フェミニズムとデザイン【3】 from "Design Struggles"
DESIGN JUSTICE:デザインの理論と実践のためのインターセクショナルフェミニスト・フレームワークに向けて
著者のサーシャ・コスタンザ=チョック(Sasha Costanza-Chock)は、コミュニケーションの研究者、参加型デザイナー、活動家であり、マサチューセッツ工科大学の市民メディアの准教授である。本論文は、「DESIGN JUSTICE」のアプローチを発展させ、幅広い分野にわたるデザイン理論や実践の指針となりうる、より広い枠組みとしての「DESIGN JUSTICE」を探求している。
「DESIGN JUSTICE」とは、ソーシャル・インパクト・デザインやデザイン・フォー・グッドの枠を超え、デザインのプロセスや実践が解放の道具となるためには、善意だけでは必ずしも十分ではないことをデザイナーに考えさせ、実践者が既存の不平等を(しばしば無意識に)再生することを避けるのに役立つ原則である。「DESIGN JUSTICE」は2015年6月にデトロイトで開催されたAllied Media Conferenceで草案が開発された。その後、数年にわたり検討され、2018年に以下のような形で発表されている。(https://designjustice.org/)
DESIGN JUSTICEネットワークの原則
デザインは私たちの現実の多くを媒介し、私たちの生活に多大な影響を与えるが、デザインのプロセスに参加している人はごくわずかだ。特に、視覚文化、新技術、地域計画、政治経済システムの構造など、デザインの決定によって最も悪影響を受ける人々は、その決定や決定方法に対して最も影響力を持たない傾向にある。
DESIGN JUSTICEは、デザインのプロセスを再考し、通常デザインによって疎外される人々を中心に据え、共同的で創造的な実践を行い、私たちのコミュニティが直面する最も深い問題に取り組む。
デザインによってコミュニティを維持し、癒し、力を与え、また、搾取的で抑圧的なシステムからの解放を目指す。
デザインプロセスの結果に直接影響を受ける人々の声を中心に据える。
デザイナーの意図よりも、デザインが社会に与える影響を優先する。
変化をプロセスの終点としてではなく、説明可能で、アクセス可能で、協力的なプロセスから生まれるものと見なす。
デザイナーの役割は、専門家ではなく、ファシリテーターであると考える。
誰もが自らの生活体験に基づく専門家であり、誰もがデザインプロセスにもたらすユニークで輝かしい貢献を持っていると信じる。
デザインの知識やツールをコミュニティと共有する。
持続可能で、地域が主導し、地域が管理する結果を目指して活動する。
私たちと地球、そして互いを再び結びつける、非搾取的な解決策に向けて取り組む。
新しいデザインの解決策を模索する前に、コミュニティレベルですでに機能しているものを探す。伝統的、土着的、地域的な知識や慣習を尊重し、活気づける。
インターセクションと支配のマトリックス
DESIGN JUSTICEの背景にあるのが、インターセクションと支配マトリックスの理論である。支配マトリックス、インターセクションはともに人種、階級、ジェンダーをそれぞれが単独ではなく、連動した抑圧のシステムとして認識する概念である。支配マトリックスは権力、抑圧、抵抗、特権、罰則、利益、害悪がどのように体系的に配分されているかを考えるための概念的モデルであり、インターセクションは個人の経験に着目している。チョックによれば、今日のほとんどのデザインプロセスは支配マトリックスによって不平等を再生産しており、DESIGN JUSTICEの原則は構造的な不平等や抑圧の再生産を可能な限り回避するデザインを明確にし、より意図的に実践することに関心を持つ実践者ネットワークの重要な出発点となっているという。
原則では、個人、コミュニティ、組織の3つのレベルにおいて、デザインが支配と抵抗にどのように関わるかを探求するよう促している。例えば、個人レベルではアカウントのプロファイル作成時に性別のドロップダウンを使用するなど、インターフェースデザインがどのように個人のアイデンティティを肯定または否定しているかを調べることも含まれる。
フレームワークとしてのDESIGN JUSTICE
