のぼせて死にかけたけど、元気にnoteを書く人生。
YouTubeで「林修が世間を斬る!」みたいな動画を観ていたら、アホみたいにのぼせた。
アホだ。本当に死ぬかと思うくらいのぼせた。
人間ってあんな容易く前後不覚になるんだな。
---
ここ数日、カリスマと呼ばれるような人たちが今や未来を語る、いわゆる“意識高い系”動画を観るのにハマってるんです。
理由は単純で、就活期で色々考えちゃうから。
(それで小学生でもしないような体調不良引き起こしちゃうんだから、救えないな〜……)
そんな付け焼き刃の習慣が祟って、朦朧としながら
(あー、俺もしブラック企業とか入っても、こんな感じで『まあこれまでもなんだかんだ体壊したことないし、いけるっしょ』とか考えて、徐々に徐々にのぼせていって、気がついたら死にかけたりしそうだな〜)
とか考えてたわけです。影響されすぎですよね。
で、しばらくぶっ倒れてたら回復してきました。
意外と、頭がスッキリしてくると楽なもんで。今まだ15分も経ってないんですけど、もうかなりピンピンしてます。
そして、二度目の「自分の将来を考えるタイム」。
(一度ヤバいところまでいっちゃっても、死にさえしなきゃいずれは回復するんだな。もしドロップアウトしてダメになっても、落ち着いて、ゆっくり立ち止まれば大したことじゃないんだな……)
なんだこいつ。と思われたそこの貴方、正解です。完全に自己啓発病の末期患者ですね。幸せそうな顔だ。
そして、なぜかnoteを開きました。
あのですね、
何を血迷ったか、
このなんてことない日常の出来事を、
noteにまとめようとし始めやがったんですよ。
なんで?どうして?どこに書き記す要素があった?
(俺がもし仕事で体を壊して辞めて、静養して社会復帰しようと思ったら、何から始めるかな……多分、体を壊して失職するまでの体験をブログにして笑い飛ばすところから始めるな〜)
?????????????
?????????????
?????????????
狂ったのか?
現実と例えの境界が完全に失われている。
俺ときたら、完全に自分がブラック企業に入社→やりがいや惰性でそれなりの無理を続けて死にかける→しばらく休んだ後、社会復帰を考えながらブログを立ち上げるという波乱の人生を歩んできたことにしてるんですよ。
一回の湯上りだけ掴まえて人生分かった!みたいな顔してんの、“120%のヤバい人”じゃないですか??
今はちょっと冷静になってきて、流石に自分へのツッコミを入れながら書き進めているんですが、さっきまではマジで『自分が辿りうる未来の一つを縮小したかのような体験だった』と思ってました。
で、ここからが本題なんですけど。
皆さんは、自分の何気ない行動や発想が『自分の生き方を象徴している』と考えることはありますか?
俺は、最近自己分析とやらに勤しんだり、意識高い系動画を漁ったりする中で「そうなんじゃないかな?」と思うようになってきています。
今までやってきたことを、明日からもやるだろう。
だから、明日からはそれをよりうまくできるようにしよう。
そんなことを考えるようになりました。
明日も同じ成功と失敗をすると思って、なるべく次に活かせるようにしたいなぁ、とか。
そんなことも考えるようになりました。
---
つまり、本当に大切なのは、
自分が「動画を観ながら風呂入ってのぼせて死にかける人間」だということと「もうのぼせて死にかけるのはやめよう」と思ったこと、ではなく。
自分が「動画を観ながら風呂入ってのぼせて死にかけるような人間」だということと「もうのぼせて死にかけるようなことはやめよう」と思ったことだ。
俺は風呂でアホみたいにのぼせる人間だが、気をつけるべきは風呂でのところではなく、アホみたいにのところだ。そこを改善できるように、整理しなくちゃいけない。
①動画を観ると楽しいので、やめることができない
②体は苦しいのに、温まるのはいいことだと自分に言い聞かせてしまう
③いつもより短い時間しか入っていないから大丈夫だと自分に言い聞かせる
こういう自分の特性を、他の場面でも気をつける必要がある。
そして、そのことを肌で体感して頭で整理した自分の口から、同じような性格の同胞たちへと発信できたら、そこには価値が生まれるだろう。
そんな風に考えてnoteを開いた。
正味な話、途轍もなくしょうもない体験談だ。
冷静に考え直してみると価値は全くない。
しかし、これを書き残すという行為は、間違いなく自分らしさを象徴している。
俺は恐らくもっとずっと大きな問題に直面した後にも同じような行動をとるだろうし、とれたらいいな〜、と考えている。
のぼせて死にかけたけど、元気にnoteを書く人生。
(もちろん、常に正しい選択をして順風満帆に生きるのが一番だが)失敗したらしたで、それを笑い飛ばすのもまた一興だ。
---
とまぁ、風呂上がりに人生を語る二十過ぎの若造の図を見ていただきました。
随分と極端で、明らかな間違いの多い例ではありましたが、『今』の出来事から『未来』の教訓を得よう!という部分は、どこかで活かせるかもしれませんね。
ようやく頭がすっきりしてきたので、今夜はぐっすり眠れそうです。
あくび侍(名乗るのは最後かも)でした。おやすみなさい。