嘘のセンスと資格について
これがほんとのライ・センス。なんちゃって。
帰らないでください。
資格が才覚の証明にならない理由は2つ
事前に断っておくと、これから話すことは僕の個人的な思いつきであり、僕自身に取りたい資格や批判したい資格職がある、というわけではないので、続きを見ても全て時間の無駄になります。
言っちゃえば、最初のダジャレ以外はオール蛇足です。
よろしくお願いします。
※また、ここで言う“資格”とは、取得することで特定の職能に関われるようになるような専門資格を指します。TOEICやプログラミングのなにかしら(無知)のような、能力の参考値を出すテストは対象外です。
理由①資格は無資格者を除外するためのものであって、有資格者を祀りあげるものではない
素人にはさせられない仕事に資格がつきます。
専門的、かつミスがあってはいけない仕事、ということになるので、もちろん資格を持っているのは立派なことですよね。
ただ、これはあくまでも最低水準であり『センスがある/ない』以前の話なので、資格を持っていれば(同業の人たちに比べて)いい仕事ができるというわけではないのです。
考えてみれば、僕なんか自動車免許持ってても運転が上手いとは限らないですし、全然不思議なことではないですよね。(byペーパードライバー)
②資格が必要な仕事は減点制になりがち
先ほど『ミスがあってはいけない仕事』と言いましたが、そういう仕事は、大抵が“カンペキにやって当たり前”という目で見られます。
あんたプロだろ、失敗とかありえないよ、という厳しい評価に晒される仕事……医者や教師なんかを想像すると分かりやすいですが、そういう仕事でセンスを認めさせるのは、やはり非常に大変なことだと思うのです。
とはいえ「天才的な医者」とか「偉大な教師」はいるじゃないかと言われそうですが、その辺は理由①②の両方にかかっていて。
一流であろうとなかろうと“失格”でさえなければ資格は持てる上に、才覚を見られるポイントというのは、資格試験には出ないような再現性のない状況への対処であったり、専門資格で求められる最低水準はクリアした上での“プラスアルファ”のこだわりだったりするわけです。
もちろん資格を悪く言いたいわけではない
嘘のセンス、は流石に悪意を感じさせる表現でしたが、ライセンスは“能力の証明書”ではあっても“才能の証明書”にはならないよね、というお話でした。
卓越性を認めさせたいなら、資格ではない手段を選ぶか、業界の外側に自慢相手を設ける必要があり……後者の手段はそれこそ“センスの嘘”なんじゃないかな、なんて。
偉そうにすみません。
私見でした。では!