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僕だってイノセンス 君だって

十五才。
只々せつないくらいのすてきな期待だけをもって、坂の上にある高校に入学した。
夜は眠らず、スパルタで熱い塾の先生に「休みな」と言われても休まずに受験勉強をして"のぼった"場所。
これから私の期待とうらはらに、長く長く向上心という名前にかくれた自信のなさと私はたたかい続けることになるのだけれど、それを象徴するみたく、この高校にも先の大学にも〈上〉という文字がきざまれていた。

あの頃、知る人の誰もいないことはちっともこわくなくて、正しくやってきた春の色はちゃんとあたらしかった。私自身もあたらしくなった気にさせてしまうような、百パーセントの春。
知り合いはいなかったけれど当時はmixiが流行っていたから、私は入学前に「春から〇高」というタグで大勢の匿名の十五才たちとつながっていた。
時代で見ても、ちょうどSNSの波にさらされはじめている季節だったと思う。でもまだこんなにSNSそのものに疲弊する前で、素足が濡れるのがたのしかった水ぎわの頃。

mixiは、まちがいなく青春の片鱗だ。
今掘り返されたら「ヤメテ…!!」と思わず赤面してしまうかもしれないが、みんな「〇〇ぽよ」や「〇〇にゃん」など思い思いのあだ名を持っていて、小さなアイコンには画質の荒いプリクラ。高校は校則自由だったので、キンパツで目が濃い女の子や、サングラスで凄みのある男の子などいろんなアイコンがあった。

あの春に、後にも先にもない好奇心と自意識でながめていたあのアイコンやタイムラインの印象は強烈だった。
何せまだ関わったこともないから、その一枚の切り抜かれたプリクラを見てこの子はつよそうだ、この子はやさしそうとか色々考えていた。
その後、関わっていくうちに芯が強かったり笑いのツボが合ったりとみんな立体的になっていくのだけれど、今でも彼らを思い出す時、ふと、色々思い出があるはずの在学中をとびこえて、いっちばん初めにタイムスリップしてしまうことがある。
そこにはただmixiの暇人いいねのつぶやきと紹介文があって、びりびり若さがつたわってくる十五才たちのプリクラが焼き付いたままなのだ。


話は戻って、入学前の私は、気合ばっちり!だった。
ギラギラしたヒョウ柄のミラーや(ベティちゃんが大きくプリントされているドンキで買ったやつだ)、安いけれどもわかりやすくいいにおいのする香水なんかを新調して鞄にしのばせたりして。
これはほんとうに普通に私のきらきらした期待でもある。
でももっと正直に言えば、十五才なりの"武装"でもあった。
女の子は時にざんこくだから、黙っていてもそういうちょっとした持ち物でセンスをはかられたり、見極められたり、劣等感を感じたりする。
それをよくわかっていたから、私は自分を表現するというよりも、自信がないのを隠してせいいっぱい外側を武装していた。髪も染めてスカートも何重にも折った。
何を正解にするか、何を基準にするかはいつも外側にあったみたい。私にとって学生生活は、無意識にもずっとサバイバルだった。


その努力が実ってなのか、私は入学してすぐにあるグループに入った。
”クラスでmixiをやっている女子”が集まった、派手なグループ。
入学初日に、目に派手なイエローブラウンのカラコンをはめたとてもきれいな女の子に「mixiで繋がってる〇○だよね?」と話しかけられたのがきっかけだった。
堂々とした佇まいの彼女ひきいるグループは私を入れて四人組。共通点は"mixiをやっていた"、ただそれだけだったけれど、当時はひとりにならずにすんで安心したような気がするな。


だけど、このグループで過ごした一年間がその後の人生に大きく影響を与えることになるのを、この時はまだ知らない。

"自ら選んだ人と友達になって"

そのメンバーの誰とも連絡をとらなくなり、ひとりそんな歌詞に涙する、十年ほど前の話だ。

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