、書ききれないほど。


この頃に思い出すのは、暗がりの中で照らされた、こういった人たちのそれぞれ違う表情ばかりだ。
そしてその当時よりも今の方がはっきりわかる。
色んな人間がごったがえす地下にいるとき、ただ思いっきりライブをやって汗をかくとき、私は昼間よりもこれまでよりも、心から笑顔になれたのだ。

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