目紛(めまぐる)しさと煩(わずら)わしさと眩(まぶ)しさと
今日は青春とモラトリアムをだらだら賛美する回です。
お久しぶりです。あくび侍です。
大学の卒業が決まって、就職を控えてダラけています。
「ひいこら」と「ハイカラ」の音が近いのに、意味はほぼ真逆だな、とか考えてました。うっすい時間。
そんなよく言えば平穏、悪く言えば弛緩した日常を送っているんですけど、やっぱり、なんというか……時間が経つのがゆっくりなんですよね。息をつく暇しかないし、深呼吸したって集めた酸素のやり場がない。
張り合いがどうにも失われちゃってるんですね。
そこへいくと「ひとりぼっちの今から抜け出したい!」みたいな青春ソングや「このままじゃ人生ダメなんじゃないか?」とかいうモラトリアム小説はもう、圧倒的に生き急いでいて、精神の先走りが迸ってるわけですよ。
この「加速」が、今の自分には羨ましい。こんな風に切迫した状態を生きたことが、僕にもあったんだろうか。覚えてないなぁ。
空間・環境・時間みたいな、抗えないものと闘ってる人の時計は速いんだと思います。
順応しちゃうと、世界はどんどん凪いでいく。
それは全然いいことなんですけどね。
僕は、つまんなくって焦ってた頃の思い出が結構好きです。
味気なさは味覚に残るし、キツさは触覚に残る。
見て聴く以外に残る記憶で、しかも体にしっくり馴染む。これが不味さや痛みだったら、思い出すのもイヤなんでしょうけど、“つまんなさ”っていうのはちょうどいい。
単なる退屈じゃなく、焦りや閉塞感に迫られてぐるぐる巡っていくような日々が、またいつか訪れたらいいなぁ。
……と、今はただ無責任に思います。
まとまりのない話を失礼いたしました。
来年からの社会人生活には、きっと目紛しさも煩わしさも眩しさもあるでしょう。今は少し楽しみです。
今日とは真逆の愚痴を書く日もあると思うので、その時は是非、また読んでください。
それでは!(今年の夏頃には、次の厳しい“春”に晒されてるであろう)あくび侍でした。