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遊び心と きみの声を

《地下アイドルの記録-ラスト-》


卒業ライブは六本木beehiveでやってもらえた。
ここでデビューライブもしたし、私にとってはアイドルの始まりの場所だ。
ハリーポッターの談話室のような薄明るい楽屋でメンバーと化粧しながらお喋りしたり、"あんな曲やりたいな!!"と先輩アイドル達のライブを興奮気味に眺めたり、螺旋階段にもフロアにも、思い出が沢山つまっている。
だから、ここでやってもらえるというのはとってもうれしかったな。



最後の日もいつも通り、衣装を詰めた大きな鞄を背負って会場入りした。日中と夜に公演があって夜の部で卒業だったから、まだ明るい昼のうちに入って、一日たっぷりここにいることができた。

オープン前、私はミフユとバーカウンターがある踊り場の隅っこに置かれたソファに座っていた。懐かしい、デビューの日にいかついファンの人たちが座っていたソファである。
ここではいつも物販をやっていた。沢山の出会いがあった。沢山の人とブースひとつ挟んでお喋りしたし、突然お姫さまだっこをされたり、「紅葉見に行こうよう」というダジャレに笑ったり、チラシを手に必死に声をかけてチェキを撮ってもらったり。

そんな踊り場はまだお客さんもいなくて、がらんとしていた。年が終わる少し前の12月で、少し開いたドアから冬の日差しが入って木の床にはねていた。なんだか穏やかで、beehiveらしくなくて、別の場所みたいだった。
この日は私の大学の子達が観に来てくれることになっていて、それを知ったミフユが、

「今日来る子たちは仲良いの?ミフユより?」

とおこったように聞いてきた。相変わらずのくっきりした二重の目で、きっ!とにらんできた。
あんまり率直でミフユらしい質問に笑ったけど、うまく答えられなかった。ほんとは、全然、ミフユは誰よりも大切な友達だよと答えちゃえばよかったなと思っている。
彼女の提案で、私たちは携帯の電話番号を交換した。私がアイドルの名前でつくったTwitterのアカウントが消えても、LINEが消えても、会えなくならないように。

これからも絶対に遊ぼうねと約束して、

私、もしもう二度とミフユに会えないんだったら、きっとアイドル辞められないよ。

そんなホントに我儘でどーしようもないことも言った。

「これからはなんて呼べばいい?アンナのままでいい?」

そう聞かれた。私の本名は、ミフユいわくピンとこないらしく、なんか「メンヘラっぽいw」らしい。いや、全然よくある名前だからね?おこられるよ???
そんなふうにいつも通り冗談を言い合いながら、ちょっとずつ、穏やかに、お別れの準備をしていった。



夜になり、出番を待っている時、あの妖しい楽屋でミフユが私の側に来て泣いた。
私も泣いた。
マナツも来てくれて、ぎゅっと三人で居た。
近くにいた別のグループのツインテールの子が私たちを見てほほえんでいた。
下のステージからは、何度も聴いて今では歌えるようになった事務所の先輩グループの音楽がガンガン鳴っていたけど、沸いてる歓声も、喧騒がすごく遠くに感じた。

歌が好きで踊るのも好きで。何より三人でいるのがこんなに好きなのに、どうして私は絶対に"辞めなきゃ""辞めたい"なんだろう?
一緒にいてしあわせっていう奇跡みたいな気持ちに"ごめんなさい"が混ざる、あんな感情が体いっぱいにあふれたのは初めてだった。
まだほかに違う答えがあるかもしれないのにわからなくて、感情だけがいつも百パーセントで心より私の体を動かしてて、それって動物みたいだと思う。
コントロールがあやうい。
感情と心は、ちょっと違う。


最後のライブの景色。コールで今までで一番名前を呼んでもらい、少し遠くに目を向ければ、情が熱い九州出身のマネージャーとファンの方が後ろの方で見守ってくれていた。物販でもらった手紙や写真、お菓子は全部宝物になった。
五人グループの時から見守ってくれていた方が大きなスタンドフラワーをくれた。生まれてはじめてで、うれしさと、やっぱり申し訳なさとで胸がつまったんだ。


荷物をいっぱい持ってライブハウスを出る頃にはもう終電がなくなっていた。
最後まで残ってくれていたミフユが帰れなかったので、迎えに来てくれた父の車に一緒に乗った。
後部座席で一緒にファストフードのナゲットやポテトをもしゃもしゃ食べながら、(父が私に買ってきてくれていたものだが、ミフユも遠慮せず食べた)まず家が遠いミフユを家まで送った。

これからはふつうに遊ぶんだよ!と何度も約束してとうとう別れた後、私は突然気持ちわるくなって、車窓から吐いた。
父がびっくりしていた。
私もびっくりした。
疲れていたのか、酔ったのか。というよりは多分メンタル面の方が大きくて、なんだか言葉にできない色んな感情が吐けた気がして、気持ちよかった。(ギリギリティーンエイジャーなのでゆるしてね)必要なことだったんだと思う。


自信のなさや劣等感から生まれた、きらきらした夢。
自分の手で終わらせた。
19で"もうちゃんとしなきゃ"と思いこんだ私が、
人生はハタチがクライマックスなわけなんてなくてまだまだ先は長く、
"ちゃんと"のかたちはもっと沢山ある
ということを知るのはもう少し先だ。

人生の中でダイナミックだったひとときは、最後までダイナミックだった。

私のアイドルの季節はこんなふうに幕を下ろしたのだ。

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