「ま、何があっても私はデザインできるから」ノマドデザイナーがスクール設立するまで-デザイントーストのキラキラしない誕生秘話・後編-
ハラハラ、ドキドキのオーストラリア生活、続きです!(前編はこちら>)
インタビュー by メンターふぁむ子
前編は、留学エージェントの方に「デザインやってみない?」とご提案頂いた所までお話を聞きました。受託されたんですか?
それが、フリーランスでやったことがなかったので、自信がなくて…。絶対に迷惑をかけると思って一度断ったんです。
断ったんですか!
そうなんです。ただ、その方は「日本のクリエイターの良さをもっと現地に知ってもらいたい。日本人は分かってないけど、とてもクオリティが高いしローカルと勝負できる」と言っていて、この人は何かビジネスで叶えたいものがあるんだ、とわかりました。
更に「上手くいかなかったら、全部自分が責任取るから」とまで言っていただいて。
ご厚意でそんな事まで言わせてしまった申し訳なさと同時に、オーストラリアで数少ない、私にできることをせっかく評価してくれる人がいるのに、こんな事まで言わせている私って、なんて小心者なんだろうと。私にすべきことって目の前で今私を求めてくれる人に力になることなんじゃないのか?何をビビッているんだ私は、と思ったんです。
結果、覚悟を決めて「やります!」と伝えました。
異国でフリーランスデザイナーデビュー
経験が既に多かったほりさんでも自信がない時期もあったんですね。何のお仕事だったんですか?
サンシャインコーストのカフェのロゴが、初めてのフリーランスとしてのお仕事でした。
納品した時「カフェの方すごく喜んでいたよ」と言われ、会社員の頃はクライアントをお話できる機会があるのは営業や担当だけで、反応が貰えなかったので、その時はすっごく嬉しかったです。
そして、その後「私はやればできるじゃないか!」と一気に調子にのって(笑)、体当たりで日系焼肉屋さんやカフェ等にバイト応募半分、デザイン制作の営業半分で、連絡をしてまわりました。
そういう人は今までいなかったみたいで意外にも反応が良くて、ポスターや広告、Webサイト、色々と依頼されたんです。
このような「一回やれば次からできる!と自信が持てて、」経験から、デザイントーストの卒業制作はクライアントワークにしました。一度ヒアリングから納品まで一通りやれば、自信を持ってできます!と言えるようになりますから。
確かに、実際に卒業制作を機につながって、継続的に受託されている方も多いですね。
デザインスキルより、成功体験と自信の方が大事じゃないかと思うほどです。デザインがとても上手なのに自信がない人って、すごく多くて、家で誰にも見せずに一人でデザインを作っていたりするんだなと。「書を捨てよ、町に出よう」を言葉通り実践してほしいです。
まさに体当たり、サバイバルという言葉がピッタリですね。逞しくてカッコいいです!
私に関してはその方の助けがあってこそです…!でも「私こういう仕事がやりたいです」「こういう事ができます」と言って回ると結構チャンスって舞い込んでくるものですよね。
フリーランスになると受動的でいると、似たような仕事ばかり依頼され新しい経験ってできないのですが、この時は経験のない事にたくさん挑戦できました。
日本で比較的経験が浅かったWebサイト構築も、現地でWebデザイナーとして働いている方を紹介してもらい、ヒアリングに同席し、勉強させてもらいましたし。
異国で会社員の経験も
他にも、現地採用でオフィスワークもされたそうですね。それはどんな仕事でしたか?
これも同時期だったのですが、旅行代理店の企画のポジションで採用してもらいました。
現地採用でオフィスワークだったので、ウェイトレスと違い、給与も合法の基準を超えていて、オーストラリアの働き方なども知ることができ、とても有意義でした。
朝起きて、フラットホワイトを買って、オフィス街の大きなビルで、スーツの方々と一緒のエレベーターに乗って。日本より、朝仕事に行く時が嫌じゃなかったんですよね。周囲もイライラせず道を譲ってくれたり、余裕があるように感じました。金曜はパブでおじさんたちは昼からビール飲んでますし。
日本から、雀の涙な報酬をかき集めていた頃に比べると、生活費の心配なく胸を張って歩ける感じもしました。(笑)
かなり紆余曲折がありましたが、努力が報われて自分のことのようにほっとしました(笑)
いや〜、生活が上手く回り始めるまで、色々ありました…詐欺にもあったりも…
えぇ!?異国の地で詐欺に…ヤバすぎます!
孤独に悩んでいた時期に、カフェで会ってすぐ、優しく親切にしてくれた日本語ペラペラのアジア人の方がいたんです。
仕事がないと話すと、ハウスキーパー仕事を紹介してくれるというので、すんなり紹介料を4万円くらい払って紹介してもらったんですが、「待てよ?言語が話せなくてもハウスキーパーならそこらへんでタダで求人してるのに、お金払ってまで紹介してもらうものなの?というか、高くない?」と後になって気づくという(笑)
他にも大家さんが、住んでる家の1階でマッサージ屋を経営していたのですが、いつも部屋まで来て、手伝って!と無償で働かされたり、働き先がないならうちでマッサージを学んでみないか?と講座にしつこく勧誘された事もありました。本当に好意だったのかもしれないですけど…
色々ありすぎて1年があっという間だったのではないでしょうか。1年経ってどういう気持ちでしたか?
