自信なんてない、コンプレックスの塊。だからこそ、デザイナーになった。
「昔はすごい根暗で、人と目を合わせて喋れなかったんですよー!」というと驚かれる。
驚かれる度に、自分変わったんだなと実感する。
今日、ネットラジオの『#ますこなゆ』にお邪魔して、改めて自分はコミュニケーションデザインが好きなんだなと感じたので、
ちょっとその原体験を思い返してみようと思う。
心無い言葉たち、口を閉ざした幼少期
私のデザイナーとしての原体験は、幼少期に受けた母親からの心無い言葉たちだ。
5,6才の時に、何か失敗すると理解して欲しくて話す度に「言い訳するな!」と怒られて、それからあまり喋らなくなった。
小学生の時に、「おまえと話していると頭がおかしくなる!」と言われ、母親とコミュニケーションを取るのをいよいよ諦めた。
私は気づいたら、すっかり自分に自信が無くなってしまっていた。
自分の思っていることを周りに伝えられない。伝えようとも思わない。どうせ、うまく伝えられないから。
顔も可愛くないし、暗いし、誰も私のことなんて気にしてない。と、どんどん自分のコンプレックスにすり替わっていく。
だから、どこにいても居心地が悪かった。自分の家でさえ、心が休まらない。
そんなときに出会ったのが“デザイン”。
デザインが私に与えたもの
私はもともと物作りや文章を書くが好きで、唯一自己表現ができるのがそこだけだった。
いろいろ挫折して、なんとなく手に職つけたくて物作りも好きだしと、興味本位で入ったデザインの専門学校。
これは決して自慢したくていうのではなく、
いじめ・引きこもり・うつ病を経て、
私は専門学校で、最期の年に成績が認められて特待生になり、新入生の前で在校生代表で祝辞をつとめ、卒業生総代もつとめた。
私に何が起きたのか。
“デザイン”だった。
デザインをすることで、自己表現ばかりか、
まわりを巻き込んで何か面白い・楽しいことをできることを知った。
おおげさかもしれないが、自分の存在価値を初めて実感できた。
デザインを通して、私は人とコミュニケーションが取れるようになった。
それまで、自分にも他人にも絶望感しかなく、期待もしていなかった。世界が憎たらしくて仕方なかったのに、
世界が、人という生き物が、愛おしく思えるようになった。
専門学校を卒業した後も、まだまだたくさんの山や谷が待ち構えているのだけれど(笑)
これを書きながら、デザインに出逢えたことに感謝の気持ちが込み上げると、目頭が熱くなる。
ありがとう。デザインと、環境と、人々に。
私はこれからも死ぬまでデザイナーであり続けるだろう。
デザインに出逢わなかったら、私は生きていなかったかもしれない。だから、私にとってデザインは好きとか、そういう次元ではなかったりする。
重いね〜。でも、私の中の“デザイン”ってこういう感じ。
以上、明日には消したくなるだろう、花金の深夜のポエムでした。