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思春期エイジ かきかえOK

高校一年生の途中から始まった私の〈自分磨き計画〉は、結果から言うと、ちゃんと実を結んだ。

明るくてポジティブで、見た目もパーフェクト。
掲げていたのはそんなちょっと完璧すぎるイメージだったけれど、そうなりたいと思ってうたがわない時、とても強いパワーで進んでいける。
毎日研究&反省会をくり返して、華のセブンティーンになる頃には、周りから「すごく変わったね」と言われるようになった。「明るくなった」「痩せた」「かわいくなった」と。いつのまにか評価が百八十度変わって、努力家だねと尊敬までされるようになった。


"あ、世界変わったな”、と思った。
私はいつも、"今日から生まれ変わる""明日にはうまくやる"とリセットボタンを押したくてあせっていたけれど、〈その日〉というのは、何月何日とかに突然やってくるものじゃなかった。
実際は、脱出したいダウナーな日々の地続き。新しい世界を待ち焦がれて、百度目の正直を、うんざりしながらも続けた先。なんだかふわっとして、ちがう世界線に迷いこんだような不思議な感じだった。
こうして、一応私は理想どおりに、生まれ変わることができたのだ。



星が見えないこともない、東京にて。

ここは手作りの明かりに溢れて夜空は眩しく、おまけにブログを書いたりYouTubeでmvやライブ映像を見るために小さなスマホの画面を見つめすぎてる、安いカラコンをはめた私の目は悪い。たとえそこに昔から輝く小さな無数の星があったとしても、見逃してしまう。

星が見えないならば、願い事は、自分でなんとかしなくちゃいけない。だし、なんとかできないことはない。
そう思って、私は、何かをかなえるための努力が苦じゃなくなった。


そんなふうに開いていった、その後の高校生活は最高だったな。
毎日、窓から入る明るい風も、廊下を歩くのも、自販機の前のベンチで友達と写真を撮るのも、全部かみしめるようにうれしかった。鏡を見すぎるのも、自分の信念をうたがわないことも、全部無邪気だった。


壁に貼ったカレンダーが風で吹き飛ぶみたく、月日はどんどん流れていって、気がつけば三度目の春。
街へ続く坂道の途中、神社の境内で満開だった梅がやがて散り、ぱりっとした半袖の白シャツにまざった太陽と汗と香水のにおいが鼻をつき、秋が来て、私は十八才になっていた。
その頃には新しい自分にも慣れて、卒業もひかえ、日々は穏やかにかがやいていた。
高校生活最後の文化祭で、私が脚本・カメラ・監督を担当した映画が、その年の出し物の最優秀賞をとった。全上映、お客さんで教室がいっぱいになり、最後の上映では教室のドアを外して、観に来てくれたお客さんは廊下まで溢れた。
すてきな思い出と、その時に仲良くなった、今も関係が続くたいせつな友人ができたことは宝物だ。
そしてその傍ら予備校に通い、難関大学に合格した。後から聞くとその年の合格者は私だけだったらしく、もうほとんど運命だ、また、誰もいない場所へ。

ひとつだけ、どうか伝わりますようにと思うのは、私は学歴にはぜんっっぜんキョウミはなかったこと。
じゃあなぜその大学を目指したかといえば、やっぱりその時も"勝ちたい"と思っていたような気がする。自分にもだし、もしかすると、周りの子達にも。
私はどんなに笑えていても、何かを手にしても、どこかどこか心の底、"何度も周りにばかにされた""成り上がる"ということにこだわり続けていて、それがカウンターカルチャーのようなガソリンになっているみたいだった。
周りからは謙虚と言われていたし、まさかこんな風には思われていなかったと思う。でも、こんな真っ直ぐなゆがみがなくちゃ、こんな必死に結果をだそうとしていないと思うの。うつくしいかはわからないけれど、これな素直な気持ちと、かたちだ。


実は、本当は大学に行く気さえなかった。
その頃には、いい大学に行ってそれなりに仕事につければOK、ではとても満たされない欠けた何かを持て余していて、そのからっぽを埋めるように、夢ができていた。

それは"私も誰かを照らしたい"という夢だ。

これまでのどん底だった私を救ってくれたのは、音楽だった。
きらっきらに輝いて、強く歌う歌姫。彼女の力強い存在はほとんど信仰で、ティーンエイジャーの私は、彼女の言葉や輝きをとことん信じることで走ってこれた。そして自分も生きづらいのを経験したからこそ(その時点では、もう自分はその季節は越えたと思っていた)、脆かったり疲れていたり傷ついている人を歌や笑顔で励ましたいと、本気で思っていたのだ。


この夢をかなえるために、私は大学に入学してすぐにネットでオーディションを探して受けまくり、五月に縁があって原宿にある〈ライブアイドル〉の事務所に所属することになった。
この選択をきっかけに、私は自分の人生を、間違えながらも選んでいくことになる。







違う自分になれたと幸せだった十八才も、学校帰りにひとりである曲を聴くと、きまって懐かしい心の激しさが湧いた。

acid black cherryの「Re:birth」。
これを聴く時いつも私は独りよがりになった。自分の世界の中で、傷なのか夢なのか、そんなのが渦巻くマグマをわすれまいと、少し泣いたりした。

だって、Yasuの圧倒的な声が歌うのだ。

ヒビ割れたまま高い場所へ

後もう少しなんだ


今はただ、上へ上へ。

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