デザインという擬似体験
最近ふと思ったことがある。
私はデザインという行為で「擬似体験」をしてるのでないだろうか?
デザインで、ビジュアルを作るのは好きだ。
でも、私が作ったものでコミュニケーションが生まれることが、もっと好きだ。
子どもの頃は引っ込み思案で、自分の言いたいことをうまく表現できなかった。
だから、自分の気持ちを別の形で表すことで、気持ちを外に吐き出していた。
「詩」をたくさん書いて。おそらく300個以上はある。
(思春期のポエムなんて恥ずかしいかもだけど、私は今読むといろんな感情が入り混じって泣ける。)
詩をパタリと書かなくなったのは、
ちょうどデザインを学び始めた頃だ。
誰かの伝わらない想いを伝えたい。
デザインをやっていて、
いつしか心に強く思うようになっていたこと。
自分がデザイナーとして、つなぎ役や橋渡し役をしたい。
それは、私が自分の想いを人に伝えられなくて、悔しいし辛かったからに思う。
私は未だに自分の想いを伝えるのは下手くそだ。
でも、デザインをやっていくことで、
そのうち私も本当に伝えたい人へ、自分の想いを伝えられるようになるかもしれない。
「擬似体験」と言うと寂しい気持ちになるが、
その擬似体験度が高まれば高まるほど自分がコミットメントできているということなのだろうも思う。
自己表現が下手くそだからこそ、伝わらない痛みに共感できる。
私はそんな感じで、デザイン大好き!というより、デザインがないと生きていけないデザイナー。と言う方が自分にはしっくりくる。
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