異国の地では皆そうだと思うんですが、何もかも簡単に行かず、上手くいかない時期が半分以上でした(笑)
ただ、「デザインなんてやめてやる!」と思って来たのに、予想外にもデザインに救われて…はじめて自分の持つ価値を知りました。
渡航当初の目的だったビザや永住権については叶いませんでした。現地の就労ビザを得ることが目的でしたが、ビザ取得は年々厳しくなる一方で。国にいたいなら、その国に求められる仕事をしない限り滞在はできないと分かったんです。
オーストラリアに来る前なら「じゃ、ビザを比較的とりやすい、シェフやシッターにでもなるか!学校行こう!」となっていたかもしれません。でもその頃は「言葉の通じない人にも、"すごいね"と言って貰えるデザインをもう自分から切り離すことはできない」と強く思うようになっていました。
それならワーホリ終了と共にここを出る事を選ぼう、とオーストラリア移住はすっぱり諦めました。
ワーホリが終わり、次の地へ…
切り替えが早い!1年後は日本に帰られたんでしょうか?
いえ、慣れて居心地は良くなり始めていた頃だったし、日本に帰りたいとは思えなくなっていました。じゃあ、どこの国なら長く住みたいか?と考えた時、周囲にいたタイ人に親近感を感じていた事もあり、オーストラリアからすぐタイに行きました。
その後はタイにずっといたのでしょうか?
いえ、タイは観光ビザだと1か月しかいられないのですが、台湾なら最長3ヵ月いられる事が分かって。それから台湾・タイ・ベトナム等を行き来する生活になりました。
その間デジタルノマド中、お仕事はずっとデザイン一本ですよね。どんな形で関わっていたんですか?
はい、現地で営業した方からのデザイン依頼が多かったです。
基本的にはプロジェクト毎に関わらせていただく形です。例えばグラフィックデザインなら2週間、アプリのUIなら3-4ヵ月など。展示会に出す看板デザイン・Webサイトデザインなど、色々でした。
オーストラリアでは生活費が高く、働いても働いても…という焦りがありましたが、タイや台湾では生活費も節約でき、気軽に外食したり、少しキレイな宿に泊まるくらい余裕ある暮らしはできる状況になっていました。
デザイントースト誕生秘話
コロナ禍になって世界の状況が大きく変わりましたよね。デザイントースト設立はこの頃でしょうか?
各国が次々にロックダウンしていた時は、台湾にスーツケースを置いたままタイにビザランに来ていた時で「しまった!これではタイから出られなくなる!」と慌てて日本へ帰国しました。私は入国できたのですが一緒にいた外国人パートナーが入国拒否されたので二人でシンガポールに流れ着きました…(笑)
(その時のドタバタについては「【ぶっつけ旅行記】入国拒否はもういやだ」)
コロナ対策で他国から渡航した人は、2週間ホテルの部屋に引き籠らないといけないルールがあったのですが、暇で暇で!この機会を無駄にしたらもったいないと思い、パートナーにデザインを教え、記事を書きました。
(「4週間で初心者をプロデザイナーにするチャレンジ」)
ひゃ〜〜〜〜!これまた大変だったんですね!!その後、日本へ帰国したのは、なぜですか?
コロナの収束を待ちつつシンガポールに半年いましたが、状況は変わらず、ビザも切れ、泣く泣く帰国しました…
ただ当時、以前タイで知り合った経営者さんもシンガポールにいらっしゃって。今スクールをやっていてその中でデザインコースを担当してみないか、と誘ってもらい。
当時は集客だけをその会社が担う形で、資料・課題は私1人で制作していたので、集客も含め自分の力で試してみたいとお話し、数か月後に日本帰国時にデザイントーストとして独立させたんです。
「人間万事塞翁が馬」と言ったように数奇な運命ですね。最後にデザイントーストについて今感じている事を教えてください。
コロナ禍がなければ、自分でデザインスクールを立ち上げることはしなかったので、人生って何があるかわからないですね!
スクール業、最初は副業扱いでやっていたのですが、今は一本でスクールに向き合っています。
最初はZoomの画面共有やデータの保存場所も分からない受講生が、6ヵ月後には1人で作れるようになって自信を持ち、転職などの夢を叶えていく、といく事に関われるのが本当に喜びだし、やりがいですね。
気合い入りすぎて課題を作りすぎてしまって、人には「この課題や動画、全部1人で作ったんですか?」と驚かれることもよくありました(笑)
デザイナーをやっていた頃も楽しかったですが、デザイントーストを愛してくれるスタッフや受講生の皆で作り上げている、今が人生で一番面白いんですよ。
ほりさん、ありがとうございました!
↓受講生がどんな課題を作ってるのか気になる方は、講評会レポートから↓
ほりさんのnoteはこちら