チョックはDESIGN JUSTICEを次のように定義している。モノやシステムのデザインがさまざまな人々の間でリスクや損害、利益の分配にどのような影響を与えるかを考える理論と実践の分野であり、デザインの利益と負担をより公平に分配すること、デザインの決定に誰もが公平かつ有意義に参加すること、そしてコミュニティベースのデザインの伝統、知識、実践を評価することを目指す、成長中の社会運動である。暫定的な定義、との但し書きがあり、今後も変化していくことを前提としている。
DESIGN JUSTICEはフレームワークとしても用いられる。デザインプロセスが現在どのように機能しているか、そしてどのように機能させたいかについて、下記の一連の問いに取り組むことが求められる。
公平性(誰がデザインをするのか)
受益者(誰のために、あるいは誰と一緒にデザインをするのか)
価値観(私たちがデザインするモノやシステムにはどんな価値が込められているのか)
範囲(デザインの問題をどのように範囲化し、フレーム化するのか)
現場(どこでデザインをするのか、どんなデザインの現場が特権的で、どんな現場が無視され疎外されているのか、最も影響を受ける人々がデザインの現場にどうすればアクセスできるか)
誰がデザインするのかという問いは「デザインをするためにお金をもらっているのは誰なのか?」という問いでもある。つまり、経済を握っている人々にとって有利なデザインになる傾向があり、経営トップは白人男性中心である。チョックは、DESIGN JUSTICEとは人間の営みとしてのデザインの普遍性を認める理論的枠組みであり、疎外された人々と共にデザインすることが重要であると主張する。不平等が顕著な分野として米国のソフトウェア産業を取り上げ、白人とアジア人のシスジェンダー(生まれもった性と性自認が一致)が圧倒的に多く人種やジェンダーに偏りがあること、経営トップでは極めて多様性が少ないこと、それによって経済的教育的格差が生まれることを指摘している。
誰のために、あるいは誰と一緒にデザインするのか、という視点も重要だ。チョックはDESIGN JUSTICEの最も価値ある「要素」は、デザインチームが変えようとしている状況に最も影響を受ける人々を取り込むことと述べている。
どのような価値観や前提でデザインされたのかを問うことも必要だ。チョックによれば、デザインのための資源は潜在的な収益性に基づいて割り当てられ、ほとんどの資源は最も裕福な人々に影響を与える問題に捧げられる。効率的に利益を上げることを考えれば、当然の選択肢だろう。だが、DESIGN JUSTICEはクィア、トランス、黒人や有色人種、先住民、移民、脱植民地主義、反権威主義、コモンズに基づくコミュニティなどの視点や価値を中心に据えている。
また、DESIGN JUSTICEはValues in Design(VID)に基づいているが、VIDがデザインされたオブジェクトやシステムのアフォーダンスや美学に焦点を当てる傾向があるのに対し、DESIGN JUSTICEはデザインされたオブジェクトやシステムの利益、帰属、ガバナンスと同様に、デザインプロセス自体の力関係の中で再現される価値を含むデザインのあらゆる側面に関わっている点が異なるという。現在、さまざまな組織でDESIGN JUSTICEのネットワークが広がっている。
さいごに
論文集「Design Struggles」からフェミニズム理論を鍵とした3つの論文を紹介してきた。分野や異なるがそれぞれフェミニズム理論、特に家父長制やインターセクションの視点から批判的に論じ、さらにその実践を伝えている。日本でも話題になったデザイン人類学者であるエスコバルの「Designs for the Pluriverse」でも、フェミニズム理論を引用しながらデザインにおいていかに白人至上主義、家父長主義、植民地化によって女性や先住民、そして自然が排除されてきたのかを論じている[12]。このようにフェミニズム理論は、女性のためにだけに存在するのではなく、現在の規範や基準を見直し、排除されてきた人々の文化や仕事から学び、自然との関係性をつなぎなおすために必要な理論と言えるだろう。
上野千鶴子はフェミニズムを「弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」と言う(2019年度 東京大学入学式祝辞)。弱者が弱者のままで、あるいは弱者にならないために、包括的な社会を目指すことがデザイナーに求められている。
参考文献
[11] S. Ahmed, Living a Feminist Life. (2017)
[12] A. Escobar, Designs for the Pluriverse. Duke University Press (2018)