目の前にはいつもヒントがあり
二〇一二年。日本列島の、東京、その片隅の、高校の校舎の三階の、手前から三番目のうすぐらいトイレの中。まけてばかりだった女子高生はひとしれず〈生まれ変わる〉決心をする。ぐにゃりとねじれよごれたイヤホンを通して、毎日毎日、ロックスターが、歌姫が、歌い続けたのだ。世界を変えたいなら自分が変わるんだぜ、と。
そうやってなんとか起きあがった私が、何より克服しなくちゃいけなかったのは、何より"自信のなさ"だった。
今考えれば優劣で考えすぎていたし、"だからどうだというの"と居直れるけれど、当時は見た目も中身も人より劣っているという意識がかたときも頭から離れなかった。
じゃあ、どうしたらいいか。
それは簡単で、自分のダメだと思っているところを意識して変えていけばよかった。根気づよく。
そしてそれまで気づいていなかったのだけれど、やり方はそこらじゅうにあふれていた。ネットの情報は勿論のことだけれど、何よりバイブルになったのは、当時好きで読んでいた「Ranzuki」や「popteen」などのギラギラしたギャル雑誌、そのモデル達が更新しているCroozブログだった。
そこでは誰もが一ミリでも可愛くなりたくて、自分のなりたい自分になろうと数時間半身浴したりつけまつげを幾つもカスタムしたりして、一生懸命頑張っていた。彼女たちの物凄くストイックなダイエットや化粧研究が特集されていたり記事になっていたりして、私は当たり前のようにそれを一番のお手本にしていった。
私のなりたい自分は、当時自分に対して抱いていたイメージと真逆の人間だった。シンプルに言うと痩せていて、可愛くて、明るくてポジティブ。極端に陽な感じである。今文字に起こしてみると、そんなにテンプレートのような完璧を目指していたのかと自分でもびっくりする。だけど私は、大丈夫が何かわからなくて、とにかく花丸が、正解が欲しかったのだ。
見た目はただただブツリ的な努力あるのみで、痩せるために、バスでの通学をやめて片道一時間かけて歩く、家での運動と半身浴、食事制限、断食、レコーディングダイエットなどをやった。雑誌やブログの情報を集めてノートにまとめ、自分だけのダイエット習慣を作っていた。
それから、道具も使ってみた。これはとっても印象深いなあ。
とにかく当時情報源の多くがCrooz blogだったので、ブロガーたちがアフィリエイトで紹介していた発汗ジェルや痩身クリーム、着圧スパッツ、置き換えクッキーなどをどんどん試していった。
買ってみて失敗したものもあるけれど(初めの頃なんて、クッキーは置き換えとしてじゃなくお菓子のようにモリモリ食べてしまった)、私はこの中でトウガラシエキスが過激にふくまれている発汗ジェルのシリーズをリピートしていた。
半身浴をしたお風呂あがりに足や手にそのジェルをぬりこんで、あざになるほどローラーでマッサージをすると、その部分が耐えられないほど熱くなる。ほとんど痛み。それを我慢して、よく汗がかけるようラップを巻いて、その上に着圧をはいてから寝る。これでサイズダウンを目指していた。
あとはお化粧の研究。ドンキの浜崎あゆみが流れるコーナーで買ってきたカラーコンタクトやつけまつげを試して、雑誌とにらめっこしながら「お人形メイク」「猫目メイク」など色々やってみた。どうすれば盛れるのか、鏡ばかり見ていた。瞼の形が気に入らないことに気づいて、毎日欠かさずにほそく切った絆創膏を二重の幅に貼っていたら、いつのまにか理想の二重が癖づいた。そしてこれは、スマホで文字をうっている平凡な二十四歳の今までずっと崩れていない。執念の二重だったといえる。
見た目に比べてやっぱりタイヘンだったのは、中身を変えることだった。考え方や悩みの癖って、そんなに簡単に変わるものじゃないもんね。
だけど私はそのときすでに”絶対変わる”という強い意志があって、”したい”のし”たい”といういいまわしさえ使いたくなかった。したいなら、するだけだ、と。
今月日は流れ少し学んだりして、人って正反対に思える要素もプリズムみたいに無数に混ざってるんだなと思う。暗いし明るいし、つめたいしやさしい。男で女で、子どもで大人。「もームリがんばれない」と「任せてがんばれる!!」のどちらも言えるみたいな。
だけどこの頃は若かったのだと思う、もの凄く頑なだった。なりたいものも、否定するものも。
ネガティブ、変、と言われる自分がすべてだと思っていて、存在丸ごとゆるせなかった。みんなからもゆるされないんだと思っていたから、自分も自分の味方になれなかった。
いけないところは全部消したかったから、私は、ネガティブをいっさい封じた。
口にする言葉も表情も意識してつくるようになった。弱音は吐かないし、とにかく、意識してよく笑う。かなしくても、こわくても、くやしくても。すっごく傷ついた時も、みないふりして笑顔を浮かべる。本当は内側にこもること、ひっそりと考えたり、ひっそりと愉しむことが好きでもあったけれど、それはいけない習性だと思っていたから、外側へ意識を向け続けた。
純粋な憧れに近づいていく行為は、そのほとんどが大工事、パッチワークみたいだったんだなと思う。なりたいもの、信じたタフな歌詞や言葉をあつめて、少しずつ外側を継ぎはぎしていった。
ブログのトップページのデザインやLINEのプロフィールの一言のところ、その時いちばん私をふんばらせてくれる光の呪文のようなことばや歌詞が何度も更新された。日に日に磨かれていく自撮りの写真が増えていった。
こうして、私は〈自分磨き〉の季節に入った。
あの頃よく口にしていたこの言葉は、けっして私だけのものではなかったように今は思ったりする。周りの女の子たちも口にしていたし、いろんな最先端のメディアにもこの文字が躍っていた。
言うなれば、もしかして。時代のものだったのじゃないかな。
こんなふうに社会で生きてくために自分を変えることは、もちろんつらくもあった。
だけど私は、明日が来るのがこわいと思ったことはなかった。
ただ、明日にはもう少し上へ、外側へと、社会の中で絶対素敵な女の子になることを願っていた。
私の血の中には、ずうっと聴き続けた、低い場所から吠えるような音楽がたえず流れていた。
そして、極端でも真っ直ぐで無敵な"負けてきた、だから勝ちたい"という気持ちだけが、生きづらさにボロボロだったティーンエイジャーの私があきらめないで生きるための、唯一のマグマだったのだ。