7 days war
”mixiをやっていたから”。そんなつながりで結成された高校ではじめてのグループは、ふたを開けてみるととても気の強い子たちの集まりだった。
当時を振り返ってみても、一学年にさまざまな女の子グループがあった中で、私は身内だったからとかではなく一番くせのあるグループだったのではないかと思う。
彼女たちはクラスの中心的な存在で、とにかく人をばかにしてばかりいた。
見た目をけなしてあだ名をつけたり、気に入らないというだけで悪趣味なけしかけ方をしたり、ちょっと変わっている男の子に喧嘩をうって本気で怒らせたり。そのやりたい放題は、別のクラスの子たちに「〇〇(グループ名)はこわい」と冗談半分で言われるほどだった。
ひとつ、印象に残っている出来事がある。
それははじめての夏休みに、そのメンバーでよみうりランドに行った時のこと。流れるプールやスライダーを楽しんだ後、少しの間二:二に別れて行動した瞬間があった。たしかその時、私はもう一人の子と食べ物の露店を探して歩いていた。すると、もう片方のグループの中でもより強かった二人組のほうから突然集合の連絡がきた。
行ってみると、知らない若いカップルと何かもめている。彼氏のほうがこちらに向かって「それ僕らのですよね、」と言い、「ちがうんですけど」と二人が言い返している。
彼女たちの手には、まったく見覚えのないスイカのビーチボール。そんなの持ってきていたっけ?と思いながら、どちらの肩を持つこともできず言い合いを見ていたら、じきにカップルは踵を返して行ってしまった。信じられない、という感じで。
私はその後で二人から、その知らないカップルのビーチボールを盗んだことを聞いた。しらをきり通して、最後には買ってきたマッキーペンでボールに自分たちの名前を書きこんでいた。悪びれるどころか、満足そうな笑顔で。
私はそのときの、思い出づくりに来ていたであろうカップルの彼女のほうの、一日が台無しになったような表情をいまだに覚えている。
何やってんだ、と思ったけれど言えなかった。
つねにそういう温度差というか、それ以上の価値観の違いがあった。誰が善いとか悪いとかじゃないけれど、そんな雰囲気に私はなじめずに、まっさらな春は私にとってどんどん落ち着かない日々に変わっていった。
ひとつ自分をほめたいのは、もう、流されて同調することはなかったことだ。というよりどうやってもできなかった。私はぜんぜん素晴らしい人間じゃないけど、ただ〈された側〉のほうにシンパシーを感じていたからだと思う。すでに自分もそっち側だった経験があったから、大人数で個人を傷つけるなんてぜったいしたくなかったし、された側の心境を想像するほど自分もつらかった。
だけど彼女らは、少なくとも当時は、された側に行くことはなさそうな、目が大きくとても可愛いどっしりとした女の子たちだった。
そのグループの中で私はまたいじられる方で、見た目や中身をよくディス、られた。私にもそういわせる何かがあって、また彼女たちもそこまで私に刺さっていると思っていなかったのかもしれない。けれど、「ネガティブが伝染る」とか、「変わってるよね」「変だよ?」の口をゆがめたような笑いは、十五才の私にザクザク刺さった。否定されていくうちに、ここで何を話したらいいのか、どうしたらいいのかどんどんわからなくなっていった。
seven days war、平凡な日常は戦争。
毎日、遊んだりマックでだべったりする放課後。
いつも帰りたかったのを覚えている。その集団の中に最後までいられる気がしないので、いろんなウソを言って、早めに帰っていた。帰りのバスにひとり乗りこみ、ねじれたイヤホンを垂らして音楽を聴いているときが一番しあわせだった。
みんなでかたまっていたお昼。
途中で食べかけのお弁当を持ってトイレにこもって泣いた。トイレはうすぐらくてつめたかったが、あの教室にいるより、そこにいるほうがずっとよかった。
どう発散していいかわからなくてトイレットペーパーを投げたり、ポケットからウォークマンをひっぱり出して爆音で音楽を流しながら、みんなと公開しあっているものじゃなく裏でもう一つつくっていた、Croozブログに気持ちを書きこんでいた。
はっきり覚えているのは、とにかく私にいろいろと言う周りの彼女たちが"社会"で、はみだして、間違っているのは私のほうなんだって本気で思っていたこと。だから直さなきゃいけないんだ、と。
そんなことを、"もーやだ"、とか"どうして?"とか、ひたすらひらがなで綴っていた気がするな。
このブログ、もう今は見ることなんてないけれど、とくに消していない。あの頃の言葉たらずでセツジツなことばたちは、まだパス付の記事の中でさけんでいるだろう。
そんなふうにトイレに逃げ、音楽を聴き、ブログにことばを吐き出し、落ち着いてきたらよく顔を直して何事もなかったかのように教室に戻る日々が続いた。
あの時間に、ただ泣いているだけだったら救いはなかったかもしれない。
だけど私は、短くしたスカートのポケットにかならずウォークマンを入れていた。
そしてしがみつくように音楽を聴いていた。
たぶん、人生で一番すなおに歌詞を信じていて、それがそのまま私の血になって流れていった時期だった。
ひたすら聴いていた音楽は、ビジュアル系や浜崎あゆみ。
私にとってその陰属性と、だけどそこにただあまんじているだけじゃなくて這い上がるんだというストレートな歌詞に共鳴していた。だって、這い上がりたかった。
それは、高一の終わりくらいだっただろうか。永遠の金縛りのように倒れっぱなしだった私を、とうとう音楽が起こした。
イヤホンから聴こえてきた、〈ヘビー・ポジティブ・ロック〉をかかげるSUGの武瑠くんの声。
「世界を変えたいなら変われ」
これが全てだった。
私は、本気で変わりたいと思った。
だから徹底的に、自分磨きをする。見た目も中身も、生まれ変わる。このままじゃほんとだめだ。
変わりたい、いや変わる。
気づいたら、イヤホンから流れていた歌詞のようなことばが私の気持ちになって、涙が止まっていた。
そこから、全力で私は自分磨きの道を進んでいくことになる。
私の改革は、うすぐらい小さなトイレで起きたのだ。
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